小馬崎達也 旅日記

イタリア・ブルガリア・オーストリア・チュニジア 編


10/20
  成田12:25発、Milano経由Roma Fiumicino 20:35AZ 787/AZ 1045で無事ローマに着きました。空港には、ローマ日本文化会館の大内桃子さんとドライバーが迎えに来てくれました。桃子さんはとてもかわいくて、とてもきれいなイタリア語を話す女性です。ちょっとほめ過ぎかなでもそうなんです。文化会館に音響機材を預け、なんと初めての☆☆☆☆ホテルへ。ローマ文化会館(Via Antonio Gramsci 74-00197 Roma)から歩いて5分弱のところにある☆☆☆☆Hotel RIVOLIです。今までは貧乏旅行だったのでせいぜい☆☆☆までです。ついてすぐ近くのレストランへ行き、午後11時からの夕食です。日本時間だと午前6時ってことかな?一品目は手作りサラミ、ソーセージ八種類くらいあったかなをバシケットに山盛りになっていて、ナイフとまな板もくれます。好きなものを好きなだけ食べれるます。酒飲みにとっても嬉しくておいしいです。日本に売ってるものとはどうしてこんなに違うのでしょうか?全種類2廻りぐらいしました。いきなり生スパゲッティをいただきとてもうれしいです。ティラミスとパンアコッタもんん〜です。やっぱりここの空気で食べるからうまいんですかね〜?。
10/21
  ホテルが良いと時差ぼけが少ないような気がします。僕は時差ぼけにはあまり強くありません。というかいつもぼけているんですけど。今回も公演を時間帯に慣れるために2週間も早く来ました。これからヨーロッパに来る時はまず☆☆☆☆ホテルです。でもいつかは☆☆☆☆☆Lに泊まってみたいです。そういうところでのコンサートもいいかも…。
10/22
  ローマではとても残念なことがありました。2個のバック、ギターのストラップ、ベルトなどを作ってくれたバック職人のマルコおじさんが昨年10月に亡くなったそうです。彼に会うのがローマでの一番の楽しみだったのにとても残念です。彼もパットメセニーが大好きで店でファーストサークルというCDをかけていたのが縁で仲良くなりました。彼の両親に食事に家に招待されました。家の中は2年前と同じ何も変わっていません。テーブルのマルコおじちゃんの席には愛用していたサングラスが置いてありました。お母さんも「そこにマルコが座っているようだね」とちょっと亡くなったなんて信じがたかったのですが、やっぱり本当でした。11月4日のコンサートは、マルコおじさんの両親ほか何人かで来てくれるそうです。
夜、オープンしたばっかりのMAXというクラブから文化会館に日本のアーチストを探しているというので下見がてら行ったのですが、お客さんたちは、ポルシェやBMWなど高級車などお金持ちばかりでちょっとお客さんの顔をみてても嘘臭い世界のような気がしました。ちょっと違うので演奏は断りました。
その後、前回ローマ公演の時に宿泊したRoma Terumini駅のそばにある☆☆☆のHotle Archimedeに宿泊先を安い所にしました。前回来た時はこれでも良いホテルだ〜っと思っていましたが、Hotel RIVOLIに泊まってしまうと、ん〜…って感じです。
10/23 
  Roma Termini 11:45/Palerumo23:00 ローマから11時間列車乗ってシシリーのPalerumoにへ。長靴のつま先の街 Villa San govanniから列車ごとフェリーに乗り込み、19:50 SICILY の入り口Messina Centraieへまだ3時間もあります。ひたすら寝てます。何とかPalerumoに着き、いきなりWaynoのpercussion Leoそっくりのお兄ちゃんが寄ってきました。Taxのドライバーをやっているみたい。親切にHotel Alassandraを教えてくれました。しかしホテルを目指し歩いたのですが、どうやら行き過ぎていたらしく疲れ果てていたところ、さっき駅で会ったLeo似のお兄ちゃんがTaxに乗って反対側を走って来て行き過ぎだぞ〜って感じでイタリア語なので何となくそんな感じで叫んでくれて、彼はなぜかホテルの前で車をとめて立って待っててくれました。なんとも有り難いことです。助かりました。一つの建物に2軒のホテルが入っていて高い方の看板しか目に入りませんでした。何とかチェックインです。着いてすぐレストランを探しに出ました。ほとんど終ってて、ガイドブックにも載っていない店に入り、この店の自慢は何ですか?と訪ねたところオイルサーディンのスパゲッティが良いととってもきれいなウエイトレスのおねえさんに言われたのでそれをたのんだところ、大当たり!!!!!2年前、ローマでパスタ デ ギターラを食べた以来の激うまです。
10/24 Palerumo
10/25 Palerumo
  バスで4時間のところにあるグランブルーの舞台になったTaorminaに来ています。世界中から観光客が集まる場所です。どこでも同じすが、街には大勢の観光客が集まりゲロゲロって感じですが、ちょっと離れると静かで良い所です。その場所に居るだけで無意識のうちに癒されているようなところです。詳しくは後日、PowerBookのACアダプターが壊れてしまいました。後2時間しか持たないのでまたそのうちお会いしましょう。ごめんなさい!!。
10/26 グランブルーの舞台なった、レストランで昼食を取りました。エンゾが、マンマ以外のパスタを食べては怒られるので、必死にごまかしているシーンのレストランです。となりのプールは、イルカが元気がなくなったので水族館からイルカをエンゾとジャックが盗み出しヒプール入れ、元気になったところで海に飛び出していったシーンのプールです。とても私はミーハーなんです。実は。ここは断がい絶壁をくり抜いて海のそばに作ってあります。地上が1階で海のそばは地下6階です。よくもここまで金をかけたものです。☆☆☆☆で一泊Lir 330,000です。ちょっと泊まれませんでした。今度来た時に、ここに泊まれるようになりたいです。
