HOME > 介護日誌 > 我が家の介護日誌 第14章

我が家の介護日誌 第14章

介護と介護 共倒れの救世主




浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

前回、お知らせ致しました、私の病気「胆石症」、体内から摘出してきました。
医師との打ち合わせで、全摘出を選択して、正解でした。
私の胆嚢の中には、沢山の胆石があり、摘出後の検体を見てビックリ!!
スプーン一杯の 幸せ(古い表現でした)ではなく、山盛り胆石でした。


今回の、私の入院を考えた時に、
私が入院してしまった時に、母の介護をどうするかと言うことと、
術前、術後の私の体調管理を考えた時に、どのように対処するのが、ベストかと言うことでした。
担当医師や、母を担当しているケアマネージャーさんと相談し、前回の入院は、原因不明の高熱で1週間余り入院でしたが、前後の私の体調管理を考えると、母の介護を、どのように対処するかが問題でしたが、ケアマネージャーさんの提案で、私の入院前の体調管理期間と退院後の体調管理期間の間を、短期療養介護サービスを利用する提案があり、妹とも相談した結果、短期療養介護サービスの利用を決定致しました。(長期療養施設も検討)
この提案を、母に納得させるまでに、かなりの説得期間と、母の抵抗があったことは、確かで、精神的にも疲れましたが、何とか、納得してもらいました。
母の抵抗
母には、2月に出来なかった手術を、6月にする事は、何度となく伝えたのですが、3月に入ると、「何故、田圃の準備をしない」、「畑が草だらけだ!人目悪い!!」
と怒鳴りちらし、私の目を盗んでは畑まで出没、たまらず、畑で口喧嘩
今年は、農作業は一切しないと、きつく、言い渡しました。
ましてや、今年は、孫の結婚式が控えているので、体調を崩さぬように細心の注意をしている私に対して、何かにつけて、口喧嘩を振ってくる母。
孫の結婚式には、健康で頑張っている おばあちゃん の姿をと思い、自身の体調管理と両立して、やっとの思いで、4時間余りの列車の旅で、目的地に到着。
目的地では、妹が、家族と一緒に出迎えてくれ、ここで私の緊張の糸は切れて、一挙に疲労が襲います。それとは逆に、旅で疲れていると列車の中では嘆いていた母が、妹の家に着くと、急に元気になり、あちこち見学を始めました。
これには、私も妹も驚くとともに、何かが起こると、心配になりましたが、疲労の極みで、妹が用意してくれた、姪っ子(花嫁)の部屋で爆睡。朝まで休ませていただきました。

朝の異変

やるとは思っていましたが、母が「何と何が無くなった」「泥棒が入った」と言って、妹に訴えています。母は、妹と一緒に寝たのだから、そんなはずはなく
母の、勘違いである事は、明白です。妹が一緒に見て来て、やっぱり、同じ事をすると、嫁ぎ先のお母さんが同じ行動を取るっているので、なれたものです。私たち兄妹は、それぞれの場所で、母の介護生活をしているのです。その様子を見ている、甥や姪には、これがあたり前のように写っているのでしょうか、ともに、ばあちゃんたちを、ある意味大切にします。


ひ孫が車いすを押します。    飛んで行く風船を見上げるばあちゃん。

結婚式と披露宴は、無事終了、やっとこ無事に、帰宅できました。
結婚式から帰って来たならば早速、「今年は、畑はどうした」と言います。
庭先の、4坪ほどの畑で我慢して、と言うと、「これくらいはお前がやれ!!」
母は、草取りはするが、畑仕事はしたくないと言う事らしいと、後で気付く。
来月は、入院と言う5月の初め、私に隠れて、草取りをした結果、母は、動く事もままならない激痛に襲われ、たまらず、病院で診察、「圧迫骨折ですね!!」
属に言う、神経痛と言うことになります。処置をしますから、痛みがひどくなるようでしたならば、再度受診日を確認して来院してください。と医師からの説明、さすがに草取りをして、痛くなったとは言えなかったようです。
これが、私の入院を1週間前に控えた時点です。これ以上悪くなったら、と、思いながら母を看ていました。

