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我が家の介護日誌 第五章
 (帰宅後の介護 季節と生活環境)

 手術が無事終了して、経過も順調で、快復もめざましいものがあり、入院当初の状況からは、全く考えられない奇跡の快復としか思えない。驚きです。

 予定通りに退院、母を自宅につれて帰り、車から自分で一歩を踏み出そうとする母。抱きかかえて、車に乗せていた一ヶ月前が、まるで、ウソのように思えます。転倒防止のために、後ろからそっと支える程度で、ゆっくりと玄関をくぐり、用意してあった歩行器で、廊下をゆっくりと動き回り、久々の自宅での歩行感触を試しているようです。「家の中で歩行器が使用できるの」と、病院で驚かれましたが、用意してあった歩行器が大活躍でも、まだ3月、一気に寒さが襲ってきます。あわてて、暖房を入れた居間に非難、居間には、電動ベッド用意していましたが、母に合わせた高さ調節をする必要があり、母の腰の高さに合わせていたならば、母の一言「いくら使って用意したのだ、高かったなら返せ」です。

 こんどは、介護保険が使えて、リースで対応できるので、月々少ない金額で利用できるのだと説明しても、納得がいかないようす。「高かったら返せ」と言っています。口では悪口を言いつつ、しっかりと、高さ調節のリモコンで自分の腰の高さに合わせ始める母。物珍しさからかリモコンで遊んでいます。

 夜になると、3月の終わりでもかなり冷え込み、マイナス8度まで下がります。母の居る居間には保温対策はとっていたのですが、室内をファンヒーターで暖めた後、オイルヒーターに切り替え、さらに電気アンカで足を温めながら朝を迎えます。寝る前の温度は20度くらいありましたが、朝には10度になっていました。病院の病室とは温度差で10度くらいありますが、朝、母に尋ねると「暖かく眠れた、我が家が一番だ、落ち着く」と言っており、ファンヒーターを始動させ、居間の温度が18度になるまでベッドから出ないように念をおして、朝食の用意に取りかかります。母が帰宅してからは、食事の支度と洗濯、掃除、入浴が私の主な介護になりました。トイレは歩行器を使い自分で処理できるようになり、退院二週間後には、夜間のポータブルトイレは使用しなくて済むようになり、ポータブルトイレは、室内から廊下の隅に移動しました。


(写真 2069 歩行器の後ろにポータブルトイレ)

 ベッドのリモコン操作に慣れたある日、母が申し訳なさそうに「ベッドと床との間に物を挟んでしまった、とれなくなったのでなんとかしてくれ」と帰宅した私に報告、本人が挟まれたわけではないので、良かったと思いつつ、私の注意を聞いていなかったのだなと思いながら、ベッドの下には何も置いては行けないことを今一度徹底させるとともに、私も、ベッドの下に注意することが必要だと反省。

 外はもうすぐ春、母の帰宅から数日後には、母にせかされながら、春の農作業、田んぼに植える苗作り準備。 春だ~,

 母の行動が心配な日々が始まる予感。室内での行動だけでは物足りなくなり、日光浴がしたいと、外に出たがる、母の目覚ましい快復力、無理をしなければ良いが、春の日差しに誘われて、天気の良い日に付き添って、日光浴をすると「まぶしくて長い時間は外にいられない」と、縁側に移動してひなたぼっこ。

 4月に入り、陽気も落ち着き、外の温度の上昇とともに、庭の草花が一斉に咲きだします。それに合わせて、草も一斉に芽吹きます。5月には、孫の結婚式、当初、出席をなかばあきらめていましたが、手術の成功により目覚ましい快復力で、孫の結婚式出席の為に、前庭の芝生の上で歩行器を使い、少しずつ、歩行訓練。


(写真 2353 )

歩行訓練の成果が現れ始めると、見る見る体力が回復して行き、長旅にも耐えうる体力が付き、無事に孫の結婚式に出席することができ、このままだと車椅子も、もうすぐ卒業かと、思うほどの勢いです。車椅子を使用した長距離移動にも耐えて、無事に結婚式に出席で来ました。結婚式の会場で、おばあちゃんを優しく見つめるお嫁さん。


(写真 2180 )

手術の成功と、お婆ちゃんの回復力に驚いていました。夏になったなら二人で遊びに行くので、車椅子でなくて、杖で歩けるようになるといいねと言っていました。

 孫の結婚式から帰ってくると、我が家は草屋敷、雑草が庭いっぱいに!!!

