小馬崎達也 旅日記

アメリカ・ペルー・ボリビア編


 2月15日(mon) Tokyo
 小海リエックスのコンサートが無事終わりパネ、吉口さんと清里から代々木カンボジア料理のアンコールワットにて壮行会に成りました。近藤君、桐山さん、酒豪の佐藤さん、カトチャンに池ちゃんの八名で小海リエックスの打ち上げの続きに成りました。みんなどうもありがとう。
久しぶりにパネとのコンサートでした。やっぱりパネは最高。曲の一番深いところをみつめてくれて、それを表現してくれる。こんなすばらしいやつはいません。おっと吉口さんも忘れてはいけません。去年から今年にかけて通算で60泊以上は家と星と虹歯科診療所に泊まっています。最近は僕が家にいなくても留守番しています。その内去年の出来事を掲載したいと思います。家の宿帳は大いに笑えます。
 
 2月16日(tue) NEW YORK
 18:25発NARITA/NEWARKの今はコンチネンタルの飛行機の中です。あと30分でNEWARK空港につきます。また風邪をこじらせたみたいで身体中がとても痛いです。くすりを飲みましたが今回はあまり効果がありません。意識が少しもうろうとしながらもこの文を書いている私は変ですね!。三人掛けのシートに一人で座れてラッキーでした。
17:25 初めてのNEWYORKです。とても夕日がきれいでした。無事税官も通りアメリカ大陸の地を踏みました。ロビーに出るとケーナのLuisとパーカッションのLionelが迎えに来てくれてまずはひと安心でした。粋なり車で摩天楼の観光です。新宿の高層ビルとは桁が違うというのが第一印象でした。摩天楼の周りを1・2分おきに飛び回っている飛行機がまるでUHOが編隊を組んでいる様で本当びっくりしました。高層ビルの真下に車を止めて壁に目をやるとゴシック様式を使ったりして最新の技術と伝統を大切して造り上げていると事を感じました。 
1825年オープンしたというイーストビレッジのバーでまずはアメリカンビール(黒ビール)で再会を祝しました。さすがに日本にペリーが来る前からやっているお店です。壁の汚れや傷が物語を醸し出している様です。アメリカは歴史のない国というのが僕の今までの印象でしたが、ここでも粋なりひっくり返されました。 
今日からLuisの家で居候です。スペイン語、英語、日本語が乱舞した会話をしております。単語の羅列でなんとなく通じている様でいるようです。風邪をこじらせているので今日は早めに寝ようと思ったのですが、時差ぼけと全身痛くて眠れません。こまったもんです。 
 
 2月17日(wed) NEW YORK   
 今日は朝からペルー行きのエアーチケットを買いにスパニッシュ系の人たちが暮らす街へ行きました。後で気ずいたのですが、多分ここは危ない街かも知れません。でもそんなことは一瞬で飛び去りました。Luisの友だちということで、友だちの友だちはいきなりアミーゴなんです。この感覚は日本では経験したことがない事です。体調がかんばしくないので悪名高きタクシーに乗りました。LuisがHow mach?と聞くと無線で向こうから40$と答えが返ってきました。Tax doriberにスペイン語でいろいろ話し掛けるとなぜか降りる時にはなんと6$なんです。 
今日Lionelが出演するクラブに向かう途中、昔憧れた偶然Sweet Baislの前を通りちょっとミーハーになったりして…。帰りにLionelの家でハーブとかいろいろなものを調合して特製のTeeを作ってくれました。お互いあまり英語が上手ではないので一生懸命になってしゃべっているのがとてもいい感じがします。ところでエアーチケットの話ですが、Limaまでの往復がなんと390$でした。最初は395$だったのですが、富山のかまぼことせんべいをあげたら5$まけてくれた。おばーちゃんが沖縄の人だそうです。顔は日本人の顔をしています。南米行きのチケットをたのむならここがお薦めです。ペルー行きの日程は2月22日から3月18日までです。おたのしみに。それでは。 
 2月18日(thu) NEW YORK
 風邪が最悪の日です。今日はLuisたちが地下鉄の駅の中でストリートパフォーマンスをやる日だったのですが。良い子はお家で寝んねしてます。ってなわけで本日休業です。元気になったら夜出るかも…。やんぱり夜は出ました。具合が悪くて寝ていたらチャランゴのLayderが訪ねてきました。そしてLionelとLuisでLionelの参加しているForkグループのLiveを見に行きました。1時間のステージでいろんなグループが出演しています。LionelのグループはLionel以外みんな女の子。男の子みたいな女の子の歌(わかんないよね)とバイオリン(Lionelのハニーちゃん)とcellの4人組です。東京で女の子達と作ったグループ、ノスタルジック・ダリアをやっていた頃を思い出し、けっこう楽しめました。このグループの前にやったバンジョウの弾き語りの女の子がとてもシンプルで良かったです。 Lionelの繊細なドラミングがとてもすばらしい。
 2月19日(fri) NEW YORK 
 今日は朝からお出かけです。風邪も日ごとに最悪になっています。subwayの構内でのストリートパフォーマンスに初参加しました。ここでギターのPancho(Francisco Rodriguez)に再会です。彼は全く難しいことはしないのですが、大きなふところで僕をいつも自由に遊ばせてくれます。パーカッションのおじさんは御機嫌な人です。ベースはPatitucciとJacoをミックスしたようなタイプでバリバリとリズムを引っぱって行くベースです。手が本当に良く動くbassistです。ベジタリアンのチャランゴ。メキシコ人のとっちゃん坊やがCDやカセットの売り子をやっています。なぜかここで「風の国から」売れました。!!!!! 
不思議なことに初めていっしょに演奏したのに、みんなの事を知っていたような気がしました。 
前半は、まだ元気でけっこう調子良くsoloを取り、パーカッションのおじさんに一曲目からとても気に入られ結構遊ばせてもらいました。後半からまた咳が止まらずに体が大変に重くなり思うように演奏できず困りました。意識と体が離れて行きこのままいくと多分死んでしまうかもと感じました。
終わってからPanchoの家に行きペルーの源流の音楽を聞かせてもらいました。そこで驚いたことに中央アジアの音楽とそっくりなんです。クスコの民俗音楽だと言っていました。ペルー行きが楽しみです。
また具合が悪くなってきたのでTAXに乗ってLuisの家に帰り、2時間ぐらい休んでからもう限界だと思い保険会社に電話をして病院の手配をお願いいたしました。Luisにも急拠帰ってきてもらい、いっしょに病院へ連れて行ってもらいました。肺炎を起こしているのかと思っていたのですが、先生は大丈夫と一言。体温が99.9Vでした。摂氏何度ですか?一日一錠のけっこう強そうな薬をもらい、少しずつ楽になりました。
 2月20日(sat) NEW YORK 
 今朝は初めて朝食を食べることができました。フルーツとスープですけど。New Yorkに来てハンバーガーを食べて以来の食事です。
今日はお留守番です。そしたら谷中さんから電話があり久しぶりの日本語でした。うれしいもんですね自分国の言葉でしゃべれるって。
 夜、Lionelの家でリハーサルをやると言うんでまた一緒に出かけました。TAXで5分ぐらいの距離です。やっとWAYNO全員集合です。3曲アンデス民謡をやっていよいよ僕の曲をやる時が来ました。じゃんじゃじゃ〜ん!!!。全員とても気に入ってくれていろいろアイディアを出してくれました。ちょっとはまり過ぎかなという曲になりました。お楽しみに。うっしっしっし!!!!。
この後Lyderと3人で一端Luisの家に戻り真夜中の日本語とスペイン語教室になり大盛り上がり…。Lyderの家へ。
 2月21日(sun) NEW YORK
 病院のちょっと強いくすりがやっぱり効いたのか、胸と喉の痛みは大分取れました。咳はまだまだ出ますが。
Lyderの奥さん手作リの特製フレンチトーストは絶品です。おいしかった。午後から初めてのNewYork観光?です。manhattanへ行ってきました。小雪が舞いとてもいい感じなのですが、車から降りるととてもさぶ〜い。33Vっていうのは摂氏何度ですか?セントラルパークの横のJohn Lenonが撃たれた場所(アパートの前)にミーハーにも写真をとってきました。公園の中のStrawberry feeldは、生前、よく詩を書いていた場所です。サークルが作ってあり、ろうそくがともしてありました。訪ねてくる人は絶えないような感じです。Times SquareやHotel Astriaの前に来てはじめて数多くの日本人を見ました。変な言い方かも知れないけどここがJapan Townなのかなって感じかな。ちょっと悲しい感じがしました。
中古楽器屋を探しに行ったのですがあいにく日曜日でおよすみでした。だれかいい楽器屋さん知ってたら教えて下さい。帰りにもう一度来ようと思います。
明日はペルー、明日はペルー、明日はペルー、!!!!
真冬から真夏に変わります。いよいよ本題に入ります。とても長いイントロでした。
お待たせしました。
今日はこの編でおやすみなさい。Buenas noches.