入所前の準備

母の入院セットは、既に何回か利用していたので、用意がしてあったはずですが、確認をして見たところ、入院セットとして用意してあったバックには、必要な物は、ほとんど入っておらず、中身がバラバラで、驚きました。
母に尋ねると、「私は知らん!!誰かが中身を入れ替えたのだ!!」と言っています。
用意してあるので、大丈夫と言うのは、普段から、点検しておいてからのことだと実感致しました。(幾度となく母が中身をひっくり返したようです)
何とか、母をなだめ、入所持に必要な衣類の隅に名前を書く作業をすると、母も協力して、自ら名前を書くので、心配でしたが、一生懸命に衣類に自分の名前を記入していたので、ある程度、入所するのを理解しているのだと確認できました。下着類に名前を書いていると、母の手作りの下着にも名前を書こうとしたので、それは止めようと、言うと顔が曇り、と同時に睨みつけます。


今回は、沢山の人がいる場所なので、普通の下着にしてくださいと、説得。
母いわく、手作りの下着の方が締め付けられなくて、楽なのでと言うことでした。最低の必要量よりも、多めに用意し、大きめのバックに入れると、何と3バックと薬1バックの計4バック、それと予備のバックを1つになりました。
今回は、私の手術が、前回できなかった事を踏まえて、術前管理を確実に行い無事手術が出来るようにと、不安定要因である母の介護を、術前術後に療養型施設を利用する事で、回避する事に致しました。
母の入所に前もって、ケアマネージャーさんと母の面談で、説得を行っていただき、普段施設の利用の話をすると、怒りだす母も、今回は、観念した様子で、説明を聞いてくれましたが、入所2日後、手術の打ち合わせがあったので、母を訪ねて行くと、「こんな処はいやだ!!」・「家に帰る」との言葉が出ていました。
2日後には、手術のため私が入院するので、ここに居るのだと説明して、必要と思われる、不足していた物を届けると、「何で みんな 見舞いにこない ? 」と言って、怒っています。母の中では、自分の病気でこちらに入所していると思っており、病院と勘違いしているようです。
この時の、母のストレスは、頂点にあったようで、後で母の口から知ったのですが、この日の夜、母は、無意識で夜、療養施設の中を徘徊したようで、異変に気付いた看護師さんが、自室に連れ戻していただいたようです。
高齢になると、いつもと違う場所に出かけたりすると、徘徊するとは、聞いていましたが、我が母も、例外ではない事を、自宅に戻ってから知りました。
手術日の母の行動
手術は、予定通り順調に行われ、麻酔から覚めて病室で、静かに休んでいると
そこに、車いすに載った母が、来て騒ぎます。様子を見に来たと言っていますが、私にかけた言葉は「頑張って、早く良くなれ」です。
ストレスがたまるので、すぐさま退去をお願いして、酸素マススクをつけている人に話しかける母のしぐさには驚きました。麻酔が効いていてもハッキリと覚えています。そんなやり取りがあって、落ち着いたところに、執刀医の先生が来られ、摘出した胆嚢から取り出した石を持って来てくださり、沢山あった事を教えていただきました。胆嚢の中にスプーン一杯ほどあり、いずれ胆管に流れ出し、激痛を伴うことになったと思いますと説明があり、緑色の細かな石を記念にと持って来てくださいました。(代表的なもの)