私は、農作業の合間をぬって、早朝より庭の草取りをある程度行ない、農作業に出かけ昼間帰宅すると、朝早く草取りをしたのに、草が枯れていない。!!

 母が、私のいないことを理由に、庭の草取りをしたようです。母に尋ねると「少しばかりの草取りは運動になる」「お前がやらないからやっておいた。ありがたく思え!!」母は、孫の結婚式に出席できたので、体が治ったような錯覚におちいったようです。私が草取りをやめるように言うと、もの凄い勢いで、反論してきます。病院を退院するときの約束で、半年間はおとなしくしていると言ったのは、全くのウソで、痛みが無くなったことを良いことに、日増しに動きまるのが目に余るようになり、注意すると口論になる日々が始まりました。

 私は、季節に合わせての農作業に没頭しながら、母の食事と、介護にといそがしく追い立てられるように時間配分をして、出かけます。私が出かけるのをみはからい、家の周りに出て、雑草取りを始める母、予期せぬ時間に私が帰ってくると、あわてて作業をやめて、素知らぬ顔の母。

 母が庭先に出て、運動するのは、衰えた筋力を回復するために必要なことなので、運動をするなと言っているわけではないので、外に出るのは良いが、体を曲げる姿勢や、無理な格好をして、手術後の部位に負担をかけてはいけないことをいくら説明しても理解せずに「外に出て、少しぐらいの運動(草取り、野菜の収穫)はするさ」「中にばかりいると体に悪い」等々言葉で反撃してきます。

「心配していたことが、現実に」

 母の体は、手術の成功により、痛みが無くなり、少しの運動は出来ても、軽作業を行なうことは出来ない体であることを機会あるごとに、説明し、痛みが出て来たならば、再度手術をすることになると、言い聞かせ、庭先での草むしりを止めさせようと努力しましたが、一向に私の言うことなど、どこ吹く風、聞く耳を持たず、私の目を盗んでは、三坪ほどの庭先にある菜園の草むしりするので、きつく叱ると、烈火の如く、言葉による反撃が。

 この頃から、腰の痛みと足の痛みを気にするようになった母。

 私が、菜園の草取りをしたからではないのかと諭すと烈火の反撃

 仕方がないので、早朝に庭先の草取りをして農作業に出かけることにしました。こんなことをしていたならば、私にストレスが貯まりだした頃、手術後初めての診察に山梨医大へ

術後の経過と、現状を診察してもらいに頸椎外来へ

相変わらずの混雑、予約日でしたが時間が指定されてなかったので、最後の方での診察、レントゲンで経過を診察、問診へ、前川先生の質問

「現状はどうですか」母、「時々足が痛い、足が引っ張られているような感じがする」先生、「急激な運動はしていませんか」母、「たまには、好きな事もするし、少しくらいなら草をかじって(草取りをする)運動をする」先生、「運動はいいですが、腰に負担をかける事は良くないですよ」母、「少しぐらいは、いいさよう〜」先生と私は顔を見合わせて、困ったものだ。こんなやり取りがつづき、次回は12月に、なりますが、こちらを受診されたなら、すぐに検査を受けて、それから診察するので、経過を見ましょう。もし途中で症状の悪化があった場合は、すぐに頸椎外来を受診して下さい。と先生は心配していましたが、母の口癖、「少しぐらいはいいさよう〜」は止まりませんでした。

 全くこりていない、母の言動は、私に、だんだんストレスを貯めて行き、爆発寸前に、私は、夜な夜な電話でストレス発散。友人(介護経験あり)と、妹にストレスが貯まると電話をして、気晴らしをしました。

介護する側の、気晴らし電話ボックスが欲しいー。

(気晴らし時間は、長いと1時間以上に、みなさんやさしい~です)

私は、このように気晴らしが出来る友人や妹がいるので、良いが、一般家庭で、介護に当たっている家族では、どこでもお嫁さんが中心となっているようですが、その場合のストレス発散、どこかにつくらないと家庭崩壊につながるかも

と、ふと考えて、介護に当たっているみなさんを応援しながら心配する。

介護経験のある、友人の話

よくおちいるのが、「私だけ何でこんな目に遭うのだろう」と、考え込み、周囲に助けを求めることをやめてしまうことにより、うつ病におちいる場合が多いので、一人で介護に当たる場合は、注意が必要です。家族全員で介護に当たる場合であっても、基本的には介護時間の長い人が全て行なう覚悟が必要です。親戚や兄妹は余りあてにならないことが多いので、いろいろな介護支援があるのでその都度、市町村等の窓口に相談することをお進めいたします。