 2月22日(mon) NEW YORK
 午後10時発のlanchilの飛行機でリマへ行きます。Luisの友達達が空港まで送ってくれます。お土産を大きなバック一個に満タンにして行きます。まるでかつぎ屋のように…。
とても寒いです。マイナス12℃前後あると思います。明日はプラス30℃です。大丈夫かなぁ。

 2月23日(tue) LIMA
 朝6時にリマに到着。親戚の人たちが大勢迎えに来ております。車2台に乗って。空港の隣にある親戚の家でまずはひと休み。2件目の家が、滞在先みたいです。砂漠の中に作った人工都市と言う感じです。残念ながらほとんどが工事中でひと部屋だけ作ってそこで生活しているって感じです。したがって水もまだでない。給水車がやって来て巨大なポリバケツに入れて行く。ちょっとたいへんかもっというのが第一印象でした。あと車のクラクションの鳴らしかたが異常です。国民性の違いなのか全くと言っていい程デリカシーがありません。街を歩いていてもけっこううるさいのでたいへんです。

 2月24日(wed) LIMA
 また親戚廻りです。ジョニ黒もって。やっと少しご飯が食べられるようになった。でも食べれると一言いったらとてつもない量が、お皿に載ってくるので…。
クスコ行きの飛行機のチケットを買いに行きました。片道44$です。ここよりは静かだと思うので早く行きたいです。標高3300メートルの街です。インカ帝国の首都だったそうです。明日からおたのしみに。本題の本題にだんだん近ずいて来ました。
今日は変なことが2回もありました。日本語でよって何だかんだいって図々しくたかってくるやつです。たまにはLuisにごちそうしょうと思いシェラトンに向かって行く時です。シェラトンは高いからっと言って強引に違う店へ連れて行かれまたまずい飯を食わされた。Luisも人がいいからまっいいかですましたけど。日本にしばらくいてアイジョージのバンドでコンガをやっていたといううさんくさいやつです。みなさん気をつけましょう。
バスの中の乗客の首筋めがけひったくって行くやつ。被害はなかったもののいやな光景でした。
どうしてこんなによじれてしまったのでしょう?。困ったもんです。

 2月25日(thu) CUSCO
 今日からcuscoです。いきなりなんですが、cuscoに着いても荷物が来ない!!。よくあることなんでしょうか?空港のaeroperuのカウンターににいって問い合わせてもらいました。次の便で来るというのでまずは一安心でした。Luisの友達のまたこの人もLuisです。ワーゲンのワゴンに乗っててこれがまたいいです。何しろリマでは異常に飛ばしてたのに対してこの車は時速40Hがやっとって感じでなんかゆっくり走ってくれてとても良いです。
ここは標高3400メートルです。富士山の八合目あたりなのかな?。ふつうにしているとそんな高いという感じはしないのですが、荷物を持って坂道を昇ると実感が湧きます…。まずは一休み。少しずつ体をならして行かないと高山病になると言われたのでお昼寝です。実は僕はなんともなかったのですが。!でも清里より空気が薄いというのが実感できます。
夜、食事に出かけました。チキンを半分頼んだらとてつもないでかいチキンだったみたいで、4分の1にしてもらいました。それでも多いんです。この人たちの胃袋はいったいどうなっているんだろう?その後フォルクローレディスコまたいなところにつれていかれ、一応フォルクローレなんですが、ちょっとうるさくて聞いていられません。ベランダで聞いてもうるさいんだからとんでもないです。お客さんも異常に盛り上がる連中なのでまっこれでいいのかねェ〜。

 2月26日(fri) CUSCO / PISAQ 他
 今日は温泉に行こうと言うことになりました。ちょっとそこの温泉かと思ったら大きな峠を3つぐらい超えてとんでもないところまで行って来ました。清里から原村までちょっと”もみの湯”までと言う感覚なのでしょうか?ちょっと凄すぎる。片道やく3時間かかりました。でも途中に小さな村でとうもろこしをかじったりしてけっこう楽しめました。インカの人々が築いた家や円形劇場などが遺跡となって点々とありました。こんな山の中でなんで?というのが第一印象でした。でも、初めてという感じは全然しませんでした。なぜでしょう?遺跡の中の一件に入った時は、自然に「ただいま」という言葉が出て来たのには自分でもびっくりしました。本当にきれいに積み上げた石の壁とかは芸術品です。あそうそう、イギリスのストーンヘンジを思わせる波動を感じました。
車で走っていても妙に気になったのですが、頂きまで畑の後が残っている。山全体を御神体にしてそこから施しを受けるそんな感じがしました。現在の畑は山のせいぜい5合目あたりまでです。とうもろこし畑とじゃがいもみたいな花が一面咲いていました。川の縁に村が点在して山の麓で3500メートルぐらいなのかな?っていうことは畑のある山のてっぺんは高いところで4400〜500ぐらいってことです。昔はあたたかたのかなぁ。
Pisaq(ピサ)という村に行きました。とても静かな村で精巧なインカの基礎の上に粗悪なスペイン・ヨーロッパ文化の建物があるという村です。全然買うつもりがなかったのですが、カーペットを買ってしまった。デカLuisの友達ということでその気になってしまった。とうとう買い物がはじまったのかなぁ。今までほとんどお金を使っていなかったから急に沢山出ていった気がする。一食当たり3soles〜10soles(120円から400円)ぐらいですませていたのに418soles(125us$)も買ってしまいました。でも、ものはとてもいいやつです。多分街で買うと高いんじゃないのかなぁ。と、自己弁護します。もう少し値切ればよかったかな。今度、家に見に来て下さい。
あっ温泉の話を忘れてました。En valle sagrado deloj Inca Calca-Machakanchaというところです。もし地図を持っている方調べて教えて下さい。鋪装道路から砂利道に入って約40分秘境の温泉という感じです。でもとても汚いです。温度は36℃ぐらいでちょっとぬるいです。というか寒いです。清里のアクアリゾートみたいな感じのお湯質です。家族で湯治に来たという感じのグループがいくつか居ました。ちびLuisはちょっとびびってしまて入りたがらなかったのですが、とっと僕は入ってしましました。やっぱり温泉はいいです。!!!!!!!!!!!。もう一回行こうといってもちょうっと大変なところだけど…。今度はマチュピチュの温泉です。お楽しみに。
 夕方cuscoの街全体をを見渡せる、教会で写真をとっていたところインディオの親子をデカLuisが車に乗せて上げていました。とてもやさしいところがあるもんです。家に招きました。このインディオはシャーマンみたいな老人で、コカの葉っぱでいろいろ占ってくれました。不思議にもこの老人の言葉を聞いているだけですごく癒されている感じがしました。胸の扉を開いて暖かい風を送り込んでくれた感じです。こういう感覚で演奏できたら最高だなって感じました。がんばります。
夜、両替えに街に出て、帰りにちょっと寒くなったので手織りのジャンパーみたいなやつを買いました。ちびLuisは、市場の廻りでいろいろ売っている店にちょっと可愛い子がいると立ち止まり何かと話し掛けています。おかげでこのジャンパー買えました。35solesを28soles(1100円ぐらい)にしてもらいました。
今は真夏のはずなのに寒いです。清里の夏よりもはるかに寒い感じがする。
 2月27日(sat) COSCO
 今日一日どんな日になるか楽しみです。今朝は6時半に起きました。やっと体が元気になりました。元気で居られることのすばらしさを得に実感できる朝です。もう一眠りしようと思ったのですが、久しぶりのいい天気なので散歩をしてきました。はじめての一人歩きです。まるではじめてのお使いかなぁ。でも、得意の裏通りをたくさん歩いて来ました。さすがに後ろを歩かれるとちょっと緊張しますが…。その土地を知るにはまず裏通りです。地元の人の食べるレストランとかは、けっこういっぱいに成っていてMENU(定食)も更に安い。2soles(80円)で食べられるんです。下には下があるもんだ。
インカ帝国の首都であっただけに、街が良く整備されている。歩道や雨水の流れて行く側溝など1000年以上前に造られたものとは考えられないほどのものです。ヨーロッパ文化が本当に粗悪に見えてしょうがない。
教会にも行きました。やっぱりここはオアシスです。なんか安らぐ場所です。ここにある唯一ヨーロッパ文化の良いところかなぁ。中にあったエンジェル達とマリア像はペルー人の顔をしていましたおもしろいですね。
帰ってくると朝帰りのちびLuisが今度風邪をひいたみたいでまだ寝ています。毎晩毎晩飲み歩いてるからです。良い子は毎日早く寝て治しました。