大きなものでは、5㎜ほどあり、これらがスプーン一杯ほどあったとは、驚きです。体の中に、こんなのが沢山あったのでは、私の体に悪さをするわけです。
これで、あの痛みと、吐き気から解放されるのだと思うと、早く退院せねば。
術後1日経過した、後前中、またまた母の訪問
「こんなところに居るのは やだ!!」 「早く家につれて帰れ」「誰か迎えにこさせろ」と、私の枕元で騒ぐので、私が動くことができるようになったなら、迎えにくるので、我慢するようにと、宥めて、退室をお願い致しました。
さすがに、このやり取りには、母をつれて来てくださった介護の方も、病室から、たまらず、離れました。まだ、体には沢山のチューブ付いている私に対して、この騒ぎ母らしいと言えば、その通りなのですが、かなり皆さんにご迷惑をかけて、病室まで、押し掛けている事が判断できます。
(次から来ないでと念を押しました)
入所時の規定で、病室棟への移動は、病気にならない限り出来ないと聞いていましたが、難なくその壁を、ぶち破って訪ねてくる母には、お手上げです。
経過は順調で、前回は、亡き、父の訪問を受けましたが、今回は、手術中、夢に見たのは、仕事の手順と打ち合わせの夢でした。父の訪問はなく、予定通りに術後2日で、チューブも取れましたが、排尿障害で睡眠不足になるので、尿管だけは、退院前日まで体内に入れたままにしておき、睡眠を確保。おかげさまで、術後60時間ぐらいで、退院となり、今回の手術での最短日数での退院となりました。(手術から4日目には、退院)


噂には聞いていましたが、腹腔鏡下胆嚢切除術の機能回復の早さに驚かされました。特に、麻酔のコントロールの正確さには、驚きながら、術後にほとんど痛みを感じずに退院できた事には、驚きました。


病棟の廊下は、痛みを感じずに移動が出来るので、安心して体の機能が回復していると、思っていた私は、退院したその足で、母の居る療養棟へ向かい、エレベーターの前で、エレベーターが、休日は止まっている事に気が付きました。


しかたがないので、階段で2階まで上がろうと、足を上げたところ、痛みに襲われ、20段余りの階段を上がるのに、20分以上も、かかって、ドアの前にたどり着き、ドアの取手に、手をかけたようとした時、ドアが急に開き、見覚えのある看護師さんがそこにいて、「どうしてここに居るのですか」と声をかけていただきましたが、その返答をする事も出来ないほど、疲れはてていました。


ちょうどそこにあった、車いすに倒れ掛かるようにして、乗り込み、呼吸が落着いてから、「今日、退院です、母の様子を見に来ました」と伝えたところに、母が、歩行器を使って、歩み寄って来たので、現状を理解してもらい、私が自分の体を自由に動かせるようになったなら、迎えにくると伝えて、母の居る療養棟を後にしました。(看護師さんには、私がかなり疲労した事はバレバレです)


さすがに、帰りは、車いすに乗ったまま、いったん水平移動で病棟に向かい、エレベーターで、2階から1階まで降りて、車いすで玄関まで行き、玄関に止めてあった車に乗り込み、移動開始です。
車椅子をいつも使用するわけには行きませんので、歩くのに必要なストックをホームセンターで2本購入。
水平に移動する時の、歩行速度をどうにか確保できるようにしました。
家に向かうのですが、道路の凸凹が、術後の体に、これほど響くとは思っていませんでした。いつもなら、自宅まで15分の道のりなのですが、1km走り、痛みが無くなるまで休憩、と言う感じで、結局、自宅に着くまで1時間以上懸かりました。食料は、途中のコンビニで休憩のときに一緒に購入していたので、自宅に着いたなら、ゆっくりと休めると思っていたならば、目の前に階段が!!!