バスで30分位山を昇ったところにCastelmola<カステモーラ>という山の頂上にあるお城の跡に夕方行ってきました。何でこんな山のてっぺんにお城と街を作るんだろうって感じです。アンデスのマチュピチュを思い出させました。どっちが先かわかりませんが、ほとんど同じ感じがしました。侵略と殺戮から得たアンデス文化をまね、自ら同じ道を辿ったのかなって感じがしました。
10/27
  朝日の出前から熱い風がが吹いていました。ちょっとづつ明るくなっていくと海がなくなっているんです。水面から約20から30m位まで雲がかかっていました。岸から水平線まで雲。Taorminaが雲の上の天空都市になっていました。しばらく立つと全くの無風状態です。山風と海風の間です。日が出てから2時間ぐらいで雲は消えてゆきました。とても不思議な体験をさせてもらいました。Ninaというゴンドラの近くのレストランで昼御飯です。海の幸のリゾット、スパゲッティのトマトとなすが入ってやつで名前は忘れました。ダメなレストランもありますが、平均点は非常に高いです。夕方、Teatro Grecoギリシャ劇場に行きました。観光客が多すぎてぷ〜です。イタリア語、ドイツ語などあちこちでガイドが説明していて、静かに悠久の時を感じようと思ったのですが、ちょっと期待外れでした。さすがに良く出来ていて小声でしゃべっていても音が良く通ります。ここはギリシャ時代に建てられたものをローマ時代に闘技場として改築された劇場です。夏にはオペラやコンサート、芝居などやっているそうです。今度ここでも公演できたらとても有り難いです。帰りに、サンドメニコ教会を改築したホテルでお茶でも飲もうと思ったのですが、あっさりpiano berは8時からということで断られました。グランブルーでは、潜水大会に出場するためホテルをチェックインしようとしたジャックですが、ホテルの支配人が身なりを見て予約は受けていないとあっさり断られたシーンそのままでした。私もやっぱり情けない確固なのかも…。静かな昼とうって変わり、夜は突風が、吹き荒れていました。多分これがレバンタールのような気がします。アフリカから地中海を超えて吹いてくる強風です。
10/28
  Taorminaを9:09に列車に乗り、Messinaからまた列車ごとフェリーに乗り、Arrivederci SICILY! Villa San govanniでこの列車を降りて、次の新幹線みたいなのに乗ってNapoliへ。昨日買ったワインが半分残ってて、ハムとヤギのチーズで荷物を軽くするため全部食べちゃいまいした。おかげで、良く眠れました。
Napoliに夕方着き、地球の歩き方に載っていた、☆Hotel Colomboに宿泊です。駅から歩いて10分弱のところです。チェックインしてすぐPowerBook G3のACアダププターを探しに街を歩き回りました。ナポリはとても好きな街です。建物の豪華な部分と、庶民的というか下町的な部分があり全部ごった煮にしたような街です。町並みはちょっと気品がありパリを思わせる部分もたくさんあります。「ナポリを見てから死ね」というのが何となくわかるような気がします。アダプター探しは時間切れで諦めました。街の中に地下ケーブルカーが走っていたのには驚きです。スッパカナポリという地区があってダンテ広場の近くの1825年創業のレストランでこの店のスペシャルは何ですかと訪ねたところ、Linguine alla Lucianaて言われても何のことだかわかんなかったのですが、ようするに海の幸スパゲティでした。しかし今までの海の幸スパゲティとはちょっと違います。ムール貝、あさり、小さなたこ一匹何だかんだで、手長海老までついている。これで\1400!!,Lir22000です。味がそれぞれ楽しめて各素材がけんかしてなくとても良いです。ピザは、アサリとムール貝のピザです。LPレコードよりもう一回り大きい感じがします。生地が薄くぱりっとしながら中がしっとりという絶妙のタイミングのピザです。帰りは、ダンテ広場から市内バスでホテル近くまでのバス観光です。
10/29 アダプター探しに10:06発普通電車に乗ってのローマ行きました。イタリア人の文化会館の人にコンピューターの修理屋さんに連れていってもらい借りることが出来ました。本当に助かりました。その後、Roma17:12発の電車でAssisiへ。4回目のアッシジです。この街はヨーロッパでゆっくりと落ち着ける街の一つです。毎回来ているHotel Pallottaで宿泊です。
ホテルについてすぐ2つの訃報が入ってきました。児野豊子の父と清里たいへんお世話になっている大村さんが亡くなったというメールとローマ文化会館から連絡がありました。ご冥福を心からお祈りいたします。
10/30
  今回2番目に会いたかったお惣菜屋のおじさんのPagliaccia Fabrizioです。はじめて来た時にワイン、ハム、チーズの味を教えてくれたとても気さくなおじさんです。多分僕より年下のような気がするけど?彼の子供は5歳でいつも"Journey to Orient"をとても気に入って毎日聞いているそうです。「パパ、この日本の音楽最高だねって…。」ペリアッカさんもかなり気に入っている様です。新作「アンデスの風」〜遥かなる旅路をいきなり買ってくれました。早速聞いてくれてこれも気に入ってくれた様です。
夜、2年前と3年前にギターを聞かせてもらったSanta Maria sopra Minerva 教会で30分位弾いていました。この教会の響きはとても良く僕のCDのギター響きの基本になっている音がここにあります。何回来ても安心できる場所です。
教会の後、3年前に絵を買った画廊 GALLERIA PERNAに行きました。Massimo Pernaさんというオーナーで東方への旅立ちを見せたら思い出してくれました。彼は、2年前バイクの事故で5ヶ月入院していたそうです。何日も意識不明の日が続いたそうです。この人まで亡くなっていたらどうするんあよって感じでした。画廊でいきなりライブです。月夜風、東方への旅立ちを演奏しました。今までこんなスタイルのギター聞いたことがないと口うるさそうなおやじがベタほめにしてくれ、ローマもソフィアも大成功間違いないよと何回も叫んでいました。ギャラがわりだといって新作のシルクスクリーンの5枚セットをくれました。僕はお礼に「風の国から」をあげました。
