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我が家の介護日誌 第15章

⌘ 介護人と介護を受ける人、不思議な関係

浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

何で、こんな書き出しになったのかと、申しますと、私自身に戸惑いが有り、介護している母の行動と、私の考えている母への行動が、うまくシンクロしなくなって来たからです。介護を職業として、働いている方は、ある程度割り切れると聞いてはいますが、ましてや、嫁いで来た女性にとっては、よほどの決心が必要だと思います。

前にも、紹介致しましたが、介護のたらい回しを、兄弟の中で行い、見かねた、お嫁さんが、私たちで見ますと宣言し、ご主人の職業まで転職して、親の面倒を看るお話を紹介致しましたが、すばらしい奥様(嫁さん)だと感激致しました。
私は、一人暮らしなので、1人で対応するのがあたり前ですが、
我が家の母の口癖は「親の面倒を子供が看るのはあたり前だ!!」「子供が親の面倒を看なくてどうする」と言います。確かに、親無くして、子供の存在は無いのですから。真意は突いているのですが、私が入院して、面倒を看れなく、なっているのに、それを求める母は、どうゆう気持ちで言っているのだろう?
(ふと思いますが、加齢の為に無理なのか)
入院中、ベッドで呼吸器を付けて、意識を回復したばかりの私にかけた言葉
「頑張って早く良くなって、面倒を見てもらわなくては困る!!」
話には、聞いていたが、歳を取ると自己中心的な言動が多くなることは覚悟していたが、呼吸器が外れたならば「早く良くなって、家に連れて帰れ!!」
これには、まいった。

自宅に帰り、介護に支障を来したので入浴サービスを御願いした。入浴サービスのために、前もって、用意していた母の下着が、いつもの場所に有りません。入浴サービスを受ける日の朝、母の下着を確認して見ると、無くなっている。
母に尋ねると、知らない「誰かが取ったのだ」「泥棒が入ったのだ」と言う。
母以外、家には居ないのに、無くなるわけが無いので尋ねると、自分が片付けたとは絶対に認めない。「新しいのを買ってこい」と言いますが、既に3セット分購入して、足りないといけないので、さらに3セット用意してあったのですが、1セットも見あたりません。ただショーツが1枚あるだけです。
私が繰り返し尋ねるので、根負けした母が、持って来たのは、スーパーの買物袋。中身を確認すると、母の名前の書いた下着が3セットと、その他のショーツが3枚入っていました。
入浴サービスを受ける時は、着替えを、所定の場所に用意しておくことになっているので、入浴サービスの日には、ここに用意しておく決まりになっていると、母に説明しても、「そんなことは聞いていない、初めて聞いた!」と言います。
名前の書いてある衣服(下着等も含む)は、入院や、看護施設に入所の時、持ち物には、名前を所定の場所に書くようにと、入所案内に書いてあったので、記入した物。
私の体調不良時に備えて、母のも用意してあった、母の入所セット(入院セット)の中から持ち出した物であることが分かります。こんなことが、度々有りますので、入院・入所セットは、常に確認しておきませんと、いざと言う時に慌てます。こんなやり取りを、ケアマネージャーさんに相談すると、「良く有ることです」「皆さん同じことを言っていますよ!!」と教えてくれました。
(相談すると、少しは安心します)
入浴サービスごとの、母と私の、下着探しの鬼ごっこ&探しものごっこは、まだまだ続きそうです。
(下着に名前が書いてあるので、母は、自分で隠したのを認めざるを得ません)

また、この地域独特なのか、介護対象者が、自分に必要以上の頑張り行動をしてしまい、結果として、転倒や骨折をしてしまい、病状以上に悪化させてしまうことが、多いことも、ケアマネージャーさんが教えてくださいました。歳とっても、格好つけるのが、この年代だとも教えてくださいました。自分で動き回り、自分で自分を、傷付けているのが判断できない、自分がいることが分からなくなっている高齢者。
見栄と言うのか、格好つけていると言うのか、見守る側からは冷や汗物です。
惚けていると、認めたくないのか、行動がアンバランスで心配です。
できるだけ、トラブルは避けたいのですが、自分が出来るとなると、何事も後先考えずに行動してしまい、翌日はベッドで横になり苦しんでいる。
注意をすると、さらに行動が過激になり、注意(心配)を悪意に取る母です。
なんとかしてあげたいのだが、同じことを繰り返す母です。