また現在では、有料の介護支援もあるので、必要に応じて活用するようにします。介護保険を使用するには、介護認定を受けてから、介護度が決定されますので、症状が重くならない時期に認定を受けることをお勧めいたします。

介護認定は、症状の変化に合わせて、介護度が変わり、介護保険で使用できるサービスも変わって行きますので、我慢して、症状が重くなってから認定を受けることを考えていたならば、介護に当たる介護者のストレスをためてしまい、体調を崩しかねないので、早い段階での相談窓口を訪れることを、お進めいたします。

「母との対決」

介護する側としては、これ以上の症状の悪化を心配しつつも、快復の望みがあるうちに、体力を整えて、機能回復に努力してほしいのですが、母は、根っからの、農作業が生き甲斐なので、家の中でおとなしく機能回復訓練をするような人ではないことを、心得ていましたが、あまりにも手術後の腰に負担をかけ目に余る行動をとるので、注意すると、言葉による烈火の反撃。私を育てて来たわけですから、こちらのウィークポイントを心得ていますから、ウィークポイントをついた、言葉による反撃で、こちらを自由に手足のごとく使おうといたします。母には、悪気はないのですが、使われるこちらとしては、母の言う事ばかり聞いているわけにはいかないので、ぶつかる事になります。
1日の間に、何回となく、ささいな事でぶつかり合います。

母にすると、それくらいは当たり前だと言いますが、母の言うなりになっていたならば、母の身の回りの世話と、母の思うペースでの農作業になり、母が健康の時にやっていた農作業と、私の農作業が重なり、身動きができない状況になります。結果として、自分の本業を犠牲にして、母の気の済むように見える範囲の農作業でごまかしながら、全体を管理していますが、本年はいつもの年とは違い、草の伸びる速度が桁違いに速く、2週間前に除草した場所が、元の草畑に逆戻り、庭先も同じで、母に、さいそくされて、他の仕事を止めて、庭の草取りをする事に、私が会社勤めをしていないから、母の要求に応えていられるが、一般の会社勤めの家庭ならば、母の要求で、家庭崩壊です。

ましてや、お嫁さんとなれば事は大変です。介護する側の考え方として「私だけが、どうして、このような事になるの」と、考えがちですが、友人の話からすると、これも神様が与えてくれる試練だと考えれば何とかできる。

(宗教心があり、信仰心がある場合だと思います)

と返してくれましたが、そのような心を持ち合わせない私は、まっ、親だから仕方がないで済ませ、ここまでの人生を与えてくれたのは、親だからと割り切って介護にのぞんでいるが、このようなコメントを書くようになる事は、かなりのストレスが貯まっている証拠だとご理解ください。

軽度の介護生活でさえ、このようにストレスが貯まるのですから、寝たきりの病人を抱える介護は、さらに、厳しい現状があり、昼夜を問わず介護をしなくてはならず、病人一人を一人の介護人で24時間介護するのは不可能です。

介護人が発作的に起こしてしまう事件が度々ありますが、ほとんどの場合、介護に直面していると、実際にそのような場面が起こりますが、その一歩手前で踏みとどまっているのです。踏みとどまらせる事の出来る支援は、家族による支援なのです。介護には、家族全員が共通の思いでのぞまないと、周囲まで巻き込んだ惨事に発展する事がある事を私たちは、理解しなければなりません。

「考えてみて下さい」

寝たきりの介護には、とてつもない体力が必要で、24時間の介護体制になります。一番の問題は、寝返りが出来ない場合は、最低4時間ごとの体位変換が必要になり、介護者は睡眠時間が削られ、さらには排尿のさいそくや、昼夜関係無く、突然の要求に応えなくてはならず、通常の心理状態が保てなくなります。

このような場合は、そこに暮らす家族の協力がなくては、介護が成り立ちません。また、病状の進行に合わせて、定期的に通院している場合は、送迎と付き添い等で時間を取られ、一般の会社勤めを行なっている場合の家庭では、十分な介護が出来ない事をご理解ください。このような窮地に陥らない為にも、使用可能な介護支援制度を利用し、負担の軽減をするように各自治体等の介護支援プログラムを利用する事を御進めいたします。介護は、介護担当者だけではなく、家族全員の問題で、各家庭の家族が協力して行ない、介護孤独を無くすように努力して下さい。介護者が一人である場合は、介護孤独におちいる前に市町村の介護担当に相談して、対応方法をとる事を御進めいたします。