今晩は、Hotel AnfiteatroというAssisiのバスターミナルの奥の静かなホテルに1泊します。
10/31
  Hotel Pallottaに戻ってきてから、サンフランチェスコ教会に朝から出かけました。なんと人、人、人です。明日11月1日は聖人の日です。日本でいうお盆みたいな感じかな。この大きな教会に入りきれないほどの人が集まっています。これだけの人々が、本気で心から祈ったらもっと世の中良くなるんじゃないかなぁなんて思いました。
夜、Santa Maria sopra Minerva 教会でミサが終わった後、ギターを弾くことを神父Don Lino氏から許可を受けました。街は、ハローウィンで盛り上がっているところ教会で静かな時間を与えていただいた事を心から感謝します。空と子供たち、舟屋の歌<母さんの歌>、父さんのうた、インプロビゼーションの4テイクを録音しました。とても良い感じで録音できて大変有り難いです。CDできるかなって感じです。帰りに、Hotel Pallottaのレストランで食事をしました。レストランの手伝いをしているオーナーの娘に聞かせたらとても気に入って仕事が終わってからゆっくり聞きたい、心が癒されるって感じで言っていました。あなたのCDが欲しいと言ってきました。アンデスの風〜遥かなる旅路を買ってくれて店でいきなりかけてくれて何人かのお客さんも気にって、「悠久の大地」、「天空の鐘」の3枚売れました。みんな心が静かになるのが良いといって、イタリアも疲れていて安らぎを求めているんだと感じました。お客さんの2組もローマ文化会館の公演に来てくれるそうです。
11/1
  お昼から3年前にアッシジのギターと中世楽器を作っているVincento Cpirianiおじさんのところに遊びに行きました。学校の先生をしている奥さんAnnaもとてもあ元気で何よりでした。桐のギターを見せたとことても興味を持っていました。こんな素材は見たことがない。こんなに軽くて良く音が出るので驚いていました。
16:25 Assisiの駅にパネと吉口さんを迎えに行きました。顔を見た瞬間とてもうれしくなりました。でも一体ここはどこなんだろうと思いました。大好きなアッシジに二人を連れてこられたのがとても嬉しいです。今晩もPallottaで集合記念宴会です。このレストランは、はっきり言って良いです。パネもけっこう味にはうるさいのでお互い楽しいです?変な日本語ですが…。ストランゴッチという卵を使わないでパスタです。もちろん手打です。とても腰があり香りと後味がとてもなが〜いんです。何で日本にこんな味を紹介しないのかなぁと思いました。日本で今まで食べてきたスパゲティとは全然違います。何でですかね。
11/2
  Il Duomoというレストランで昼御飯。私達4人はもうからない客です。チーズとトマトのピザ、ニョッキ、カルボナーあともちろんストランゴッチ。メインはありません。ハウスワインは飲みましたが。
夜、またSanta Maria sopra Minerva 教会で午後7時に閉館してからパネとギターとピアニカで録音しました。パネにもこの響きを感じてもらえてとてもうれしいです。神父さんちょっと忙しくしていたので録音条件はあまり良くありませんがいい音しています。教会を出て時差ぼけで寝ている吉口さんを起こして先日泊まったアンフィテアトロで食事です。高くてうまいのは当たり前ですが(でもない店が多いですが)、安くてうまい店は今回多く出会えました。
11/3
  Assisi12:19→Foligo13:23→Roma 15:xxにメトロとバスを乗り継いで、Hotel Rivolへ。ついてすぐ文化会館へ行き明日のコンサートのセッティングしてしまいました。あすゆっくりできるので。7時から小松久也ローマ日本文化会館館長と、副館長の三田村芳恵さんと大内桃子さんの3名と私達4名で豪華版のイタリア料理レストランで食事会です。とても歴史のあるレストランで理科系の学生達が集まって良く討論をここでしたそうです。ユダヤ系の学生達がここから原子爆弾を発明していったと言っていました。
11/4
  いよいよ公演当日です。いまさら慌ててもしょうがないのでいつものようにやります。ローマで受け入れてもらえるかどうかはとても不安ですが?公演直前に障子に囲まれた部屋で、どこから用意したのかわかりませんが、とても美味しい幕の内弁当が出してもらい一体ここはどこなんだろうって感じでした。お客さんも220名くらいの会場ですが、ほぼ満席になりました。一部の終わり際に”20分後にお会いしましょう”とイタリア語で言ったらばか受けしていました。一応通じたようです。とてもお客さんの反応も良かったです。取りあえずイタリアで受け入れてもらえたので有り難かったです。なんと終わってからCDを買い求めるのに行列が出来ました。それとサインの行列と。とてもうれしいです。やっぱりとても素敵なおばさん達が、イタリア語で話し掛けてきて本当に喜んで聞いてくれたんだと確信しました。
11/5
  昨日のコンサートが良かったと電話が何本か入ったそうです。昼に楽器の片づけを終えてバチカンに行く事になりました。でもどうしてもたどり着けませんでした。Ottavianoからバチカンに向かう途中に歩道にテーブルを置いたレストランで遅めの昼食を取り終えてパネがトイレに行っている間にパネのリックが盗まれてしまいました。椅子の下に置いたらしいのですが、ちょっとすきを見せるとあっという間に持っていかれました。50代くらいの男性がとなりのテーブルに座り、テーブルのパンをもらって良いか?みたいに3人の意識をとなりのテーブルに向けさせあっという間に取られてしまいました。いつの間にかそのおじさんもいなくなりパネが帰ってきた時には…。パネが大内さんと警察に行っている間に私がパネを励ます会会長になりシャンパン、ワイン、ハム、チーズなどを買ってきてホテルでローマ最後の晩餐です。
11/6