愚痴ばかりになってしまいますので、内容を変えます。

現在、私の体の病状は、膠着状態に有り、ゆっくりと進行しているようです。
病状は安定しているようなのですが、下腹部に階段を上がる時に痛みが有り
排尿行為を行うと、痛みが落着きます。投薬は複数試しているのですが、実感はあまり有りませんが、気分的には落着きますし、一部の投薬は痛みに対応してくれます。医師との相談で、現在、痛み止めの処方を出すか、我慢するかの状況に有り、何とか我慢できているので、もう3ヶ月様子を見ることにしましたが、急変が有った場合は、直ちに入院をすることになっています。

何とも、スリリングな介護生活をすることになっていますので、不安も有りますが、結果は見えているので、それまでは、生きることに、どん欲に、挑戦することにしました。何故か、鈴鹿の8耐レースを思い出してしまいました。
介護や闘病は、耐久レースに似たものを感じている今日この頃です。

日頃の体調管理の大切さが、身にしみるのだが、実際に体験してみて、初めて分かるのでは、遅いのかもしれないが、現在の医学では、遺伝子検査で病気の判定が出来るようになって来ている。さらに、医学が進むと病変遺伝子を最初から持っていると、最初から私の存在自体が無くなることもあり得ることになる。(劣性遺伝子排除などと言っていた、どこかのオカルト的考えや、宗教的考えが出てくるのも困ります)
またそれとは逆に、遺伝子治療が可能になってくる場合もある。
遺伝子治療は諸刃の刃とも言える治療方法かもしれないが、そこに希望を見いだす事ができるのが、人間の良いところだと思いたい。
私も、遺伝子治療が受けることができるところまで、頑張りたいところです。

訃報

親戚で、入院20日後、お嬢さんが他界してしまった。
脳梗塞で倒れた父親の看病を、母と協力して頑張っていた。
まだ若いのに、長女として、父親の介護の中心で頑張っていたのに。
家族に、今日は、体調が不良だと告げて、意識を失い、急いで家族が病院に入院させたところ、末期癌で、見守ることしか出来なかったと。
苦しまず、まるで、眠るように逝ったのが、せめてもの救いだと、
残された家族の言葉が、強く響いた。
疲れても、若いから休めば治ると、思っていたのか、それほど急激に病魔が進行したのか、若さだけでは病魔には立ち向かえない。
日頃の健康管理は、人任せではなく、個人の注意が必要なのだと葬儀の参列者一同が深く感じた。

○ 何でぇ〜、そ〜なるの?

母を病院に連れて行った時のことである。
整形外科の予約が取れていたので、少し早めで、診察順番を待っていると
「何で、つれて来た」、「何で、内科に行かない?」等々
本人は、病院に行くと、3科くらいを回らないと気が済まないようである。
(これをやると、診察時間が3時間くらいになり、待ち時間だけが長くなる)
母は、「一度に看てもらえば用は済む!!」と言って、私を睨みつけます。
大きな声で、他の科も受診すると言います。何とかなだめて、無事、診察終了。
本日は、整形外科のみ受診です。(所要時間約1.5時間)
自宅に戻り、あまりにも早く病院が終わったので驚いている母。

高齢者は、出かける(通院が)のが面倒になって来ているので、病院は、一度に複数科を看てもらうのが、高齢者の合い言葉のようになっているようで、観察していると、次々と、他の科にカルテが周り、同じ人物が、複数の科で診察を受けている。これでは、診察時間が、懸かるのと、予約以外の患者さんが、待たされるのが納得でき、高齢者は自己中心的になって行くと言うが、まさに、実証、確認できるのが、高齢者の多い地域病院である。

○母の不安
いつものことであるが、体調不良で、休んでいると、インターホンで母が呼ぶ。
何事かと、思って急いで行くと、生きているか心配になったとのことである。
用事がある時にインターホンを使いなさいと言っているのだが、どうも寂しくなったり、不安になると、時間は関係なく押したくなるようである。
私のところに、仕事の関係で、来客があった時や、私のところを直接訪問した場合等は、必ずインターホンで、誰が来た!!?、何をしに来た!!?、と、
母には関係ないのだが、しつこく尋ねる。
私をよほど信用していないらしい。 用事はないのにインターホン。