そう、我が家は、2階で、しかも階段を上がるのでした。忘れていました階段の恐怖、結局この階段も、15分以上かけて、やっとこ、我が家のベッドに倒れ込み、気が付いたのは、携帯の呼出し音で、友人からで、明日、日曜日に見舞いにくるとの連絡で、退院して家に今いると、伝えると、退院の早いのに驚いていました。電話での会話の後、またまた眠りに落ちて、次に、気が付いたならば、いつもの病巣からの痛みと、ともに訪れるトイレへのお誘いでした。

母の療養施設退所



私の経過が順調だったので、退院後一週間で、母を迎えに行きました。
ここで、母が私にとった行動は、想像を絶するものでした。
まずは荷物の運搬をするために、車いすで母のもとに行き、荷物を載せていると、何故私をつれて行かぬ!!と睨みつけます。「こんな処はやだ!!、荷物だけ持って行くな!!」です。荷物を運び終わってから、迎えにくると、言い聞かせるのですが、私を睨みつけ、騒ぎます。この騒ぎは、エレベーターの中まで聞こえました。母は、私の体が、元通りになったと思い込んでおり、車いすで、なんで荷物を運ぶのか理解できなかったのと、家以外の、どこか別の場所につれられて行くと、勘違いをしていたようです。車いすでの荷物運び、3往復し、母を車に、無事移動して、自宅に戻り、荷物を片づけていると、「退院おめでとう」のカードを発見致しました。療養施設の皆さん、本当に、お世話になりました。


べんりグッズの紹介


車いすと、歩行器、車いすは、荷物運びに最適、歩行器は、腹部に傷のある私の、移動を助けてくれたのと、腹部が不用意にぶつかるのを防いでくれました。
ともに、母の使用する物ですが、手術をした私まで、利用させていただきました。改めて、車いすや、歩行器は、大切な物だと思いました。
今回、私し用に、トレッキングステッキを2本購入して、術後、2週間の歩行補助器具として、使用してみたところ、腹部への衝撃もなく、階段の上り下りの移動も、楽に対応でき、術後2週間以降は、1本で問題なく過ごせました。
思わぬ、利用方法となりましたが、大変便利で、腹部への衝撃をやわらげてくれ、助かりました。
注意事項として
体重を掛けての移動には適しませんので、使用時にはご注意下さい。あくまで、バランスを崩さないために、使用するグッズである事を忘れないでください。
今回の、手術で、一番の激痛を体験したのは、退院後に、窓口での支払い時に、窓口カウンターの位置が丁度、傷口の位置と重なっている事に気が付かずに、なにげ無くカウンターに体重を掛けたところ、腹部に激痛が走り、思わず、かがみ込んでしまいました。周りにいた方々は、何が起こったのか、判らずに驚いてくださいましたが、受付の方々は、良くある事なので、お気を付けてくださいねと、声を掛けて下さいました。激痛に悶絶した私でした。
こんな私が、母を家につれて帰り、食事と入浴補助を行いながらの、介護生活の開始です。 


家での介護生活



普段、入浴時には、洗髪と体を洗う事と、バスタブに入る時に補助を行っているのですが、術後の私が出来る事は、洗髪のみとなり、母が洗い場で、転ばぬように見守る事しか、できないと言うと、初めて、手術をしたことで、体をかがむことや、物を持ち上げる動作で、私の、お腹の傷口が痛む事が、理解できたのやら、どうなのか、何となく、か、仕方なく、か、納得していた母でした。
しかし、落着くと、いつものように、母から私に、「誰と誰に連絡しろ」「帰って来たのを知らせろ」との要求が!!、母の言う方々には、既に連絡をしてあるので、心配をしなくても良いことを伝えるのですが、こちらの言う事には耳を方向けません。
普段は、足腰が痛いので、歩けないと言っている母が、私の静止を振り切り、お隣さんに挨拶をしに出かけます。
残念ながら、母の歩行速度の方が、術後の私の歩行速度以上に早いので、追い付くことは、出来ませんでした。このような時の、母の行動は、普段と比べて、素早く、どうして動けるのか不思議になる事が、しばしばあります。?
これが、高齢者の介護をしていての、不思議行動の1つに上げられます。
それと、食事の催促だけは、忘れません。?(火災が怖いので私が作ります)