  またトラブルです。11:30 Roma - 12:50 Milano Az 788<アリタリア航空>行きが遅れてSofia行きの飛行機に乗れません。今日中に着かないと明日の公演が出来ません。そこでWine経由で行くことになりました。14:20 Roma - 16:00 Wine Az 190 , 17:50 Wine - 20:30 sofia LZ 462<バルカン航空>です。Wineでも2時間遅れ。飛行機を待っている時に「ギターを弾いて」と言われたので吉口さんと待ち合い室ライブです。東方への旅立ち、月夜風の2曲を演奏しました。XXさんはステンレス関係の仕事をしている人です。東方への旅立ちを彼は買ってくれました。君の将来のためにとL.50.000くれておつりはいらないと言ってくれました。こんなにみんなが疲れ果てて気持ちが荒んでいるのにどんな状況に置かれても心にゆとりが有るというのはいいなぁと思いました。このおじさんは、あごヒゲと口ひげがたくさんあって、とってもきれいな目をしたおじさんです。マルコおじさんにとっても良く似ているんです。あと飛行機の中でももう1枚売れ損して得した気分です。
Sofiaについて日本大使館の町田秀明が迎えに来てくれていました。4時半に着くはずなのが10時半です。荷物が無事に着いてくれれば良いのにと思ったのですが、思ったとうり着きませんでした。明日の公演どうなるんでしょう?荷物のないままSofiaで最高級のHotel Kmpimskiに向かいました。なんと☆☆☆☆☆です。Sofiaを見おろせるとても良いホテルなのですが、バックも持たずこんな身軽な格好で来て良いのでしょうか?ギターと吉口さんのドーラックは機内持ち込みで手元に有るのですが、パネのピアニカ、吉口さんの琉水鉦とpercussion、音響機材、豊子の衣装などないのです。明日の公演を延期にしようとしたのですが、ブルガリア副大統領、政府要人などに招待状を出してあり明日は日曜日でもあり今からは連絡がつかないので違うプログラムを行うということで公演を行うことにしました。のっけから大変疲れる日でした。
11/7
  朝から町田さんがいろいろ手配してくれて荷物はまだローマにあるということがわかりました。イスタンブール経由でうまく行けば18:15に着くということだったんですがやっぱり来ません。会場の音響機材と手持ちの楽器だけでやることになりました。豊子の衣装がないので急遽作ることになり、Hotel Kmpimskiからベットにかけてあるシーツを2枚拝借して即席の衣装をステージ袖で作りました。副大統領のTodor Kavaldjievさんから素敵な花を頂きステージに飾ってありました。この公演は、第10回日本文化月間”国交回復40周年を記念して”の最後の公演でした。ステージに立ってから機材、楽器、衣装などをがないことを観客に伝え演奏プログラム変更を伝えました。私達には今着ている服しかないんですというと会場がすごくあったかい雰囲気になりとても助かりました。ソロを取っている時とてもいいタイミングで拍手が来たりいい感じで演奏できました。1部の終了後、休憩中にBarにコーヒーをもらいにでたとたん、最初はやっぱりおばさんなんですれど?、年配から若いの男性あと圧倒的に多かった10代〜30代の女の子に囲まれて、右手が痛くなるくらいサインぜめに会いました。今までこんな経験ないのでびっくりしました。結構日本語を勉強しているみたいで「とても素敵な音楽ありがとう。」といってくれました。こんな条件の中、ブルガリア人も受け入れてくれたので本当にありがたかったです。観衆は240人くらいでした。CDがあれば売れたのにっていうのは後の祭りですが。公演終了後、大使公邸で何と晩餐会です。普段着でというか着た切り雀で…。とんでもないところまで来てしまいました。とてもおいしい日本食を頂きました。ここは別世界です。
11/8
  今日から3軒の家に別れブルガリアの生活を体験します。といってもかなりお金持ちのお宅ですが…。Christo Boninさんのお宅で3日間滞在します。彼は、1981年のまだ共産党時代に大臣をしていて日本にも4ヶ月くらい居たそうです。奥さんはダンスが大好きでいつも賑やかな音楽をかけています。夜は、吉口さんの滞在している家に行きパーティです。ここでもテレビで気に入った曲がかかるとお父さんがガンガンに音量を上げいきなり盛り上がります。まるで南米にいるみたいです。
11/9
  車で2時間離れたところにあるリラの僧院に行ってきました。日本でいう比叡山みたいな感じかな。描いてあった壁画が仏画と似ている部分がかなりありました。釈迦涅槃図がそのままキリストリ変わっていたり、この寺院を作った僧侶になっていたりと仏画の描き方が同じです。地獄絵図もほとんど同じだし、曼陀羅まである。仏教、イスラム教、キリスト教が混在しているのかなって感じです。大使館に帰るとようやく荷物が着きました。取りあえずは良かったです。しかし音響機材を入れているラックのふたがの留め金がまがっていたり、吉口さんのダルブッカが割れていたり琉水鉦が少しへこんだりとこわれもののシールは全く無意味だったみたいです。どうしたらいいでしょう。こうゆう事件に詳しい方御一報下さい。
11/10
  また車で2時間のプロヴレフという古都に行きました。リラ僧院の次に大きなバチコバ僧院に行きました。シンプルで僕はこちらの僧院の方が居心地が良い感じがしました。こちらも同じく仏画なんです。どういう接点があるのかそのうち調べたいと思います。ブルガリアは古代ブルガリア人、モンゴル人、インドから来たジプシーの大きくわけて3つの民俗の国です。何となく日本の顔もあります。モンゴルからの血を引き継いでいるんでしょう。エジプトより古い時代の金の装粧品など近年たくさん発掘されているそうです。
11/11