 午後からMachu pichu(マチュピチュ)行きのチケットを探しに行きました。結構疲れましたが、気持ちだけ安く買えました。90$のファーストクラスと70$のビジネスクラス、55$のエスプレッソがありました。明日行くつもりだったのですが、ファーストクラスしか空いてなく、月曜日のビジネスクラスにしました。こんな所(ツーリストオフィス)で値切るやつはいないと思いますが、やっぱり「値切りの渡し」です。67$までまけてくれました。ついでにBOLIVIAのSantaCruzまでのバスチケットの値段も聞いて来ました。予定では、Punoまで行き、チチカカ湖の中の、Isla Taquile(タキーレ島)に2〜3日滞在して、La Paz経由でSanta Cruzまで行くつもりです。全部で65$でした。ただし乗り次の待ち合わせ時間を入れないで30時間です。どひゃ〜んです。もっともっと安く行く方法はありましたが、この時間を考えるとちょっと高めの良いバスを選ぶのが賢明と思いました。来週マチュピチュから帰って来てから買いに行きます。マチュピチュではLuisは日帰りとなりしばらくお別れです。先にLimaに帰りTumbes(ほとんどECUADORです)の親戚まで行くそうです。今度こそ一人旅です。と思いきや、今晩、デカLUISを訪ねて来た人は、マチュピチュのAguas Calientes(アグアスカリエンテス)のレストランでピザを焼いているというコックさんです。火曜日以降だったら付き合ってくれると言うので、とっと便乗いたしました。また日程がずれ込んで行きます。まっこれも良いですよね。マチュピチュの廻りの山につれて行ってくれるそうです。Aguas Calientesはお湯という意味の街です。温泉ですよ〜。温泉。やっぱり温泉。楽しみです。

 2月28日(sun) CUSCO / PISAQ
 今日はお昼からまたまたPISAQ(ピサ)に行ってきました。インディオ達の物物交換の市場です。からふるに着飾った民俗衣装をとても印象的でした。広場に所狭しと生鮮食料品などをならべて売っている姿はインカ帝国の時代から何もかわっていないような気がします。ただ僕を含めてですが、観光客が大勢来るので民芸品の方が主流になっているみたいです。お金をねだる子供達が大勢います。お金のいらなかった物物交換の時代にはなかった光景だと思います。西欧人がすべてを奪いさり、今度は我々お金を持った観光旅行者達がこの人達の心まで貧しくさせてしまったのではないのだろうか?。自分自身の見聞を高めるということは相手から奪いさるものもあるということを痛切に感じた日です。

 3月1日(mon) Machu pichu
 朝5時40分にシャトルバス(トヨタハイエース)が迎えにきて、駅まで行き、中型のバスに乗り換えMachuPichuへ向かいました。警察の車を先頭に何台ものバスで向かいます。警官も各バスに2名づつ乗っています。テロを警戒しているのかなぁ。
大きな谷を抜けて行くと雪のかぶったアンデスの山々の登場です。山は見なれているはずなんですが、ちょっと感動しました。この山を見て南米に来たのかなという実感が湧いて来ました。1時間ぐらい走ると突然の渋滞です。峠の下るところで土砂崩れです。粘土質の山なのでけっこう頻繁に起きているみたいです。銃を持った警官が大あくびをしながら見ているのが印象的です。1台強行に抜けようとしてはまっています。今度は軍隊が出て来て大形のジープでバスを引っぱりだし、脱出できた時は大勢の野次馬(僕も含めて)から拍手と歓声がこだましました。今度はブルトーザーの登場です。慣れているのかあっという間に車が通れる分だけ除けています。さすがに軍隊、警官がいっしょだと事が早い。1時間遅れで電車に乗り換え、Aguas Calientesに向かいます。そこで、久しぶりに日本語を話しました。ダンスを見に南米へ来たという夏信玲さんと布施由美子さんの2人組の女の子です。やっぱり自分の国の言葉っていいですね。
取り合えずAguas Calientesに着き、Luisの友達Wilberが迎えに来ていました。取急ぎ僕は安ホテルを探してもらい荷物を起きすぐにバスのところに向かいました。いよいよMachupichuです。中に入ったとたん今までの疲れも吹っ飛びただ息を飲むばかりです。ここに来るとは今まで考えたこともなかったのに来ている自分がまるで夢を見ているような感じです。今まで吸っていた空気とはちょと違います。やっぱりここは特別の場所です。自然と神を崇拝していたインディオ達の神聖な山です。ガイドの人がいろいろ案内してくれてただ感動するだけです。一番良かったところは日時計のところです。日時計に手を乗せると物凄いエネルギーというかバイブレーションを感じました。Luisも同じように感じたようです。巨大な石が震えているという感じです。一番高い位置にあるこの場所です。この話はもうちょと冷静になってから書きたいと思います。
夕方からAguas Calientesにいきました。もちろん温泉です。んー最高。日本人は何でこんなに温泉が好きなのでしょうか?それとも僕だけなのかなぁ。お湯質も塩分ちょっと、硫黄ちょっとって感じかな。山梨県の牧丘温泉みたいなかんじかな。とてもよい泉質です。そして、ここでも日本人に合いました。残念ながら2つの本間浩二さんと筑木和彦さんの男性2人組です。今日は日本語で話せてうれしい日です。
夜になってLuisの友達の店に行き渡米して以来はじめてのビールです。久しぶりです。アンコールワット以来です。健康っていいですね。しあわせの一杯です。ここでソロでミニライブをやりました。お客さんはチリから来た女性2人組とCuscoから来たカップル、そしてLuisの中間達です。月夜風、東方への旅立ちをやりました。Luisの友達が東方への旅立ちを買いたいといって来たが、お金がないので手織りのマンタと交換してくれと行って来ました。ただで上げても良かったのですが、Pisaqのインディオ達を思い出し原点に帰り物物交換ということにしました。明日持ってくるそんなので楽しみです。

 3月2日(teu) Machu pichu
 今日は雨です。朝から1曲出来ました。ケーナとチャランゴのからみ合う曲にしょうと思います。止まってしまった時間は取り戻せない。止められてしまった時間から何を見つめるか、という曲です。雨が降っていて今日は行くのをやめようと思ったのですが、曲ができたらどうしても行きたくなり11時ぐらいからバスに乗って再びMachuPichuに行きました。霧というか雲の中というか何のも最初見えませんでした。だいたいの位置関係は把握していたので、一目散に日時計のところに行きcontrolにおこられながらもまた触れて来ました。やっぱり他の石とはちがう力を再確認しました。不思議な石です。それからまた昨日の小屋のところに行き2時間ぐらい石の窓にすわって見ていました。すると雲が出たり入ったりでとてもきれいだったです。下から雲が上がってくるという感じです。何も見えなくなった次にさぁっときもが引き、山の回りに雲があり本当に空中都市という感じがしました。ちょっと言葉では言い表せない不思議な時間です。いつかまた来るよと一言いって山を降りました。雨のせいかグッバイボーイは途中からの登場です。いやぁーよくやります。それから、また温泉です。ん〜いいんです。これです。帰りの時間ぎりぎりまで入っていました。それから昨日のレストランEl menuに戻りLuisと合流です。物物交換のマンタを受け取りました。中々いいものでした。昨日出会った、ダンスの勉強しに来た夏さんと布施さんの2人組の女の子とCoscoで食事をしようと約束したので泊まっているホテルまで迎えに行ったところあいにく買い物に行ったらしくいませんでした。Luisはがっかり。取り合えず二人も腹ぺこだったので取り合えず晩御飯を食べに行きました。でかLuisに最初に連れて行ってもらった店です。さすがに3回目ともなると店のスタッフも覚えててくれてます。いつも地元の人でいっぱいです。ここの名産アンティクーチョというバーベキュウみたいなやきとりみたいなものです。けっこいうけますよ。ビール解禁ですから。2月16日のNew York以来のビールです。得に美味しく感じます。食後ホテルに電話をして彼女達を迎えに行きました。お土産を買いに露天の並ぶところで今度はデカLuisとばったり合い、僕らはビール、彼女達はなぜかスパゲッティです。その後なななんとディスコちゅうところに行きました。やっぱり彼らはラテン人です…。!!!!!!。4時ぐらいにホテルに送り届け、あ〜疲れた明日起きれるのかよぉうって感じです。ちょっと騒ぎ過ぎました…。反省してます。

 3月3日(wed) Puno(チチカカ湖)
 約8時間のバスに揺られほとんど寝ていましたが。途中4000m以上のところを走り、寝ぼけながらアンデスの雄大さを見ました。時々ですが。バスを降りたとたんホテルの客引き合戦に巻き込まれおもしろかったです。結局20solesのHostal RUBIというところにしました。取り合えず部屋はダメでも入るつもりのでした。何と20でもかなりいいんですよ。なかなか。明日のタキーレ島のツアーとLA PAZまでのバスの手配を先にして街をぶらぶらしに行きました。するとまた日本語で話し掛けて来た男性がいて、ん〜と思ったのですが、Limaの男みたいな波動は全然なく逆にこちらが心地よく話せました。日本語はまだ少しで、英語はまあまあです。Jaime Lipe Quispeさんという人で22歳なんだけど学校で教えていると言っていました。いっしょに食事をすることにしました。ここは物価が安い。なんと定食が2solesで食べられる。なんか好きな街です。あっそうそうここは、標高3850mある街です。富士山よりも高いところです。なんか実感がないけど。でも、階段を昇るときは少し息切れします。ただの運動不足です。