○ 母の反乱・・・・・母の、薬を服用する行動の変化

通常だと、服用指示に従って、服用するのだが、私が仕事で出かけて、夜帰って来ると、明かりがついたままで、戸締まりもしておらず、外から丸見えの室内で、倒れている母が見え、慌てて、母のもとに行って看ると、身じろぎもせず、よく観察すると、静かに呼吸をしている。呼びかけには、多少反応するが、
動きは鈍く、すぐに寝てしまう。具合が悪くて寝ているとは思えない。そんな母のもとで2時間以上付き添っていると、突然目覚めて、私の問いかけに答えるのだが、夢の中の出来事のようで、反応が的を得ていない。
何とか、無事なので、戸締まりをして、寝かし付け、翌朝心配なので、起きていた母に尋ねると、「そんなことは知らない。嘘を言うな!!」です。
私が仕事で、夜遅くなると、度々こんな事があり、不思議に思っていましたが、心配になり、その都度母に尋ねるのですが、「そんなことあったか」
「また親をばかにして」・夜中じゅう室内の灯りを、つけっぱなしになっていたので朝注意をすると、「誰か来て、灯りを付けて行ったとか」等々・・・・・・・・
帰宅して、灯りがついていたので、母の部屋に様子を見に行くと、例の症状
ぐったりと、ベッドに横になり身じろぎせず、声を掛けると「親戚が集まって話をしているのだから灯りを付けている」「皆いるに、何で明かりを消さなきゃならん」「うるさいどっかに行け」と怒鳴り、しばらくすると寝てしまいます。
このことを翌朝、尋ねるのだが、「そんなこと言う分けねぇ〜さ」お前がぼけていたのだと言うとしまつ。夜中に、母の部屋から大きな音がしたので、確認すると、テレビがかかったままで驚いたり、朝になり、確認すると「昨夜、誰かが来て、テレビをつけて行ったとか」こんなことが度々あった週に変化が。
不思議と、母から、訪問看護士さんに、薬の服用がうまく行かなくなったので、と相談。(飲み忘れによる残薬が増加)
看護師さんの指導で、個々の、曜日と時間ごとに服用できる薬袋あるのでそれを使用すると、間違いが少なくなると教えていただき、直ちに購入して使用開始。名前が「お薬カレンダー」こちらに、各曜日ごとに、朝・昼・夜・寝る前
と、薬をセットしておき、曜日に合わせて飲んで行くシステムに変更。
最初は、間違いなく飲んでいるのだが、空になって行く曜日ポケットが増えてくると、「薬が無くなった」と、大騒ぎ、「毎週火曜日に薬をセットし直すから」と言っても聞かずに、自分勝手に薬をセットしてしまい、私が飲み忘れかと薬を確認すると、日にちが違う薬が入れてあり、再度入れ直すことに。
こんな事があり、薬の管理を厳しく行うと、今度は、来客者に、薬の補充を頼むしまつ、各小袋に日にちを前から書いておくようになっていたので、小袋は間違えず、お薬カレンダーにセットは出来るのだが、似通った錠剤は間違えるので、管理を確りとしているのだが、来客者には難しく、間違っていたので、確認して直すと、「誰々にセットしてもらった、何でお前が確認する」「よけいなことをするな」と言って、わめきます。
CIMG3893.JPG曜日ごとに薬を入れてあるのですが、少なくなると
補充を急がせます。