  朝からラジオ局です。パネの滞在している家のお母さんマルコさんが、8時15分に迎えに来て街の中心にあるタングラというラジオ局です。東京で言えば内容的にはJ-waveみたいな感じです。スタジオとミキシングルームが一緒でアナウンサーがいろいろ操作しながらしゃべっている。今回の公演のインタビューなどちょっとしゃべり、東方への旅立ちを演奏しました。とても今回の公演を気に入ってくれてSofiaでCDを製作してもらう事になりそうです。お楽しみに。空港で吉口さんに機材を先の持っていってもらおうと思ったのですが、重量オーバーで引っ掛かり一悶着ありましたが何とかチェックインしました。町田さん、今林さん有り難うございました。また帰って来れたらいいなと思いますが…。ミラノ行きがまた遅れローマの乗り次がまた危うくなりました。いったいアリタリア航空はどうなっているんでしょう?こんな感じではもう2度と使いたくない航空会社ですね。ミラノでパネと吉口さんは日本へ帰りました。無事にローマ行きの飛行機に乗ったと思ったらすべての飛行機が遅れていて30分前に飛び立つ飛行機に乗ってしまい機内でオーバーブッキングに気付き、そこで私達が違う飛行機乗り込んでいるということが判明しました。ドアが閉まる直前に降りてまた待ち合い室へ…。いったいアリタリア航空はどうなっているんでしょう?搭乗のときわかるはずなのに…。ミラノ空港に地上勤務している日本人友達がいるとあるレストランのシェフから聞いた話なんですが、ミラノ空港ないしアリタリア航空は荷物などの振り分けの機能がぜんぜん出来ていないそうです。行き先不明の荷物が山のように積んであるらしく係員が自分の担当した荷物を探すのでさえ1日がかりだそうです。
11/12
  ひさしぶりに太陽を見ました。冬のヨーロッパにしては珍しく雲一つない真っ青な空です。ローマ文化会館に荷物を預かってもらうため帰ってきました。ここのホールはなんか落ち着きます。バックの修理を頼んだのでトラステベレのマルコおじちゃんの店に取に行きまた。今引き継いでいるおばさんは、全然英語を話せません。英語を話せないイタリア人はいっぱいいます。底の角のガード切れていまっていたのが見事に直っていました。バック屋さんの2軒となりのRistorante Da Cenciaでローマに来て2回目のランチです。シェフは、渡辺さんという方で、とてもおいしいローマ料理を食べさせてくれます。イタリア人の奇抜さと日本人の繊細さがミックスした味です。ローマに来たら是非みなさん来て見て下さい。
20:31 Roma Telumini発の夜行列車のクセェットでまたシシリーへ。
11/13
  8:30にまたパレルモです。9:10 Trapani イタリア最西端の街へ。富山の氷見線を思わせる電車です。最初は3両で途中から1両です。11:30 Trapaniに到着です。日ざしが強く光の色が違います。本当に同じくに国なんでしょうか?駅から出てTaxiに乗り安めのホテルに連れていってもらいました。タクシーのおじさんは全く英語を話せず全部イタリア語です。旧市街の入り口のAlbergo Maccottaです。波止場まで歩いて5分かからないところにあります。週末ということもあって夕方になるとお祭りの縁日みたいに人が出て来てただ歩いています。買い物するわけでもなくただぞろぞろと街を歩いているだけなんです?
11/14
  もう一泊Trapaniです。朝市場に行ってイカ、白海老みたいなやつ、あさりをちょっとづつ買って来て炊き込み御飯とイカと海老のオリーブ炒めを作って食べました。やっぱり魚介類は朝食べるのが一番うまいと思います。たぶん魚は一番好きで一番嫌いな食べ物かも知れません。
11/15
  Trapani港を10:00に出ます。かなり大きな船です。2等寝台でLir.10,500です。出国手続きをすませて船に乗り込みます。陸地のない海を見るのは、もしかして初めてかも知れません。人間の小ささそして人間の大きな力を感じます。昔は風だけをたよりに航海していたと思うと大変だっただろうと思います。
19:30に初めてのアフリカ大陸チュニジアに着きました。アフリカイコール熱い国というイメージでしたが、とてもここは涼しい国です。というかちょっと肌寒いくらいです。両替えを早速しました。us$.100がD.119,1(ディナール)です。税関を出たらいきなり白タクのお兄ちゃんが寄って来て安いから大丈夫といって荷物をとっとと持っていってしまい、大きなワゴンに荷物を入れられてしまいました。金額を中々提示しなかったので紙に書かせたところ、夜間なので割り増しで通常D.6〜10のところD.35という法外な金額を書いて来たので荷物をだそうとちょっとした騒ぎになりタクシーの運転手たちも集まって来てとっとと自分のタクシーに荷物を詰め込み値段を聞いたところD.20でまだ高いと思い正規の船着き場のタクシー乗り場まで戻り交渉したところD.10まで下がりました。地球の歩き方にのっているHotel Agriculture☆です。これで☆が1つから5つまでこれで全部制覇です?。一泊D.25です。安いです。4日間泊まっても100$でおつりが来る。やっぱりこの方が僕に合っているのかも…。夕食を食べに10時半すぎから街に出てみました。街もそんな危ない感じもせずとても豊かな感じが第一印象です。Lu Ranchでイギリス人と日本人らしき人が食事を取っていて多分この日本人はお互い初対面なのにどこかでお会いしましたよねとお互いに言ってしましまいました。旅の本の取材で半年廻っているそうです。紀行の本を書いている水野龍哉さんと写真家のイギリス人と珍道中をしているそうです。Tatsiyaという名前が初対面を感じさせなかったのかなぁ。?水野さんにこちらの日本人スタッフのいる旅行会社を紹介してもらいました。チュニジアの音楽家を紹介してもらうことにしました。
11/16
  初日だけ朝食を頼みました。大阪からの3人組の女の子達のグループ、西村真理、山尾純代、谷田佳奈子さん達です。彼女達はインド、チベットから始まり半年間の旅に出ているそうです。これからチュニジアを廻りイギリスまで行き大西洋を渡りニューヨークで2000年のカウントダウンをするそうです。こちらもかなり珍道中みたいです。旅行会社のBatouta Boyagesを探すのに半日かかりました。ただ一つのガイドブック地球の歩き方の地図でメトロの駅名、場所が間違っていました。あまり日本人が来ないところなので気が付かないのかなぁ。大変疲れましたが、3時に伺うのが4時半になってしまいました。とても親切にいろいろ教えてくれたLimia Zekriさんとまた大阪出身の高橋さんです。テレビの取材とかの通訳など幅広くやっています。有名なカヌーンの奏者を紹介してもらうことになりました。Limiaさんに東方への旅立ちを聞かせたところ大変興味をもってくれて来年のフェスティバルに参加できるように紹介してあげると言っていました。東方への旅立ちはどこでも受け入れてもらえて嬉しいです。夜、高橋さんと今朝会った3人組みとで食事に行きました。4人大阪人がいるとまるで漫才を聞いているみたいです。初対面でいきなり、ぼけとつっこみを自然にやれる大阪の文化をチュニジアで知ることが出来ました。