 3月4日(thu) Puno(チチカカ湖)
 今日は早起きしてチチカカ湖にでました。まずは、Isias Los Uros(ウロス島)に行きました。この島は、トトラと呼ばれる植物のアシを積み重ねて作った人工の浮島です。スペイン人に攻められて行き場がなくなってこの島での生活をはじめたそうです。テニスコートをちょっと広げた感じの大きさの島です。乗っかるとなんかふわふわしているような感じです。わりと穏やかで波のたたなそうなチチカカ湖ならではの島です。ここに灼く20名ちょっと住んでいます。観光客がお金を落として行くので生活は質素ながらもかなり変わっているような気がしました。何とソーラー発電機があるんです。これからこの島はどうなるんでしょうか?ちょっと心配です。葦船に乗せてもらいました。オール一本でコントロールするのはなんか日本の船道さんと同じ感じがしました。そして葦(トトラ)を2・3本とてくれて説明してくれるんですが、ほとんどがアイマラ語で時々スペイン語が出てくるおじさんなので想像で聞いていました。トトラの皮をむいて食べろと言うんです。一瞬と惑いましたが食べちゃいました。5cmぐらい。ねぎの辛味を取った感じです。うまく料理すればいい酒のつまみなりそうな歯ごたえでした。日本から来たと言うと、フジモリさんですか?とたづねられてしまった。「大統領のふるさとかい」みたいな感じで、話は僕だけで終わちゃいました。すごい人気があるんですね、フジモリ大統領は。すごいです。
そこから3時間のところにIsla Taquile(タキーレ島)があります。本当にでかい湖です。船着き場の標高3860メートルから約500段の石の階段を昇るのはさすがにきついです。酸素が薄いのかなぁーという実感が思いっきり感じました。まず日本では経験できないことです。でもすぐに慣れちゃうんです。上がりきったらあとは全然平気でした。食事の後、広場まで行くとインディオの人たちはいろいろ観光客相手におみやげを売っていました。そこの中でちょっと一休み。石段に座っていたおじいさんの横にひょこっと座りました。日本語とケチュア語でしゃべってたいへん面白かったです。ここでも日本はフジモリさんの故郷なんです。鶴を折ってあげて大喜びでした。作っている間、物売りのお母さん達も手をとめてこちらに全員注目でした。同じ船に乗っていたイスラエルの女の子 Riky SHERAZとお互い不得意な英語で話をしました。なかなか可愛いんです。21歳。大学でバイオテクノロジーを勉強していると言っていました。女の子2人と男の子1人の3人組みでした。今度イスラエルに遊びに行きます!!。帰りの船ではチリから来たラブラブのカップル AntonietaとTilsonと話をしました。僕は覚えてはいなかったのですが、同じホテルに泊まっていて、昨日の夜、ロビーで僕と昨日出会った学校の先生 Jaineさんとが「東方への旅立ち」を聞いていたのが興味あったらしいです。ちょっとした事で声をかけて来ました。旅って不思議です。行動を起こさないと何も生まれません。そしていったん生まれると時間を共有した仲間として一生付き合っていけるような気がします。たとえ言葉がちゃんと通じてなくても。何か今日はとてもいい日でした。みんないい旅を続けて下さい。そして、またいつの日か会いましょう。僕は明日からボリビアです。おやすみなさい。体がまだ船に乗っているみたいに揺れてます。

 3月5日(fri) PUNO-国境-COPACABARNA-LA PAZ
 今日は移動日です。Punoを朝7時15分に出て。一路コパカパーナへ。約4時間です。距離はさほどでもないのですが、道路事情があまり良くなくけっこう時間がかかります。途中に国境もありますし、出入国のチェックなどあります。バスの中で知り合った、武田真弓さんは、山形から来て、一人で約1ヶ月旅をしている女の子と出会いました。コロンビア・エクアドル・ペルー等をまわっているそうです。南米の旅は、小さい頃からの夢だったそうです。夢を一歩づつ叶えているっていう感じが特に感じました。なんか輝いているんです。国境では、他の2人の日本人の男性と4人掛りでスペイン語の書類に記入をしました。それでも全然分からないところがかなりあって困っていたところ、昨日出会ったラブラブのチリのカップルにいろいろ助けてもらい無事記入にボリビアに入れました。途中ラブラブのチリのカップルに「風の国から」を聞かせたところ最後まできっちり聞いてくれてすごく喜んでいました。特に彼女の方は、子供達の歌声の入いっている「風の国から」が気にいっていた様です。コパカバーナで、みんなと別れ、とうとう一人になりました。隣に座った Jose Maria Camacho Mermaというおじさんが、Cuscoに住んでいて今日は、La Pazまで行くと行ってました。そこで、「あんたギターやってのかい」みたいな感じで話かけて来て、旅の状況を話しました。それも英語で!!。なんと通じているみたいです。なんと、なんと上達したことでしょう。このおじさんもチャランゴをやっているらしくおれも作曲を少しやっていると言っていました。今度は「東方への旅立ち」を聞かせたところめちゃくちゃ気に入ってくれて大変喜んでいました。そこで「月の組曲 第一章 月の忘れもの」が何と原曲の「コンドルは飛んで行く」みたいな感じがする。と言ってこの曲をもう覚えて歌っていました。うれしいよね!!!!!!!。
夕方4時過ぎにLa Pazに着きました。バスターミナルはごった返しの状態ですごい人です。ここはほとんど英語が通じません。たった一人ほそぼそとでベンチに座っていたところ、「あんたギターやってんのかい」みたいな感じで話し掛けられました。ちょっと英語を話せるおじさんがよって来てこちらの状況は話しました。Potosiという街に住んでいる、Daniel Via Balderramaというチャランゴをやっているおじさんです。ちょっと腹が減ったので飯に行こうとと誘いながらもボリビアのお金はバス代を払ったのでちょっとしかなく、めし代にはちょっと足りなかったのですが、おじさんが出してくれました。やっとの思いで通じてることばに誠意もって接すればみんなAmigoなんです。本当に守られているという感じがしました。とってもうれしい日でした。
19時30分La Pazを出発です。擂り鉢場のこの街の夜景はとてもきれいです。日本にはない光景です。取り合えずとても寒いバスですが、寝ます。夜中なんですが、隣に座ったインディオ風のたいへん太ったおばさんのお尻が僕のシートまで少しはみ出るくらいの大きさで、おかげでおばさんのお尻が湯たんぽ代わりになってあたたかかったです。

 3月6日(sat) Santa Cruz
 夜中4000m以上の高地を走っている時は寒くてしょうがなかったのですが、明るくなり急に湿気のある暑い空気が車内に入り込み熱帯雨林の気候に変わりました。冬からまた真夏になります。出来たての空気のがこんなにいっぱいあるってとてもうれしくなりました。窓から入ってくる風はこんなにもありがたいものなんだということをちょっと山を降りたところで感じました。清里くらいの標高では、感じられない事です。隣に座ったインディオ風のおばさんは休憩の時も一歩も車外に出ず、トイレもいかないし水も飲まない、一体このおばさんはどうなっているんだ。朝の休憩の後、Punoのホテルでもらって来たパンを一個あげたら、喜んで食べていました。でも全く言葉が通じないのでやっぱりだんまりです。最後の30分ぐらいに鶴を折ってあげたらやっと口を開きました。何を言っているか何となくしか分からないけど。折り紙ってみんなを引き付けて心を開かせる力があります。これからは、「折り神」です。
いよいよSanta Cruzです。午後一時を少し回ったところでようやく着きました。Punoから約30時間です。ドイツのニュールンベルクからスペインのバレンシアまでの27時間を上回る新記録です。ちょっと疲れました。清里の知人達が来ているホテルコルチスというところにタクシーに乗って行きました。手持ちのお金は5bolivianosしかありません。タクシーのおじさんは最初10boliだというのですが、5boliしかないと言うと、7boliと言って、5boliしかないを通すとO.K.になりました。ローカルピープルプライスで交渉成立やった!!!!。ほんとに5boliしかないんだからしょうがないよね。ちなみに1bolibianoは¥20ぐらいです。
4時に一行がホテルに帰って来てその中の伴浩幸さんのお部屋に今晩泊めてもらうことになりました。何と一泊75$です。ふつうの人にとっては当たり前の値段ですが、今の僕にとっては高嶺の花です。Punoのホテルだと約10日分です。こんないいホテルに泊まっていいのかよって感じです。天はまだまだ高いところがありますが、ホテルのなんか天と地を体験したような感じです。
夕方、知花敏彦さんのお宅におじゃまして、明日みんなが帰るのでボリビア最後の夕食をお庭でいただきました。その前にちょっとミニライブをやりました。そして、あつかましくも知花敏彦さんの牧場のゲストルームにしばらく滞在させて頂くことになりました。本当に有り難いです。お食事会も終わりホテルに帰り、数人でカラオケに行くといってなぜか僕も着いて行きました。なんとGINZAというお店です。日系3世ぐらいの6・7人ぐらいのグループが日本の歌とスペイン語の歌を歌っていました。曲調は同じで歌詞が違うって感じの曲です。以前インドネシアに行った時、日本の歌謡曲と同じなんですが、どこかに民俗音楽のエッセンスが入ってすごく面白い感じがしたのですが、ここでは、日本そのままです。やっぱり日本製が一番なんですかね。…。
ブランデイを3杯ぐらいいただいたら一気に移動の疲れが出て先に一人でホテルに帰りそのままダウン。寝ました。