8月になり、妹たちの帰郷があるのか、不安になると、いつ来るのか、準備をしなくては、と、あちらこちら動き回り、そのあげく、体調を崩し、横になる日々を過ごすはめに。
妹家族の帰郷があり、皆で、母の居る母屋を片付けると、母の大切なビニール袋が、1つ、2つ、3つ、・・・・・出るわ、出るわ、中を確認して、見ると、どれも同じ袋に、ゴミと母の衣服が、少しずつ入っており、整理すると、ゴミ袋が沢山できました。妹家族と皆でお片付け、歳を重ねるとゴミ屋敷になるとは聞いていたが、一歩手前で、片付けることができました。私が、これをやると、母は激怒致します。(軽トラ2台)
帰郷した妹家族の協力で、母の居る母屋も片付き、それぞれが、思い思いの夏休みを過ごしていると、母の機嫌がすぐれません。
母を中心に妹家族が行動しないのと、相手をしてくれないので不機嫌です。
不機嫌になると、やるとこが、薬の服用時間を早め、皆が夕食を摂っていると先に食事を終えた母が、ベッドに座り込んだまま眠っています。
どうやら、眠る前に飲む、安定剤を食後すぐに飲んだので、眠ってしまったようです。そうとは知らない、妹家族は大慌て、「おば〜ちゃんが、呼びかけても反応しない・座ったまま寝ている」と知らせてきます。
何も知らない、妹家族は大騒ぎ。心配なので妹は、結局3時間ほど、横に付いて見守ることに。そんな騒ぎで気を引く母もいるのです。
妹たちが帰郷して数日、それぞれが、思い思いの休日を楽しんでいると、相手をしてもらえない母は、又、夕食後に、就寝時に飲む薬の早飲みをしようとしていたので、私が止めると、騒ぎだし、結局、全員集合の食事が、お流れに、一度に安定剤を2回分飲もうとしていたのを皆で止めると、何とか、騒ぎは治まりました。どうも、私が、母の行動を止めに入ると、とっても気に入らないようで、反発します。
こんなことが、しばしばあることを、妹に言ったならば、介護では、一番近くに居て、一番看てくれる人ほど、介護対象者からの、敵対対象的になるらしいと教えてくれた。
妹のご主人も、私と同じように、母親の介護に奔走しているので、私が母から受ける「敵対対象」と同じ行動を受けていると教えてくれた。
そう言えば、ご主人と電話で会話した時に、妙にお互いの会話内容で納得していたことを思い出した。妹は、子育てと、孫育てに奔走。
男共は、ともに母親介護に奔走。互いにエール交換。
(そう言えば、長らく合っていないなぁ〜)

もう少し、人生後半はゆったりと過ごすつもりだったのだが、これも人生かと認めるしかないのが現実です。

妹家族が、帰宅してしばらくすると、いつもの平穏なリズムに戻りました。
しかし、私が母の薬を確認すると、夕食後に飲むはずの薬が見当たりません。
母に尋ねると、知らない!!、薬など無かった!!、と言います。
ゴミ箱や、母の座っていた場所を確認すると、薬の空パッケージが見つかります。どうも、夕食後と言う薬は、夕方に飲む薬と勘違いをしているようです。
この間違いを、夕食事に確認する作業が、ここ約一ヶ月続いています。
「夕と書いてあるから、夕方飲む薬だ!!」と言ってききません。
夕食後を勘違いしている母が、そこに居るのです。(対応策を考えねば)

寝る前に服用する薬は、夕食後に飲むようになり、夜中や明け方まで、テレビを点けたままになっており、トイレに起きた時に、確認して驚くことがしばしばです。私は、ほぼ1時間半ごとに尿意で、毎夜起きるので、その都度、母の様子を注意して見ているので問題は無いのですが、神経的に疲れます。
母の調子の良い日に、母の行動に付いて色々なことを話すと
「そんなこたぁ〜ねぇ〜さ」「そんなこたぁ〜言ったかやぁ〜」
「そんなこたぁ〜言いこねぇ〜さよう」「そんなこたぁ〜しっこねぇ〜えさ」
などと返ってきますが、少しは記憶に残っていることもあり
「歳を取ると少しは惚けるさよぅ〜」とごまかします。
シッカリしている時間帯に話をするように心がけるのですが、なにげ無い言葉に「バカになった」が多くなり、「死にゃ〜ぁいいずら」が少なくなったことがせめてもの救いです。

母の介護の話で、多くの人と知り合い、意見交換をすることがあります。

『「会話が出来ればいいですよ! うちなんか孫と本気で喧嘩しています。」
「女房・子供と板挟み。仕事から帰れば夜は介護、これじゃ太る間も無い。」
「下の世話、親子だからできるけど、嫁には頭が下がる。」
私、「嫁・姑の板挟み、これが無いから、まだましだよね。」
と言っていた。同じ境遇の複数の知人(男性)の言葉を思い出した。』

今月から、母も元気になり、だいぶ歩けるようになったので、ヘルパーさんに母の入浴介助を手伝ってもらい、私は、体を休めることにしました。
ヘルパーさんと、契約時にお話を伺うと、どちらのご家庭でも、薬や、食事、日常会話でも、介護人と介護者が必ずぶつかり合い、悩んでいるのが現実だとも、教えていただきました。そこで、今回からは、私の体調がすぐれない時間は、ヘルパーさんをお願いして、母の身の回りを看てもらい、私は、体調管理により一層注意を心がけることに致しました、今日この頃です。