11/17
  ウード探しに街の楽器屋を何軒か見て廻りました。イラク製のとても良いのが合ったのですが、D.1000ととん出もない金額を行って来て日本人だからかなぁとか思いましたが、材料、作り方などを見るとそんなもんかなという代物です。日本でこの材料と装飾などでギターを作ると多分5〜6倍すると思います。でもやっぱりこちらの物価に慣れるととんでもないです。帰ろうと思ったのですが、もう一件の店を見つけ、プロフェッショナル用の楽器はあるかと尋ねたところ、一枚の名刺を渡せれここに行けばあると言われたのですが、なんせフランス語なので良くわかりませんが何か引かれるものを感じたのでタクシーで約20分くらいのSono Musicという楽器屋に行きました。とても良いウードがありました。全然弾けないですけど。TVの取材をしているのかと最初は思ったのですが、こちらの有名な歌手Charif ALAOUIさんのちょっとコメディタッチの番組ですが『Charif ALAOUIの一日を一時間で』みたいなタイトルでしたが知人の楽器屋を訪ねる場面に出くわし、ウードは引けないのでギターをちょっと弾いていたらCharifさんとディレクターが寄って来てテレビに出演してくれと突然言って来て、彼とセッションすることになりました。ダラブッカとギターとオタケビで大セッションです。大盛り上がり。沙漠の風や東方への旅立ちを弾くとオリエンタルでとても面白いと興味を持っていました。衛生放送で日本でも放送すると言っていました。彼のグループのウード奏者を紹介するからとSharifさんの電話番号を教えてくれました。Sono Music の社長Methni MOKHTARさんは日本にも来たことがありとても遠かったと言っていました。最近ようやく楽器の輸入ができるようになったんだ。以前は、まねをして全部作っていただ。と言っていました。彼が91年に作ったウードがとても良いんです。高級手作りギターの材料にもひけを取らない素材を使っています。2時間このウードと格闘した結果何とか弾けるようになりました。ただしギターと同じチューニングで。Methniさんの奥さんも店を手伝っていて彼女だけが英語を話せます。彼女がたまたま弾けるようになった時、通りかかってあなたCharifの友達を一緒に練習したらすぐ弾けるわよ盛り上がっていました。とっくに店は閉店時間を過ぎています。Methniさんが街まで乗せていってくれるそうです。13歳の娘さんを音楽学校に迎えに行くからととてもラッキーな一日でした。
11/18
  午後7時にCharifさんの運転手かマネジャーかわかりませんが迎えに来てくれました。一応BMWです。車で20分ほどの郊外にある家に行ってびっくり、高級住宅街の大邸宅です。ジャーナリストのRimさんと今年の5月に結婚したばっかりだそうせす。フェステバルのように音楽家が集まり盛大な結婚式だったそうです。Charifさんは実は有名なチュニジアンミュージック歌手だったのです。日本で言えば五木ひろしみたいな感じかな?…。とん出もない出合いです。東方への旅立ちを聞かせとても興味を聞いてきれました。みんなテクノロジーばっかリ追い掛けて大切なものを置き去りにしている。君のグループはアコーステックだけでやっているのがとても良いことだ。と感心していました。
11/19
  カルタゴに行って来ました。駅を降りたら馬車がいて乗る気は全然なかったんですけど、なぜか乗ってしまいました。2頭立ての馬車です。ちょっと高いですが馬も良いですね。いろいろ案内してくれました。カルタゴフェスティバルの会場の古代円形劇場はとても良いです。来年7月ここで演奏ば本当に有り難いです。
11/20
  Carthage Hannibal 今日は朝6時に起きてまたカルタゴに行きます。カテドラルが開場前にギターを弾かせてもらうのを昨日約束したからです。アッシジの3倍以上あるカテドラルです。大きだけ合って音の奥行きがとても深く出ます。しかし車の音、工事の音、様々な音、生活している人にとっては必要な音です。しかし今の僕も含め静寂を求めている人にとってはとっても不愉快な音です。録音していたのですがどうもはかどりませんでした。山のてっぺんや人里離れて作ってある寺院などの意味が少し分かったような気がします。風の音と自分の呼吸の音だけという静寂な場所はこの地球上にはほとんどないのかも…。サハラ沙漠に月曜に行く予定にしています。満月をサハラ沙漠で体験しようと思っております。風の音と息のとが体験できるかも…。日本を出て今日で一ヶ月立ちました。この国はいろんな人種が集まっている国です。アメリカみたいに移民してきたのでなく何世代も住み着いて仲良くやっているって感じです。肌の白、黄、黒。ヒゲのある人ない人。髪の黒、金、茶、ちじれているの。インド、モンゴル、ヨーロッパ、アフリカ系の人々の顔が混じっています。もちろんこんな顔の人、日本にいる、っていうのもたくさんあります。差別感というものは僕の見た限りではほとんどないような気がします。ここがアメリカとの大きな違いかな。肌の色違う人々がいっしょに仲良く歩いている姿を見るととても嬉しくのは僕だけかな。
11/21
  市電みたいなのに乗ってカルタゴのもう少し先の、Side bou Said行きました。いい天気。日曜日なので海を見ながらみんなもなんかゆっくりです。
11/22