 3月7日(sun) Santa Cruz アンデス牧場
 さすがに疲れていたのか昨晩、伴さんが帰ってきたのも知らずに寝ていました。朝なんかばたばたしてたらしいが、全然おかまい無しに寝ていました。ゆっくり寝るなら高級ホテルです。いっぱい寝ました。ありがとうございます。宿泊代は伴さんがチェックアウトの時、一応、半額出そうと思ったんですが、なんと¥2000で泊めてくれました。こういう時だけ日本円の換算になってしまう。重ねてありがとうございました。朝食もうまかったです。たまには4つ星高級ホテルもどうぞ!!!。
空港にみんなを送りに行って、その足で牧場に来ました。アンデス牧場といいます。めちゃくちゃ広い牧場です。ちょっと僕の知っている広さの許容範囲を超えているので、今度、馬にでも乗ってひと回りしてから報告します。
しばらくここに居させてもらい、時間がなくてスケッチだけしてきた曲を完成させたいと思います。ここは電話はありません。したがって何日かに一回街に出てメールのやり取りをします。

 3月8日(mon) Santa Cruz アンデス牧場
 朝鳥の泣き声で目をさましました。そんなに寝ていないのになんとすがすがし目覚めでしょう。んん〜いいです。鳥の声で目がさめてこの感覚を曲にしてみました。なんかボサノバぽくなってなんか変です。アンデスのの曲を書くつもりが、この環境、熱帯性の気候のところに来るとまたちがった形で出てきます。まっいいかぁです!!。でも、中々気にいってます。おたのしみに。
ただひたすらぼーっとしてます。約20日間をゆっくり振り返っています。牧場のみんなは朝からとっても良く働いているのに、何か申し訳ないような気がします。ごめんなさい。一区切りつくまでぼっーとさせて下さい。
夕方、白い馬に乗りました。水飲み場までの片道約200mぐらいの距離ですが、鞍も着けず裸馬に乗りました。小馬が馬に乗ってます。とてもうれしいです。後で聞いたんですが、ふつう鞍着けないと、初めてだと落ちるはずなんだがねぇ〜!!だって。バランスいいねだって…!!。

 3月9日(teu) Santa Cruz アンデス牧場
 ここに来て2回目の朝を迎えました。今日は雨です。matyupityu以来の雨です。雨もなんかすがすがしく感じます。今朝はみんなにメールを書きました。ゆっくりと経過する時間を十分体で感じています。清里とはまた違う感じです。ここは、電話もない車もないところです。こんなにもゆっくりとした時間の流れを感じるということを忘れていた気がします。

 3月10日(wed) Santa Cruz アンデス牧場
 今日は朝から街にに出ました。コンピューターの修理とLimaまでのチケットの手配です。G3がどんどん具合が悪くなっています。まるで僕の風邪が移ったのかと思うくらいに…。一日歩き回ったがあまりいい結果がでませんでした。New YORKに帰る日を変更しょうとLANCHILで聞いてみたところ、変更ペナルティがなんと89$、困ったもんです。今の経済状態でこの金額は出せません。取りあえず18日にNew Yorkに行くことにしました。コンピューターは、最初に泊まったホテルコルティスの近くのSiystemacというお店です。何とこの店は知花勇さんのお友達のお店です。日本語が通じるラッキーです。Takahiro 瀬尾さんという方です。渡米する直前に8.1から8.5に入れたのですが、こちらに来てから徐々にシステムがおかしくなし、faxも送れなくなり、だめ押しが譜面書きのソフトEncoreがだめになってしまい、譜面書きはこれからは原点に帰り手書きでやります。ただ幸いな事に、ほんのちょっと前に嫌な予感がしたので、瀬尾さんにフロッピーを1枚もらい今回作った曲をコピーしました。その直後Encoreが動かなくなったという紙一重で助かりました。このデータが飛んだらすべてがやり直しになってしまします。なんせ、こんなに1度に曲を作ったことがないので。僕の頭のメモリが少ないので、作った先から忘れてしまわないと次に入れないのです。困った!!!!!!!!。明日の朝からもう一度復旧作業をやろうということで、今晩は牧場には戻らないで、清里のさっちゃん(重川幸子)の滞在しているアイアムという会社のお宅にお邪魔することになりました。SantaCruzで農場に今、家とゲストハウスを建設中で、石川昇さん、立上永子さん、設計士の安藤順さんと共同生活をしてがんばっている方々です。

 3月11日(thu) SantaCruz
 朝からMac病院です。いろいろやったが全然だめです。……。お昼からG3をお店に預け、チケットを買いに行きました。この街には格安航空券というものが、存在していなく非常に高い…。ダイレクトにいってもストップオーバーでも料金は同じなので、La PazによってからLimaに活きます。月曜の早朝7:15発です。たいへんだぁ〜。でも大丈夫。牧場に居ると朝が気持ちいいんで早起きなんです。!!!。
勇さんのはからいで、日曜日は、父の日らしくみんなが集まるというので、コンサートをやることになりました。おたのしみに。
結局Macちゃんは完全復帰出来ず、インターネットだけでも使えるようにしてもらいました。…。譜面が書けない。これからは手書きです。
夜、瀬尾さん、勇さん、僕とで食事に出かけました。環状線沿いの大きなレストランです。炭焼きの肉、肉、肉もうひとつ肉です。どうしてこんなに食べれるのだろう?でもうまかったです。カラオケをバックの歌っている男性歌手ものすごくいいかげんなんだけどめちゃくちゃうまい歌い手です。まるで昔、高岡でやっていたビヤガーデンのバンドを思い出す光景でした。

 3月12日(fri) SantaCruz
 午前中、石川昇さん達の建設中の所に行ってきました。1haの土地に住居、ゲストハウスなどを建設中でした。100m四方に農園のモデルを作るといってました。乾季の時のために生活廃水を浄化して溜めておく巨大な池、井戸も100m掘ったそうです。2反の田んぼと野菜をつくり、4方の400mを花を植えて散歩道にするそうです。ちょっと日本とはスケールが違います。これでも大変小さい方だそうです。
お昼にアンデス牧場に帰って来ました。街よりやっぱりここがいいです。鳥、牛、馬、虫そして遠くのジァングルから猿の声が響き渡る楽園です。ほんのちょっと人間が仮住まいさせてもらってるって感じです。お昼を食べてからお昼寝のつもりが夕方まで寝てしましました。なんか安心してここでは本当によく眠れます。ありがたいです。

 3月13日(sat)SantaCruz
 明日14日、昼と夜2回のコンサート依頼がありました。知花勇さんに全て任せてありますので、また会場などあとで報告したいと思います。
づーっと作曲仕様であったこの頭の中が、コンサートが決まると頭の中は、コンサート仕様になってけさから、1曲も出てきません。おもしろいですね。なので相変わらずぼーっとしています。今日は良い天気です。
寝て曜日の本日、朝御飯食べてから1時間、昼御飯食べてから3時間、この間にちょっと洗濯、夕日を見ながらうとうとなんと夕方6時には夕食もとらず本気で寝ました。どうしてこんなに眠いのでしょう?やっぱり体内時計は春になっている。ここは秋なのに。そして、夜中起きました。2時に。ちょっとお腹が空いたので、インスタントラーメンを食べて、洗い物をしている時に突然停電。お月さんがいないこの時期、真っ暗で何も見えません。しょうがないからまた寝ようと思ったのですが、窓越しに星がちらほら。街灯のないジャングルの中、とんでもない量の星の数です。清里もまだ多い方だと思っていましたが、ちょっと話になりません。今回始めて見た南十字星、バリ島以来の2年ぶりの御対面です。日本で見えないとなると何か稀少価値のある星に感じます。後は星の数が多すぎて星座がわかりません。もう一つとてもきれいだったのが、ほたるです。ここは、ほたるがたくさん乱舞しています。こんなにまとまったほたるもはじめてです。星と同じくらいの明るさなので空も大地も星だらけです。農薬を使わないこの牧場だから見られるんですかね。多分日本でもこの光景はどこでも見れたと思うんですが、失ったものは大きすぎるような気がします。この光景が当たり前のようにどこでも見れれば良いんですが…。1時間ぐらい星とほたるを見て寝ました。懐中電灯がはじめてやくにたった日です。