たしかに、経済的負担がもとで、介護孤独になる場合がありますが、相談する事により、気持ちの上で、負担が軽くなりますので、相談を御進めいたします。

「増える要求」

母の場合は、自分が普段やっていた行動が出来ない事による、いらだちから、次々に介護する私に対して、あれこれと、要求してきます。特に衣食と農業に関する部分が主で、母自体の体調についての介護要求ではないので、喜ばしい事ではあるが、介護している側からすると、それらの要求に一つ一つ応じていると、体がいくつあっても、それらの要求に応じきれません。もし、要求が通らない場合は、母、自らがそれらの行動を起こすパホーマンスを行ない、術後の患部へ負担をかけて、後日、ベッドで寝込むことになります。この事を私が心配して、母の要求を満たそうとすると、次々と要求が重なります。

結果、母との対決になります。

私の友人いわく、一人で介護に当たっているときは、ストレスを発散する対象物を一つ作っておき、病人に当たることは出来ないので、対象物に当たるようにすると良いとの事でした。友人の場合は、掃除機で、何度、蹴飛ばしたかわからないが、介護が終わるまで不思議と壊れずにいたことを教えてくれました。

私と母の対立は、母の気の済むように私が行動すれば良いのですが、母の注文が度重なると、私の限界を超え、大声を張り上げたり、怒鳴ったり、等の行為は、もはや母には通じず、ただをこねるので、私が手にしている物を放り投げると、度重なる母の注文も治まります。しかし、私が放り投げた物の、後始末が大変で、天罰かなと思いつつ後片付けをしていると、横目で母が静かに眺めています。

このように、日々順調な快復経過の為、母の行動制限を行なっていると、毎日どこかでぶつかり合い、これもリハビリかと思いつつ、母の体調を心配しつつ我慢ではなく、うまくやり過ごさなくては、と思うこのごろです。

【介護保険制度】       「介護認定」

半年ごとの介護認定審査があり、申請いたしましたところ、後日、市の担当者が面接に来られ、介護度の見直し審査を行なって行きました。

母の快復ぶりから、介護度の一番下になるのかなと思っていたならば、届いた結果は、要支援になっていました。要支援になったことを介護支援に当たっている介護センターの職員に連絡すると、こんどは、市の保健担当に変わることがわかり連絡、介護認定が変わったので、介護用品のリース商品の見直しをしたところ、介護用ベッドを借りることができないことがわかり、急遽、介護用品のリース会社に連絡を入れ、相談したところ、ベッドやその他の介護用品についても、介護保険適用用品以外の介護用品を用意して対応いたしますので、保険対象外ですが貸し出してくれるとのこと、介護認定が外れると[今まで使用していた介護用品が借りられる物と、借りられない物になる事を初めて知りました]母の症状からすると、歩行器とベッドは必需品なので、さらに確認すると、歩行器は借りられるがやはりベッドは借りられないとの事、自費で「介護センター花岡」さんから、高さ調節のできるベッドを借りることになりました。介護保険の適用を受けていたベッドより、リース料金は倍以上になりますが、母の腰への負担を考えると、ベッドは必需品です。介護を受ける人の症状に合わせて、介護認定度を変更するのは必要だと思いますが、現在のシステムでは、患者の容態を考えると、まだ必要と思われる介護用品が借りられなくなってしまいます。このように必要な支援が受けられなくなる、抜け落ちている制度が現在の介護保険制度です。保険料は取るが、必要な支援は受けられないのが、日本が世界に誇る介護保険制度です。

結局のところ、お金を持っていないと、介護は受けられないと言う事につながってしまい、低所得者や年金受給金額の低い人は、病気や加齢による身体の機能低下には、介護保険制度は対応が出来ず、機能不全におちいる制度である事がわかりました。介護に当たる人の側に起った、介護用品を取り揃えている「介護センター花岡」さんから、介護用品をリースしていて助かりました。

少ない出費で、介護用品を用意して下さった「介護センター花岡」さん、高さ調節機能のあるベッドは、非常に助かっています。一時は、これからの事を考えて、介護用ベッドを自費で購入しようかと、思いましたが、介護用ベッドの価格の高さにオドロキ、あわてましたが「介護センター花岡」のおかげで助かりました。それと、介護用品の使用状況や、介護用品で困った事がないかどうかを定期的に尋ねて下さる電話、介護に当たっている人にとっては、力ずよい支援になります。