  ホテルをチェックアウトしてからSono MusicにCDを届けに行きました。来年7月に行われるカルタゴフェスティバルに出演させてもらえるかも知れないので…。Methni MOKHTARさんに桐のギターを見せたところこんな木は見たことがないと言っていました。こんなに軽いのに音が出ているのに驚いていました。来週の月曜日にまた合っていろいろ聞くことにしました。楽器屋さんのスタッフがチュニス南バスステーションまで送ってくらました。11時発のバスで、かつてローマン アフリカの果ての地といわれていた TOZEUR(トズール)まで来ました。チュニスから約8時間です。どんどん緑が少なくなりこの辺はオリーブとサボテンくらいしか畑には成っていません。この先の塩湖のChott el Jerid横断すればサハラ砂漠です。アフリカは熱い国というイメージでしたがとても昼でも寒いです。日ざしは日本の真夏の色をしていますが、さぶう〜い!!。バスとホテルが一緒になった横浜から来た、上野さんとしばらく道ずれの旅がここからはじまります。お楽しみに。
11/23
  ランドクルーザーをチャーターしてアルジェリアとの国境に10H足らずのGorges de TAMERZA タメルザ渓谷へ行って来ました。初めて観光らしいことをしました。干上がった塩湖をひたすら走りTozeurから約一時間半くらいのところにあります。砂漠の中にグランドキャニオンを思わせる渓谷があり昔は木も数多く生い茂り、雨もたくさん降っていたというのをこの砂漠から実感しました。四大文明の栄えたところはわずか数千年で砂漠になっています。このまま同じ道筋を東京もNew Yorkも辿るのでしょうか?砂漠の中に突然緑の固まりが目に飛び込んで来ます。岩の隙間からオアシスの源流の湧き水が出ていました。はげ山の中腹から。どうしてこんなところから湧き出てくるのかとても不思議です。このオアシスの下に街までは100Km以上離れている小さな村があります。1969年に大洪水でほとんどの家が廃虚になりそのまま放置去れテいます。アンデスの山々を思い出される光景です。アンデスは農耕民俗、チュニジアは遊牧民という違いがあるということに気付きました。同じような山なのにさすがにここでは畑のあとが全くないです。ここが緑でおおわれていたのは一体いつ頃何でしょうか?その頃は畑をやっていたかも…。すべてが崩れ去って何も残っていない。ただ岩と風があるだけ。地球からの警鐘にも聞こえます。
11/24
  Toziur 9:40→Kebili 11:00→Douz 12:00 ルアージュ(乗合いタクシー)でサハラ砂漠に一番近い街Douz着ました。途中干上がった湖の中の道を通り、30〜40Km位ほとんど一直線の道でした。こんな直線の道は初めての経験でちょっと驚きです。砂漠のラクダツアーの事務所Douz VoyargeのJamelさんがツアーの打ち合わせにホテルに来ました。ギターを砂漠に持って行きたいといったら演奏を聞いてから判断するといったので、まずはCDを聞かせたところ驚いていました。やはりここでは静かな音楽というのは皆無の場所ですので…。彼が小さい頃、砂漠を移して暮らす遊牧民だったので街の喧噪よりもサハラにいる方が好きなんだと言っていました。ロビーでまた突然ライブです。
11/25
  Douz→Sahara 今日は空は今までのとっても濃い空色からうって変わってちょっと雲が出て来ています。木曜市の日なので街はお祭りの縁日状態です。日曜雑貨、肉、野菜、もういろいろあります。我々は観光客プライスなのでちょっと高いような気がします。そして中々ディスカウントしてくれません。ものすご〜く強気です。砂漠用の革のシューズを買おうと思ったのですが、D.20はちょっと高い気がしたのでやめました。しかし東方への旅立ちのジャケットの写真以来ちょっとジュータンに興味が湧きチビジュータンを3枚も買ってしまいました。計6枚です。一応全部ちゃんとしています。午後4時からサハラに行くためラクダ迎えに来ました。けっこう大きいです。そしてとっても優しい目をしています。お腹が減っているのかその辺にある草を歩きながら頬張っています。なんかかわいいです。約一時間半揺られました。体が痛いです。途中フランスの映画を撮影していました。パリが砂漠になっているセットを作っていたと言っていました。ここでは映画の撮影が良く行われているそうです。イタリア映画の時はセットを残し後でも観光客が来れるようにしていったそうです。しかしこのフランス映画の人々はセットを壊しゴミと一緒に釘をそのまま放置しているらしくラクダ達の足に刺さったり怪我をおわせるのではないかとみんな心配しているそうです。キャンプ地に着き早速薪集めです。この辺はところによっては植物が生えていて枯れた木があります。しかし全くないところもありこのコントラストは面白いです。というか何で????ここはあちこちに温泉が湧き出ています。将来、砂漠で温泉というのもいいかも。さましてなつめやし等の植物にやっているそうです。なんかもったいない。薪を集めながらやっと聞けました。風の音と自分の呼吸の音、そして心臓の鼓動。砂漠の真中で火を焚いて食事を作ってもらいお見事です。たき火を熾きになってから小麦粉と水と塩だけでで作った直径50cmくらいのパン生地を砂と熾きの中にうめて焼くんです。これは使えます。オーブンレンジを買う必要はありません。あれば便利だけど。電気、ガス、水道等のライフラインがなくてもこの人たちは生きて行けるんだと確信しました。まっ先にやられるのは日本かも…。曇り空の中、月が昇って来ました。自分の目の高さより下から月が昇ります。昔は日本もこうだったのかなと思いました。薪の火が燃えている時は廻りが何も見えず、火が小さくなると砂漠が浮き上がって来ます。とても不思議です。さて砂漠ライブの始まりです。ダラブッカと歌でチュニジアの民謡を披露してくれました。太鼓と歌だけだとやっぱりアフリカって感じです。でもこぶしをまわすのは日本と同じというか声明と同じです。きっとコーランは声明を元に作ったと思います。砂漠の夜は寒いです。たぶん5℃ないと思います。しかも毛布2枚だけ。テントなし。そしてなんと雨が…。まだぽつぽつですが。雨の降らないところに来て雨が降ったというのはどういうことなんでしょうか…?