 3月14日(sun)SantaCruz
 今日は日の出前に起きました。何という健康的なことでしょう。まっ昨日あれだけ寝れば起きますよね。知花勇さんの子供達と日系人のクラブに行ってきました。3・40家族ぐらい居たのかな。今日は父の日をかねてのパーティだそうです。月に1回やっているそうです。子供達はプールでおおはしゃぎ。本当にみんな元気です。こうやってみんなで遊んで、つながりを深めていく、3世4世の子供達が20年後30年後にとても強い絆でつながっていくような気がします。移民の人々の歴史というか知恵というのかを見たような気がします。突然のスコールの後、晴れ間が出てから「とうさんの歌」「東方への旅立ち」の2曲を演奏しました。とてもみんな気に入ってくれたようです。この後、知花邸に戻り沖縄料理をごちそうになりました。始めてだったのですが、とてもおいしくいただきました。にがうりの炒めもの、豆腐チャンプル、名前をちょっと忘れましたがきしめんみたいののチャンプル他です。夕日が地平線をゆっくり降りた後、まだ空が明るい頃、金星が出てきました。ぼーっと見てると作曲仕様にもどり「思い出のSanta Cruz」がで来ました。なぜかタイトルもその場で決まりました。Santa Cruz最後の夜にもってこいだな、なんて一人でハイになっていました。ちなみに、知花邸は、6000坪あります。自然の湧き水でできた池、たくさんのくだものの木々があります。このハイになっている最中、隣の喜瀬普二男さんのお宅にお座敷の電話です。一度は中止といわれたのですが、やっぱりやることになりました。作曲仕様になっていた頭が突然コンサート仕様に変わりました。ん〜ん!!。8名ぐらいのホームコンサートです。始めてお会いして、なんかやくざの親分みたいな感じがしました。ちょっと失礼かな。「おれ音楽好きだけど口悪いからね!!」の一言。ちょっと困った。お客さんの娘が18歳でピアノをやっている。来年から学校で教える資格がもらえるとか…。ん〜んです。ちょっと眠いし。お腹一杯だし。条件最悪。まっやるか!!の開き直りで始めたのがなんか調子良いぞ!!「とうさんの歌」「舟屋の歌(かあさんの歌)」粋なりは入り込んで弾けました。喜瀬さんはうるさい曲が好きかなと思っていたのですが、けっこういけてるみたいです。仕上げに「東方への旅立ち」で無事終えました。なんでもっと早く知り合わなかったのかとちょっと悔やんでいました。実は、今年の6月に移民100周年大きなイベントがあり、ディアマンテスというグループがやるそうなんです。私は実行委員をやっているからもっと前に知っていたらお願いしたのにとのこと。このグループのことあまり気に入ってないみたいです。明日La Pazに行くと言うと、当てでもあるのかといわれ、ただ行くだけですというと。友達以上の友達がいるからそこに行きなさい、といきなりLa Pazに電話。中宗根光彦さんというJICAのトップの方です。日本からボリビアへの農業関係の援助を判定を決定する方だそうです。農林省のとっても偉い人です。まっ明日のお楽しみ!!。
 3月15日(mon) La Paz
 今日も日の出前に起きました。7時15分発の飛行機でLa Pazに生きます。空港まで喜瀬さん夫妻が送ってくれました。それと、CDを3枚買ってくれました。とても嬉しいです。なんと風の国からを2枚と東方への旅立ちです。しかも100$もくれるんです。今度くる時はちゃんとギラ払うからだって。今度くる時は早めに連絡しなさいって!!。ありがたいです。なにからなにまで。ありがとうございました。Gracias Amigo. Adios Santa Cruz.
バスで20時間かけて来た道のりをたった1時間寝る暇もなかったです。なんてこった。あ〜あ。空港の出ると中宗根光彦さんが待っていました。すぐにわかりました。ランクルに運転手付きです。本当にいいのかなとちょっとおじけづきましたが、中宗根さんとお話しているとなんか初めてと言う感じはしませんでした。空港から市街地に向かう途中、PunoからSantacruzに行く途中寄った、バスターミナルがありました。なんか懐かしい感じがしました。どうしてでしょう?ずうっとずうっと前のことのようです。荷物を高級マンションに置き、事務所へ行き、秘書のAntonieta Tedesqui Ardayaさんと運転手のおじさんTeodocio Quispe Maytaさんと4人で朝ごパンです。朝はみんなのお金をあまり使わせないようにと事務所で朝食を取るそうです。毎回中宗根さん出しています。街を散歩です。あちこち案内してくれました。坂の多い街です。平らなところはちょっとしかなくその通り銀座みたいな高級店が並びます。昼、夜と静かなレストランでお食事です。ごちそうさまでした。
 3月16日(tue) La Paz
 今日も早起きです。まだ暗い内から夜景を見ていました。本当にきれいな夜景です。家の明かりはほとんどなく街灯がたくさん集まって見事です。ここはビルの16階なので良く見えるんです。朝6時半ぐらいから1つづつ明かりが消えてゆくのが見えました。また朝の始まりです。朝から風呂に入りました。アグアスカリエンテス以来の湯舟につかりました。お風呂はいいですね〜!。風呂上がりにこれを書いております。19日の朝、New YorkのJ.F.K空港までLonelに向かえに来てもらうように電話しました。なんと僕の英語が通じました。ちょっとスペイン語を交ぜてしゃべりました。とても良い朝です。空は曇っているけど。
夜、中宗根さんのお宅でパーティです。ミニコンサートになりました。日本大使館に勤務する、チャランゴ奏者の福田大治さんと共演しました。何年もこちらに滞在し、日本の大学でスペイン語を教えていたそうです。地球の歩き方の南米の記事(音楽関係他)をけっこう書いているそうです。持っている方は探して見て下さい。あとJICAの関係のIkuo 山田さんをはじめ7〜8人集まり、夜遅くまで盛り上がりました。お昼にお手伝いさんを夜のパーティーに誘いました。この事がとてもうれしかったらしく、彼女は来れなかったのですが、変わりに娘さんが大学の授業が終わってから来てくれて、ローソクの燭台をプレゼントを思って来てくれました。こちらの方がうれしいです。こに燭台を早速コンサートに使いました。2時半頃まで飲んでいました。幸いな事に気圧の違いがほとんど気になりませんでした。ここは3600m位です。朝起きれるかなぁ〜。
 3月17日(wed) Lima
 7時に空港に送ってくれました。何から何までお世話になりっぱなしで本当にありがとうございました。また来年も盛り上がりましょう。
飛行機の中で、1つ隣の席に座ったビジネスマンに入国カードの書き方を教えてもらいました。最初はとても無愛想なタイプの人でしたが、ちょっとづつ教えてくれました。お礼にまた鶴を折ってあげようと思ったところ、教えてくれといって一緒に折りました。やっぱり鶴は心の壁を取ってくれます。とても喜んで、子供にあげると言っていました。そこで、旅のいきさつを話、大変興味を持っていました。彼はカナダのmontrelにすむ、JM Asbestos inc.のAndre Royさんです。3年前神戸に行ったと言っていました。CDを聞かせたところ非常に興味をもち、送ってくれと名刺をもらいた。カナダにも僕のCDが行きます。数が少なくてもとてもうれしい気がしました。
またLimaに帰って来ました。曇りです。最初に来た時は夏真っ盛りでしたが、秋の気配なのか涼しいです。暑いの嫌いだから有り難いです。空港にはLuisが迎えに来てくれました。cuscoで別れてから両親の住んでいるブエノスアイレスに行っていたそうです。昨日帰って来たと言っていました。明日のNew Yorkに帰る飛行機のリコンファームをしにセントラムまで行きました。前にcuscoまでのチケットを買った旅行代理店に行きました。Michellという女性です。席につくなりTatsuyaさんお元気ですか?と僕の名前を覚えていました。僕は覚えてなかったですけど。帰りがけに写真を取りました。へっへっへ…。
3人家族で、Edgar chamorro Galindoと奥さんのEdith Covenas Renteriaさんと4歳くらいの女の子のCarmen Edith Juanitaです。
洗濯機を借りて洗濯をしようと思ったらEdithがやるといい任せたところ、なんと機械を使わず、手で洗ってくれるんです。やり方を見ているとお見事です。今まで洗濯機に放り込んでいた僕達のやり方は、時間を有効に使えますが、衣類に対する愛情がなくなっているような気がしました。手で丹念にシャツや靴下、パンツをきれいに汚れをもみ落としていくのです。1枚1枚丹念に洗っていく姿に感動しました。最初に来た時は水が出なかったのですが、出るようになっていました。当たり前のことなんですけど水が出るってうれしいですね。
 3月18日(thu) Lima
 今日はNew Yorkに帰る日です。昼から荷物が入り切らなくなったので、マンタで作ったバックを買いに行きました。ほとんど一回使ったら壊れそうなのばっかりで、かなり歩き回りました。幸い結構いいのが見つかりました。25solesを値切って20soles(約\800)にしてもらいました。大統領官邸とかFujimoliはここに居るよって教えてくれました。街はあちこちに軍隊の戦車の小さいやつとか、自動小銃をもった警官がたくさん出ています。テロ対策なんですかね〜。力で制圧するしかないこの街の平安を心から望みます。みんなの意識を少しづつ変えていけば良いような気がするけどそんなに甘くないし時間が相当かかると思う。最後までいろりろやってくれたEdithに心から感謝します。7月に2人目の子供ができます。来年またこちらに来る時はカルメンはおねぇちゃんになっています。楽しみです。10時に空港に向かいます。帰りぎはにさよならのあいさつをしたときは、やっぱり涙が出るもんですね。ありがとう。空港にLuisとEdithのお父さんのRemberto Couenas Valaerdeが送ってくれます。彼はLimaから370km離れたCasmaという街でとてつもない大きい農場(聞き違えじゃなかったらアンデス牧場の4倍の広さ<山手線2個分>です。)と貝の工場をやっています。年は家のおやじと同じで体型も似ています。今度来る時は、Casmaに来いって言ってたので今度行きます。多分相当暑いところだと思います。