こんな感じて作っています。


朝昼晩と、ワンプレートで済むように作っているのですが、献立が難しい。


普段は、歩行時に腰が痛くて、と言っている母が、天気が良い日には、庭先で草むしり、腰骨や背骨を圧迫する姿勢で、またまた、骨折の危険性が、ヒヤヒヤものです。どうも、草むしりの方が、自分の体より大切と思っているのか?です。こんなとき、注意をするのですが、返し言葉は「痛くねぇようにしている」「家の中だけでは、体が腐る」等々「お前がやらないから私がやる」です。
またまた、こんなやり取りが、ずうーと(このまま)続けば良いのだが!!


今回の、私の入院から、悟ったことがあります。
介護をする側の人が、入院する時には、入院中はもとより、介護対象者をいか入院中に近付けさせないこと。合うと、精神的に不安定になり、体調を崩す恐れ有り、なまじ、退院許可が下りても、思っている以上に通常生活には、ほど遠く、思わぬ制約が発生するので、退院は、体力が完全に回復してからで、今回、のように、通常の入院期間では体力不足なので、退院は、介護に当たる人の体力が回復してからと言う事が、いかに大切か、よくわかりました。
また家族を頼りに、退院しても、看護対象者と自分とのW看護になりかねません。この場合は、ストレスが異状に懸かるので、注意です。


このように、体力が回復していないと、かなり精神的にも、疲れ、疲労感が倍増する事が、わかったので、皆様にお知らせしておきます。
介護対象者と介護人の両方が入院の事態は、できるだけ避ける事が必要です。
思わぬ結果を、導きだすことがあるので、ご注意下さい。


今回の、私の入院については、医療機関やケアマネージャーさん、介護担当の皆さんには、大変お世話になりました。私のような事が、これからは、誰にでも起こりうるので、老人介護については、悩むよりも、まずは、関係機関等に相談をする事を御勧めします。皆さんと協力して、無理のない介護生活を送らないと、共倒れになる事も考えられますので、普段からの情報交換も忘れないように、地域社会との交流も大切にしてください。

☆ 心配事が、現実に!!!



私が退院して、2週間目、母を家に迎えて、1週間を過ぎたあたりで、仕事のために半日、家を留守にしたとき、昼食の仕度のために戻ってみると、いつものように、私が留守をすると、庭先で草むしりをしている母がそこに!!、私が戻ったので、いそいそと、家の中に、体のために良くないから、と注意をすると、いつものように反論が返ってきます。こんな事があった翌朝、
「足が痛い」、「いつもと違う」、「うまく動けない」、覚悟はしていましたが、やってしまった。杖を使って、家の中は動けるのだが、完全に自由を奪われた母。現在の私は、食事の世話は、出来るが、体位管理までは、現在の私の体調では無理だ、やっと、母の入浴時に体を洗うことが出来るようになったばかりで、母の身の回りの世話までは、こんな時に、傷口が痛む、ちょっと無理をしたか?
病院につれて行くことにした。
※病院で会話
母を病院で診てもらい、痛み止めの処置を処置室で行っていると、居合わせた患者さんのご家族が、母を知っている様子、母と話をするのですが、昔の記憶と、現在の状況が、あまり理解できていないようで、母の説明によると、今回の、病院での治療は、全て私が悪いことになっています。同席していた看護師さんと、患者さんの家族は、外に私がいるので、返答に困っていました。
車椅子の母を、歩行用杖を使っている息子が押しているのです。
私が疲れはてて、処置室の前で腰掛けていると、先週まで、入院していた私を皆さん覚えて、いていただき、病院の方々が、お声をかけてくださいます。
皆さん、高齢者の、お世話は、家族に一番負担がかかりますから、無理して頑張らず、何かありましたならば、ご相談下さいと、お声をかけてくださいました。このあたりが、都会ではなく、顔見知りが多い、田舎対応なので、ほっとする、安心感をいただきました。 皆さんありがとうございます。
このことを妹に、連絡をすると、母の帰宅後、母に電話をすると、やはり会話が不自然で、今までと違うので、兄の言っていることが良く理解できると、心配しております。私の体調を考えると、ある程度の準備は、進めなくてはならないかと、電話を介して、理解した兄妹でした。