11/26
  Sahara→Douz 朝食をすませ帰路似つきます。オアシス100mほど手前から地面が濡れています。なんか不思議です。ホテル帰ってから待っていたかのように一気に降って来ました。上野さんとはここでお別れでかれはスース・チュニスに行き、チューリッヒ経由で日本に帰ります。お疲れ様でした無事に帰国して下さい。僕が言われる立場なのは十分分かっています。風の国からを彼は何と買ってくれたんです。あ〜りがたやあ〜りがたや。12月12日の清泉寮のコンサート来てくれるそうです。日本国内では全く接点がなくて、旅に出てけして合うことのない人との出合えるというのは不思議ですね。そしてまた日本で会えるというのは新たなる一歩のような気がします。夜は、地元のウード奏者と歌手の人を巻き込んでHamelさんのお兄さんの家で宴会です。もちろんみんなイスラムです。みんなちゃ〜んとお酒を飲みます。一体どうなっているんだろう。みんな騒ぐのが本当に好きです。心を静寂にするというのないのだろうか?
11/27(土)
  Douz 10:30頃→Tunis 6:30 雨が降りしきる中、チュニスに帰って来ました。ルアージュ(乗合いタクシー)のターミナルからまたタクシーに乗り換えようと思ったのですが、全く捕まりません。というかここは決まったタクシー乗り場がなくタクシー来ると我先に乗り込もうとします。並んで順番を待つという習慣がまるでないみたいです。ターミナルから離れ一時間ぐらいでようやく乗ることが出来ました。Barcelone駅のそばにある、Hotel La Maison Doree☆☆です。
11/28(日)
  今日も雨。ひたすら雨の一日でした。なぜかここでは当たり前の事なんですが、縁日もしくは初詣状態の市場に行きました。毎日、営業中はこうなんです。こちらの何の料理にもハリサという極辛のみそみたいな感じのものをつけて食べるとおいしいです。市場の酢漬けコーナーみたいなところで買いました。自家製のもので牛乳ビンくらいの大きさのビンに詰めてくれて約100円くらいです。少し発酵していて酸味もあり韓国のキムチの味に非常に似ています。キムチ文化とハリサ文化たぶんかなり共通点があるかも…。ハタの切り身を買い部屋でソテーと味噌汁にしました。もちろんお米も買いました。500gで40円くらいでした。あと小さいたこも有りわさび醤油で食べるとうまいです。電気コンロ一個でいろいろ出来ます。やっぱり私は純度100%の日本人ですということを確信しました。
11/29(月)
  やっぱり雨。日本大使館に電話をしました。文化報道部の佐藤さんと明日会うことが出来ました。来年ここでコンサートが出来ればうれしいです。夕方、Sono Musicに行き極上のウードを格安で譲ってくれることになりました。
11/30(火)
  午前9:30に日本大使館の佐藤大輔さんがホテルまで来てくれました。世界各国の演奏家達が集まるカルタゴフェスティバルとチュニス市民劇場(オペラハウス)でのコンサートに出演させてもらえるかもしれません。来年7月にまたここにこれるかなぁ〜。先日三味線のグールプがここで公演を行ったそうです。日本の伝統音楽や舞踊をただここに持ってくるだけではここではあまり受け入れてもらえないようです。アジアの中の日本、ユーラシアの中の日本、世界の中の日本をその国との融合を感じさせなければいけないのかなと思います。いろんな国の音楽に触れて来ましたが、アラブ音楽は僕にとっては今までの最大の難関のような気がします。さてどうなるか今後の自分自身に楽しみです。SonoMusicでMethniさん達に風の組曲を聞いてもらっている時、閉店になって誰もいないピアノフロアのピアノ達がほっとしている感じがしました。パネのピアノを聞いて安らいでいる感じがしました。こんなに遠くまで連れてこられてしかもこんなにざわざわした国で…。
12/01(水)
  ホテルを8時50分にでてカルタゴフェスティバルのオーガナイザーのところに行って来ました。SonoMusicのMethniさんと友達なので話は通っていたみたいでした。ありがたいです。東方への旅立ちを聞かせたところほとんどすぐOKみたいでした。6〜7月の二ヶ月かほとんどの日に古代円形劇場で公演を行っています。世界で3番目に大きいD'EL JEMでの古代円形劇場での公演も出来るかも…。最後の土壇場でいろいろすごい人たちに会うことが出来てとっても面白いです。空港でチェックインカウンターで並んでいるとローマのコンサートとても良かったありがとうって声をかけられました。とてもおもしろいですね!!!!!。
  12:30 Tunis - 13:50 Roma AZ863
今回は無事に着きました。荷物も成田まで直接運んでくれました。大小2個の荷物を持たずに移動するのは本当に楽です。ウードが増えましたが…。一度しか使わなかった大変重い音響機材の入ったラックとジュラルミンケースあと手荷物一個とギターを文化会館の秋山さんがホテルまで運んでくれました。夕食を誘ったんですが結果的には荷物を運んでもらい食事までごちそうになりました。秋山さんは夫婦揃って彫刻家です。今度日本でも個展を行うそうです。作品とのコラボレーションができればまた面白いことが出来るかも。楽しみです。
12/02(木)
  空港でチェックインの時、機材だけで60kgあるのでカウンターのおねーさんとどうしましょう…。とか言っている11:30 Roma
12/03(金)
  09:55 Narita AZ 786にて帰国。

 

 

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まだまだ旅は続きます。是非メールを下さい。
E-mil pangaea@sa2.so-net.ne.jp
小馬崎達也のお問い合わせは、pangaea music farmこちらまでお知らせ下さい。


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