良い出会いをありがとう。出会った人達に心から感謝します。GRACIAS AMIGO. PELU,BOLIVIA.
 3月19日(FRI) NEW YORK
 また帰って来ました。午前8時ちょっと前に着きました。なぜか簡単に外に出られちょっと拍子抜けしましたが、LEOが来ない。待てども待てども来ない!!!!。どうしよう?電話しようと思っても小銭はないし、Berでは両替してくれないし、ん〜困った。そこで、真っ赤な制服を来た黒人の大男のインフォメーションの人がよって来て「どうしたんだ」と声をかけてくれて、「電話する小銭がない」と言うと上の階でできると教えてくれたのですが、この荷物をもって帰ってくるのは大変と思いもうしばらくそのまま待っていたのですが、来ない…。インフォメーションの人にお願いしてLeoの家に電話してもらいました。なんとまだ家に居た。20分で来るからと、1件楽着。このお兄さんに鶴を折ってあげると本当に優しい顔でThank youと言いました。優しい目が非常に印象的でした。午後からManhattanの楽器屋さんに行って来ます。
LeyderとTimes Squareで待ち合わせはじめての地下鉄なんとかなるさで一人で乗ってみました。面白いです。いろんな顔が見れます。東京では、決して見れないですね。人間の万国博覧会です。黒人を見るとちょっとびびってしまうという気持ちそのものが人種差別かなぁなんて考えました。朝の空港の黒人に助けてもらった事で、ちょっと見る視点が変わったような気がします。Leyderと楽器屋めぐりです。New Yorkは非常に高いですね。東京とそんなに変わらないような気がします。そして、なかなか良いギターに出会えないです。その方が今はいいのかも…。今日はほんとによく歩きました。1av.23st前後から7av.のMadison Squareまで歩きました。地図持ってる方は見てみて下さい。Leyderが参加している別のグールプがMadison Squareの地下街でLiveをやっております。夜7時から10時までやっていました。CDがけっこう売れるんです。この3時間で7〜80枚売れたような気がします。良い商売になります。時間帯によっては歩いている人も足を止め、聞き入る人の多さに驚きました。もっと驚いたのは、俗に言う、あぶないおじさん達の反応の良さにはびっくりしました。ものすごく感性が豊かなような気がします。そして、とってもいい目をして楽しんでいます。見ている僕の方がうれしくなってしまいます。このグループでは、やはりLeyderが一番地に足がついていて、とても良いタイミングでリズム、ソロをやります。おじさん達はその瞬間を逃しません。演奏者でなければ多分入り込めない領域のような気がしますが、わかっているんですよ!!!!。びっくり。明日いっしょにやろうと言う事になり12時から42st Grand Centralで参加します。前回は風邪ひいて死にそうになってやったので、もうちょっとちゃんとできるかなぁ〜。ぼくのCD1枚もありません。今度来る時はもっといっぱい持って来ます。では、明日をおたのしみに!!!。
 3月20日(sat) New York
 昨日のグループに今日は参加します。42st Grand Centralという所です。とても大きい駅です。東京みたいな感じかなぁ。でも雰囲気は新宿駅みたいな気がする。アーチが型の天上に牡羊座から蟹座ぐらいまでだったかなぁ星付きの巨大な星座の絵です。アンタチャブルの最後の方に出て来た駅でのシーンをお思い出させるような場所です。1時くらいから演奏が始まり休憩入れて3時間弱やりました。やっぱりあぶない変なおじさん達がいい反応しています。回りのノイズで細かいニュアンスとか聞こえないと思っていましたが、ちゃんと伝わっているみたいです。とてもたのしいですね。僕がソロを取ると自分のスタイルでやるので、ちょっとフォルクローレから遠ざかるようなきがしますが、なんかこれでもけっこう面白いサウンドになっています。なんとギャラをもらってしまった。演奏が終わって来週の水曜日是非また来てくれないか、We need you. なんて言われちゃいました。そして、ギャラをもらってしまった。、何と60$と小銭いっぱい。南米から帰って来たばかりの僕の頭は南米の貨幣価値になっていてこんなに大金もらっていいのかよなんて思いましたがやっぱりもらいました。こっちではCDを4枚買える金額です。早速HMVという巨大なレコード屋に行き、2枚のCDを買って来ました。そこで見つけたのが、なぜだか、David LiebmanとPat Methenyが一緒にやっているWatarというアルバムとギターを始めた頃の僕の永遠のアイドルJeff BeckのWho Elseという何年ぶりかで出た新しいアルバムを買いました。そこに置いてあったチラシを見ると近くのタワーレコードで新譜記念のサイン会をやっている事を発見したのですが、時すでに遅しでした。やっぱりまだミハーな気持ちは中学時代となんら変わってないのかしら…。残りのお金は今日の晩御飯とNewArk空港までのバス代にします。ありがとうございます。
 3月21日(sun) New York → Naiagara falls, CANADA
 朝9時ちょっと前にLeoの家を出ました。家の向かいの屋台で売っている物が何か?と、いつも窓越しに見ていたのですが、近くによって見るとなんとPeluでしょっちゅう食べてたアンティクーチョそっくりなんです。おじさんにこれは何ですか?と聞いたが名前は忘れてしまった。ギリシャの料理だそうです。1串2$です。おいしかったです。Peluとの違いは、肉が柔らかいです…。42st,8avのバスターミナルに直行です。朝のマンハッタンもなかなか良いです。午前11時25分発のコンチネンタルでBuffloにまず行きます。1時間遅れで出発しました。何やってんだかって感じです。Buffloに着いてちょっと戸惑いました。なんと客引きがいない!!。いつの間にかこれが当たり前になってる自分に思わず笑ってしまいました。こっちはずいぶん雪が降ったみたいです。夏になったり冬になったり今回は本当に変な旅です。たぶん気温は2〜3℃って感じです。偶然バスの事を聞いたらバスの運転手だったのでちょっと高いのですが、ツーリストバスに乗ってNaiagara Fallsへ行きました。橋を渡ってゲートを抜けるとCanadaです。税関が戸惑っているのか、橋を渡りきるまで約1時間ゆっくり寝させてもらいました。橋を渡るとバスは並ばずにバス専用の税関へいきました。ここで始めてちょっと得した気になりました。あのまま並んでいるともう1時間ぐらいかかりそうな感じでした。閻魔様も金しだいなんですかねぇ〜。地球の歩き方に書いてあったReinbow bridgeの2〜300m下流のB&B, Glen Mhor Guesthouseという所に2晩滞在します。とてもきれい宿です。1泊朝食付きで、50CA$です。(1CA$≠\82ぐらい)さっそく大瀑布まで行って来ました。この街は地響きの街というのがまだ見えぬ大瀑布の第一印象です。低周波というか可聴帯域を超えた振動で伝わってくるんです。Reinbow bridgeに近くなると、だんだん見えて来ました。1歩づつ近づくとなんかわくわくして来ます。以前NHKでも生中継して映像を見てなんとなく想像していましたが、実際に見えている滝の大きさにも驚かされます。この物語を創ってくれたことの大きさにも驚かされました…。観光客もまばらでやっている店も少なく。まるで清里の冬みたいです。でも、今しか見れない氷りで埋まってしましまった川はとても不思議な感じがします。表は分厚い氷の固まりで、その下をたぶんものすごい勢いで滝から落ちてきた水が流れていっています。巨大な氷柱も見事です。すべてがデカイ国です。明日はアメリカ滝の上から見に行こうと考えております。
 3月22日(mon) Naiagara Falls
 地球の歩き方に書いてあるとうり、奥さんというか前にも横にも大きなお母さんの手作りでたっぷりの朝食です。とてもおいしくてなんと全部食べました。昨日、誕生日だったので鶴を2羽つくってプレゼントしました。今日は、吹雪きです。真夏の太陽の国と風雪の吹く氷った国とを歩けるなんてとても不思議な感じです。本当に行って来たのかなぁ、すべてが夢だったのかなぁ、なんて考えています。現実、空想の交差する接点にたってバランス良く歩いて行く、当たり前の事だけど当たり前でなくなってしまっているような気がします。CanadaからAmericaへ国境のレンボーブリッジを吹雪の中歩いて渡りました。滝からの水煙がそのまま氷って飛んで来るような気がします。さぶぅ〜い!!!!。雪でほとんど滝が見えません。音だけが響きます。ほとんど観光客がいない時期に来るのもゆっくり歩けていいなぁなんて、開き直っておりました。でも実際だれにも邪魔されず自分のペースで歩けたのが良かったです。こんな吹雪にあったのはスキー場ぐらいですね!!。普段だと絶対に車なんですけど…。でも、歩かないと見つけられないものがたくさんありますね。滝に向かう途中、ふと思ったんですけど、何万年も前に中央アジアから歩いて渡ってきた人々もこの滝を見てたような気がしました。この土地北米に残り、根を張り生活をはじめたアメリカインディアンの人達、それからもっともっと旅を続けて自分自身にそして神へ近づこうと中米、メキシコそして南米、アンデスまで行ってしまった人々、ほんの一瞬なんですけど垣間見たような気がします。私のお父さんがNaiagaraに連れて行ってくれなんて言わなかったら多分来なかった場所だったと思います。この街は、人工的でなにもない街です。ただあるのは、悠久の時を超えてきた水の流れだけです。インディオの軌跡を一瞬でも感じる得る機会を与えてくれた事を心から感謝します。ありがとうございました。