⌘ 母との会話



病院から帰宅して、数日後、母からの、落ち込む言動が余りにも多いので、母の妹である叔母に、母との会話をお願いして、現実と向き合う方法を探りましたが、母は、自分の事と理解できなくなって来たのか、まるで他人事のごとくの、言い換えをします。これには、叔母も驚いているようです。
叔母の同席のもと、私への負担が増し、健康を害す場合は、躊躇無く施設への入所をお願いする事を叔母にも理解していただき、母に話すのですが・・・
「そうなってみなくては分からん」「まだ先の事は分からん」
「親より、先に行くのは、親不孝だ」「子供が面倒看るのは、あたり前だ」
「親不孝者だ」・・・・・等々、色々、名言を言っています。
まだ元気があるので、出てくる言葉とは思いますが、疲れます。
食事の準備をしなくては、今日の献立は、と悩む日々を楽しんでおります。

⌘ 母の行動



母が自ら、訪問看護師さんに申し出た、「薬の管理ができない」と、今年になってから、薬が沢山余る傾向は気になっていたのだが、療養施設から帰宅後、薬の管理が難しくなったのか、私には内緒で、訪問看護師さんに薬を預けたと、看護師さんからの報告で知ったのですが、本日、母が、薬が無いと必死に探していたので、看護師さんに、母自ら預けた事を知らせると、「そうだったか」
「どこかに、持って行かれたかと思った」(隠された)と言っている。
母の物忘れ、急激に進んでいるようである、ケアマネージャーさんも心配して、訪ねてくれたり、今後の対応の方法を検討していただいたり、これ以上、惚けと痴ほうの症状が進行しない事を祈るのみです。

⌘母の入浴 ☆☆☆



歩行困難になって来た、母の体調管理が難しい状態での入浴は、術後の私には無理なので、入浴サービスを利用する事にしました。急なお願いでしたが、対応してくださる所があり、安心致しましたが、初日、どうしても仕事があり、母の入浴日には在宅できません。帰郷していた妹が代理で立ち合い、母の入浴サービスを見守り、私の帰宅後、入浴サービスの様子を話してくれたので、安心致しました。
母の入浴サービス2回目、初めて目にする入浴サービス。
3人でいらっしゃって、入浴前に、体調状態の確認。体温、血圧等の測定を行い、入浴可能な状態か判断してから入浴です。
入浴している母の様子を見ていると、気持ち良さそうに、サービスを受けています。特に、入浴時介護人との会話は、嬉しいようで、問いかけにハッキリと答えていました。入浴後の母の体調についても、記録して下さり、着替えまでしていただき、私は、母の着替えを用意しておけば、入浴開始前から入浴終了後まで、何もしなくて良いので、ただ見守るだけで、最後に「ありがとうございました」と見送るのが私の仕事になりました。 入浴サービスすばらしい。
ベッドの横で、入浴できるのですから、驚きと言うか・感動です。


この入浴サービスは、有料ですが、金銭よりも価値のあるサービスのように私には感じられます。季節がら、週2回を、御願いしております。
母の、体調にも刺激があるようで、私への当りが柔らかになります。


冬になる前に、浴室を改装して、自宅の風呂で入浴できるようになったらと、思っていますが、ベッドの横で入浴できる・・・・・どちらが良いのだろう。
そのくらい迷うほど、すばらしい、入浴サービスです。
(今回は、地域で活躍されている入浴サービスを利用しています。)


『母つれて、通院すれば、同窓会』字余り・・・・
『母とゆく、待合室は、顔見知りとの、同窓会か』
どうもセンスが無いようです。

でわまた。