Gamuran & Guitar
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Tatsuya & de
chips
Dharma ShanthiのリーダーI made Sucipta
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Tatsuya Koumazaki
Guitar , Composer (1.4.6)
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I made Sucipta / de
chips
Kendang , Reong , Kecak(1)
Composer (2.5)
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I nyoman Arya Sentang /
arya
Gangsa , Cengceng ,Kecak(1)
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I nyoman Tameg /
tameng
Gangsa , Cengceng ,Kecak(1)
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Anak Agung Rai Suparta /
suparta
Jublag , Kecak(1)
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I made Koyo / koyo
Jublak , Cengceng
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I nyoman Darsana /
nano
Reong , Jublag
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I made Nik / denik
Gong , Kempul , Kelemtong , Kecak(1)
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I wayan Merta /
yanta
Suling
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I wayan Wija / wija
Cengceng , Kempli , Kecak(1)
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Toyo
Kempli
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Producer:小馬崎達也
Tatsuya Koumazaki
Recording & Mixed: 小馬崎達也 Tatsuya Koumazaki
Mastaring Enginnr: 木坂忠明 Tadaaki Kisaka
Picture: ニョマン ヌジャ I Nyoma
Nuja(2003年8月に亡くなりました。30才位だと思います)
Jacket Title: 高池慶麿 Keimaro Takaike
Jacket Design: 野村直樹 Naoki Nomura
2000 / 5 / 24 (2.4)、 5 / 29 (1)、 6 / 1 (5)、 6 / 4 (3.6)
specal thanks to:
I Nyoman Kertiyasa (UBUD
TERRACE)、茶井幸信(茶井ギター工房)、佐伯稔、藤森義昭(星と虹レコーディング)、中尾貿易(株)オベーション、Vestax、井上勝六、ルングシアカン村のみなさん
Br Lungsiakan Kadewatan Ubud Gianyar Bali
Indnesia
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「神々の響き」によせて
(ライナーノーツより)
「トウモロコシ、豆、カボチャ、風、太陽・・・、我々の生活を支える多くのものに、我々は挨拶をし、感謝を捧げる。人々が、このような多くのものを敬うことをやめ、感謝を示すことをやめてしまったとき、生あるものはすべて滅び、この惑星の上での人間の歴史は幕を閉じる。」(『六部族連合から西洋社会へ』)
これはネイティブ・アメリカンから現代文明社会へのメッセージだが、それは人間の生存が大地からの恵みによって支えられているからで、それ故に食べ物やそれらを生み出してくれる環境に人間が畏怖や感謝の念を持つのは自然な感情であろう。
熱帯の海に浮かぶインドネシアのバリ島は、一年中花が咲き乱れ、果物はたわわに実り、水田は2〜3毛作が可能な豊穣な島である。そんな豊かさをもたらしてくれる自然環境の中、生かされていると感じた島の人々が森羅万象に対し敬虔になったのはごく自然のことであった。すべてのものに精霊が宿ると信じて、人々は毎日、無数の神々への供物を絶やさない。現地の人々は「神様に借金して生きているから、借りを返すために神様を崇める。」というが、そんな気持ちが人口約250万人の島に5000もの寺院を誕生させ、バリ島は「神々の島」となったのではないだろうか。供物は収穫物だけではなく、音楽や舞踊も神々への捧げ物となって、生活の中に宗教が根づき、宗教の中に生活がある社会が生まれた。ちなみに、祈りは本来見返りを求めないものだが、しかし、それがかなえられると神との「取り引き」となってしまう。バリ島が「地上最後の楽園」「天国に最も近い島」などと言われるのも、祈りがかなえられるという「幸運の誤配」がごく自然に日常に存在しえたからであろう。
そんなバリの魅力に引かれてこの8年間、小馬崎達也氏は何度となく「神々の島」を訪れた。しかし音楽家<アーティスト>の彼にとって、神々に捧げられるガムラン音楽を除いてバリは存在しない。ガムランとは「道具を扱う」という語源から「たくさんの楽器で合奏するもの」となり、青銅の旋律打楽器を中心とする合奏<ガムラン>音楽(一種のオーケストラ)は宮廷や庶民の生活に欠かせないものとなった。
大河の流れは一転して激流となり、早朝の静寂から午後のけだるいまどろみの中へ、また、はじける稲妻と雷鳴は午後の雨後の清澄や輝く夜空をもたらすように、独特のリズムとメロディーは千変にも万花して神々に捧げられる。地の底からのような重低音から悠か天空の高音域まで、緩急をもって響く複雑高度な音空間は、微妙に調律の違う同じ楽器の組み合わせ(必ず二つ一組み)によって作られる。一人ではできないことを多人数が協力することによって可能ならしめる合奏は、個人のスタンドプレーよりは全体の調和や一体性を重視する稲作農耕文化から生まれたものではないだろうか。
小馬崎氏がガムランと一緒に演奏したいと思ったとき、当然、彼らの伝統的慣習や価値体系を理解、共有してコミュニケーションを図らねばならなかった。この「神々の響き」のリリースは、ウブド・ルングシアカン村の人々と寝食を共にした幾多の日々の蓄積があったからだし、またそこで氏の感性が村人たちに理解され受け入れられたからであった。また氏は、ガムランの演奏法が、伴奏が三拍子、歌が四拍子で進んで、それが十二拍目で合うという故郷の「越中おわら節」に共通していることを発見したが、パンゲア(五大陸に分裂する前、地球が一つの大陸であったときの名)をキーワードにグローバル・フォルクローレの心を探究する氏にとって、それは自信と同時に今後の活動への貴重なエネルギー源となったに違いない。
ところで、通常日本人の私達には、ガムランの始まりや終わり、起承転結など定かではない。忙しい現代文明人でそのペースにすっと入っていける人は多くはないから、ガムランの特徴を発揮しつつ現代人にも自然に受け入れられるような曲作りが小馬崎氏には求められた。蔓草のように絡み合う旋律は氏のギターによってめりはりがつけられ、また演奏の中で氏はリードしたりされたりと、ギターとガムランが響き合って調和した音宇宙が生まれた。なおこのアルバムの録音は演奏の傍ら、日本から持ち込んだ機材で同時に氏によって行われたが、演奏場所が村の寺院の境内とあって、ヤモリや鳥や虫の鳴き声、それに農婦の声など、村の自然な生活音も拾われた。「幸福を呼ぶ化身」として愛されるヤモリの鳴き声は、世界語の音楽家<アーティスト>・小馬崎達也氏のガムラン・ワールドに添えられた野の花といえようか。
井上勝六
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