 3月23日(tue) Naiagara Falls〜Bufflo <Continental 792 17:40 >〜NewYork
 今日は快晴。昨日とは正反対の天気です。初日は曇り、2日目は吹雪き、3日目は快晴、一応一通りの天気を体験できました。毎日違う顔のNaiagaraを見れたのはもしかしてラッキーなのかも知れません。朝食をまたたっぷりとって滝にお別れを言いに行って来ました。この3日間まったく日本語を話す機会がなく、ちょっと寂しい気分になっております。2月16日からの2週間よりもこの三日間の方が寂しいですね。この街には滝のそば意外自分のいる場所がない、そんな感じです。すべてを変えられてしまって自分の安息の場ない。この感覚はインディアンの人々の感覚かも知れないということ感じました。Naiagaraの意味はちょっとわからないですが、きっとインディアンのつけた名前のような気がします。Pelu,Boliviaのインディオの人々は居場所が変わりながらもアンデスの山々を敬いそして聖なる山として、生活に直結していたのを深く感じさせられました。自分達で作った織物など生活のためとはいえ、本当に良いもの作ろうと一生懸命になっている人々をすごく思い出させました。当然まがい物も多かったですけど、その中から一生懸命、愛を込めてものを作るものには、とても引かれます。そういう街を歩くのは大好きになっていました。本物か偽物かというよりも、どれだけ愛を込めて作れるかということを求めていたような気がします。
この街には、物乞いをする人も物売りもいません。街もとてもきれいです。でも大切なものをインディアンといっしょに失ってしまったのかなぁなんて思いました。今、空港のロビーでこの文を書いております。出発までまだ2時間もあります。Buffloの街に行って楽器屋でも探そうと思ってたんですがどうも行く気になりませんでした。上っ面の仮想世界とおおいなる水の流れからここに居た人々の自然との深いつながりを感じさせてくれたNaiagaraに心から感謝いたします。どうもありがとう。
NewArk空港からバスに乗り48St,8Avのバスターミナルまで行きます。最初にNew Yorkに来たコースとほとんど同じ道できています。New Yorkの摩天楼を見なれてしまったせいか、最初の驚きと感動かちょっとうすれていまったかもしれません。でもすごいビルの怪獣達です。Leoの部屋の鍵が壊れたらしく新しい鍵に取り変えてしまったので部屋には入れず、そして夜中の12時過ぎでないと帰らないとドアにメモが貼ってありました。Leyderに電話して迎えに来てもらいました。てなわけでLeyderの家に泊まります。
 3月24日(wed) New York
 この1ヶ月半で、とくに感じたのはのは英語圏よりもスペイン語圏の人々の方があったかくって一生懸命に生きているという感じがとくに感じます。変なやつの割り合いも非常に多いですが…。南米だけに限らず、NewYorkでも言えると思います。同じルーツのインディオの血の混ざった人々は特に感じます。今日のお昼に、チャランゴのLeydarと2人でちょっとリハーサルをやりました。2曲です。めてゃめちゃ気に入ってくれたみたいで、とてもうれしいです。終わった後、しばらくしていきなり口ずさんでいました。おもしろいですねぇ〜。まだ南米から帰ってこないので、ケーナのLuisを抜いて明日の夜ミーティングとリハーサルをします。
 3月25日(thu) New York
 今日は朝からMark St,1stの中古楽器屋を探しに行ったのですが、Openが12時からで開いていませんでした。とことん楽器屋には縁がありません。やっぱり行くなという事になんですね。と、いうことにして今回楽器はあきらめました。昼からLeyderのグループのお手伝いです。ドルの持ち金が5$しかなく両替えしょうかと思っていたのですけど、演奏を手伝って2日間分の食費ぐらいの分配金がありました。これからは、金がなくなると地下道で演奏して食いつなげそうです…?。夜、Panccho,Leyder,Leonelと打ち合わせとリハーサルをやりました。曲がちょっとはまりすぎかなぁって感じなくらいはまっています。
あそうそう、今日の昼のグループのケーナのFaustino Cutipaは僕が2日間滞在したチチカカ湖のPunoという街の出身です。彼はアンデスのインディオのケチュアの血をひいている演奏家です。1月の終わりに清里でチチカカ湖を想像して作った曲なんですけど、ちょっとその曲を弾くと彼は、僕の村の曲に似ていると言い、ケーナでその曲を弾くと近いものを感じました。聞いた事もない土地、聞いた事のない音楽が、ふと一致すると言うのはとてもおもしろいですねぇ〜。
 3月26日(fri) New York
 昨日から明日まで3日連続でsubwayの広場で演奏を手伝うことになりました。11時に42StTimesSquareで待ち合わせていたのですが、Leyderが、僕にとっては朝食はとても重要なんだと言い、11時過ぎているのにJacksonHts RooseveltAvの駅の真下にあるコロンビアレストランで食べました。コロンビア時間だからいいんでなんていっています。ん〜ん。まっいいかみたいな感じで行くと御飯にぐじゃぐじゃ卵焼きの中にトマト、たまねぎを入れてある、とてもシンプルな料理です。そこになんと餅の焼いたのまでのってるではありませんか、ちょっと驚きました。まるで日本食です。餅があるとはほうとうにびくっくりです。ウエイターの男の子の顔がまるで日本人でした。エルサドバドル出身で、おじいさんが日本人だそうです。これも驚きでした。一時間遅れで待ち合わせ場所へ、そして昨日と同じ、Lexington Avでやりました。さすがに金曜です。80枚のCDが完売でした。6人で一人あたり$130ちょっとになりました。アンデス民謡を勉強させてもらいながらお金までもらってしまって…。貧乏なのでとてもうれしいです。
 3月27日(sat) New York
 今日は僕が寝坊しました。一度8時前に起きてTVを見ていたのですが、2度寝をしたら10時になっていていました。でも、やっぱりコロンビアレストランに行くんです。今度は日本時間になってしましました。まちがえました、加藤時間でした。ねっカトちゃん!!!!!。昨日、日本人は必ず時間は守ると言ったのですけど、あっさりカトちゃん時間をしてしまいました。今日は、42st Grand Centralです。みんなどうもありがとう。
今日は、最後の夜です。本当にそんなにたったのかなぁ〜って感じです。出会った人達に心から感謝いたします。いったい何人の人たちとことばを交わし住所のこうかんをしたんだろう。言葉じゃないけどなんとか通じあえれたのがとても幸せな気持ちです。ここに来る前から携わってくれた方々にも心から感謝いたします。ありがとうございました。そして、ありがとう北アメリカ、南アメリカ!!!!。
 3月28日(sun) New York to 日本
 CONTINENTAL 9 NEWARK空港 11:00発 で帰ります。29日の何時に到着つるか知りません。メモがどっかに紛れ込んでしまったみたいです。今はもうすぐAM3:00です。じゃあもう寝ます。カトちゃん時間にならないようにしなければ…。また明日。
4月11日のコンサート終了後、スライドで今回の写真をお見せしたいと思っております。ぜひ来て下さい。おたのしみに。
7時10分にLeyderが起こしてくれました。7時40分頃家を出ました。最初に来た時通ったQeensBrigeを渡ります。この橋からはとてもマンハッタンがきれいに見えます。川岸一杯にNew Yorkの摩天楼のビルの怪獣達が居ます。スティーリーダンのニューヨークの摩天楼のジャケットを知っている人は分かると思います…。本当にここは怪物の街です。ここでは観光らしい事は何もしなかったので、多分近い内にまた来ます、と怪物達に別れを告げてマンハッタンを横切り、リンカーントンネルを抜けるとそこはニュージャージイです。なんと9時に空港についた。今日は日本時間だ!!とLeyderと大笑い!!!!。本当にいいやつです。高い空港のレストランで今回の旅、最後の朝食です。来年8月に奥さんの国プエルトリコに移るそうです。来年はプエルトリコに行く事を約束しました。それまで、たぶん何回も会うと思います。 5月中旬まで約6週間、また会う日までやることは山ほどあります。この旅から与えてもらった曲を振り返りまたNew Yorkに送り返します。そして近い将来南米にも里帰りさせたいと思います。そして、譜面書きソフトが壊れたおかげでまたいろいろ気づかされました。機内の中でこの文を書いています。NewYork時間で17:40、です。後、6時間ちょっとです。
 3月29日(mon) 日本 帰国
 無事帰りました。皇居のそばの千鳥々淵のさくらが少し咲いていました。日本だなぁ〜てとてもうれしくなりました。この旅のスライドを先ほど出しに行きました。明日の夕方出来上がるので、それを持って清里に帰ります。今度は清里でゆっくりひもをほどいてみます…。出会ったたくさんの人々、励ましのE-milありがとうございました。心から感謝いたします。
これで旅日記は終わります。長い間ありがとうございました。


小馬崎達也のお問い合わせは、pangaea music farmこちらまでお知らせ下さい。

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