これからも、介護する側に起った介護用品のリースを御願いいたします。

「夏休み」

まもなく夏休み、夏休みになれば、孫たちが母のところに集まると思っていたならば、妹の家庭も準介護者がいました。今回、暑い都会を離れて涼みに来れるのは、妹と二人の子供と連絡が入りました。8月に入り、親戚の結婚式、母は、手術後二回目の車椅子での結婚式出席です。もちろん私が付添えで、出席しました。こちらの結婚式は、花嫁さんから直に、出席依頼があり、猛暑の中ではありましたが、何事もなく無事に結婚を御祝いすることができました。母もかなり快復しているようだと思ったのですが、帰宅すると、夕食もそこそこに、すぐさまベッドで横になり、朝まで起きませんでした。さすがに、車での移動と結婚式出席は、車椅子を使用してもきつかったようです。私は、翌日から農作業と、TV、取材、見学者が重なり、連日、多忙な日々を送っている間に、母の体調が快復したころ、妹家族の先発で三男が、私の手伝いとして到着。

とりあえず農作業に、かり出し、妹と長女が来るまで3日間農作業。

妹の家族が夏休みを取れるのは4日間だけ、お父さんと次男はお留守番。

妹と、長女と三男がお婆ちゃん家で夏休みです。到着早々、予定が詰まっているので、アウトレットで、お買い物だそうです。私は送り迎えと、分刻みのスケジュールで盆をやり過ごさなければと思っていたならば「母からのリクエスト」これで、お盆中の全ての予定が、母によって決められしまった。

まぁ、今回は、妹がいるので、少しは休むことができると思っていたならば、今年は、地区の役員もしていたので、分刻みの過密スケジュールになってしまいました。2日目は、早朝より、母のリクエストで、餅つきと、続いて夏祭りの準備と、結果、妹家族もどこへも行けず、午後は祭りの準備の私に付きあうはめに、3日目は祭りの当日なので、2日間は何処へも連れて行ってやれずにいたので、午前中の合間をぬって、妹家族を連れて大急ぎで清里高原へ散歩に出かけ、午後からは祭りへと出かけると、妹たちは、母の要望により、自宅で私が出たらしいTV番組を強制観賞。4日目は、母の妹家族が来訪し、総勢9名でのバーベキュー大会へと発展、子供たちと私で買い出しへ、お肉2キロがあっという間にみんなのお腹に落ち着きました。母の妹家族が帰宅後、携帯電話をしきりに気にする私の妹が「長男が暑い都会を避けて、遊びにくる」と言っている。どうも、夏休みになっても、仕事が続いていて、新婚早々お嫁さんを何処へも連れて行っていない様子。家庭サービスとして、帰宅後すぐに山梨に向かうとの事らしい。お婆ちゃんには内緒で、着いてから話せば良いとして、注意して遊びにおいでと付け加える。早朝、長男が到着、お婆ちゃん大はしゃぎだが、みんなに相手にされずベッドふて寝。妹と長女、三男は本日帰宅することになっていたのだが、急遽、三男の要望で切符をキャンセルし、三男と長男夫婦が、もう一泊することになり、夜遅くまで大騒ぎ。翌日は、ハイジの村とサントリーなど見学をして、帰宅後、お婆ちゃんの命令でお嫁さん、車での移動なので、渋滞を気にして、お弁当を作って持って行くように言われたらしく、慣れない手つきでおにぎりを作って、移動の準備、後でこの事を知りました。夜遅く、長男夫婦と三男が帰路につくと、怒濤のお盆が終わりました。

深夜になって、妹から電話、思っていた以上に混雑していて、予定より時間がだいぶかかり、帰り着いたとの連絡、お婆ちゃんの勘が当たったようである。

全員が退けた翌朝は、我が家には、疲労感が漂い、元気にふるまっていた母も、さすがにベッドで熟睡をしていました。
振り返ると、母も、来訪者に気を使い、普段、家にこもっている為に一度に沢山の人と、会う機会がなかったので、とても疲れていたのだと感じた。

みんなと会うことができ、少しは、母のストレス解消になったのかなぁー


(写真 2500) 

みんなが帰った後、また母との対決の日々が始まる
覚悟せねば。

つづく

▲上に

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