季節は巡り、冬の訪れです。
季節とは逆に、母の体調は思いのほか回復し、入浴サービスもヘルパーさんに切り替え、すこぶる元気に。
母とは逆に、私の方は、またまた腫瘍が大きくなり、体調管理に不便をきたしてきましたので、手術をすることにしました。前回と同じ場所の切除手術なので、危険率は跳ね上がりますが、痛みからの解放を期待しての手術です。
入院準備をしていると、母は、「親を除け者にして、何をたくらんでいる?」
「また、親を邪魔者扱いするつもりだろう」等と言っています。私の留守の間、
一応、前回と同じ療養型を利用できることになりましたので、母には話をしてあるのですが、「そんな話は、初めて聞いた」です。ケァマネージャーや親戚を交えて、本人同席で話をしてあるのですが、都合が悪くなると覚えていないを連呼します。
母の反乱 2
安全を考え、入浴を私の所で済ましていた母の移動を考え、母の住む母屋の浴室を全面改装することに。母の了解は取ってあるのですが、ここで「母の反乱」。
職人さんに、どうしても母の時間で「お茶(休み)」を出すと言って聞きません。
午前の休憩、9時頃から騒ぎだします。(昔の職人さんは10時)
午後の休憩、14時頃から騒ぎだします。(昔の職人さんは15時)
職人さんたちも、これには困った様子。私が、時間で休んでいただくので、母には、何もしなくて良いと言ってあるにもかかわらず、職人さんを見ると、せっせっと、「お茶」の準備を毎日しています。母には工事が始まる前から、職人さんたちへの「お茶出し」は、やらなくて良いことになっていると、言ってあるのですが、その都度仕度、やらなくて良いと言って聞かせては有るのですが
一向に聞きません。「私を除け者にしている」「挨拶をしなくては」等など、色んなことを言っては、準備をする母、職人さんも、心得ていて、母の呼びかけには「時間になったならば休ませいいただきます」と仕事に向かっています。
母いわく、「私の言い方では、お茶にしていただけない。お前が声をかけろ」
です。時間を見ると、10時のお茶時間には、まだ45分ほど有りますので、これでは、職人さんは、手を休めません。工事中は、毎日がこんな感じです。
朝食の時、母に、お茶の準備はしなくていいことになっているので、やらなくて良いのだと言うと、「分かっている」と答えが返ってくるのだが、職人さんたちが工事を初めてしばらくすると、毎日、お茶の準備を始める母。
その都度、お茶は、やらなくて良いことになっていると、なだめることに!!
母の返事は、私をその都度、睨み付け、小さな声で・・・・・、 疲れます。
でも、年末には、工事は完成。
無事に、初入浴、気分転換できたと思っていたならば・・・・・
片付けてあった、古い諸々をお風呂場に持ち込み・・・・慌てる私
無事に片付けて、一休み。

○今年は、ここから始まり、ここで来年に持ち越し。

CIMG4743.JPGCIMG4741.JPG

この景色の見えるところで、治療をせねば。
新年早々の初仕事は、入院治療です。(母ではなく、私の入院治療です)
新年早々の、入院準備を整えていると、母が「強は天気がよい」「髪を染める」と急に騒ぎだす。12月31日です。
年明けでもいいのでは、言うと、機嫌を損ね、喚いている。
本年最後の仕事は、母の髪染めになってしまった2014年である。
2015年新春です。
私の入院に合わせて、母の介護施設への準備をしていると。
「どこに連れて行くつもりだ?」「一人でいられる」「親戚(叔母(妹))が看てくれる」などと言って、施設への入所準備を不機嫌な様子で見ています。
驚きなのは、私が、入所する母の為に必要品を準備していると、色々言ってくる、不思議に思っていたならば、母は、母で準備をしていたのです。
これには、驚いたのと、私が準備した品物が無くなる訳です。
しかし、時間が経つと、「何をしているのだ」「入所は嫌だ」「何処も行かない」
「家にいる」などと、また、言い出します。
入所は、3ヶ月前から伝えてあるのですが、「そんなことは、聞いていない!!」
「誰が言った」などと、一日、1回は、言っています。
やはり、住み慣れた環境が変わると言うことは、かなりの不安と、重圧が有るのだと感じました。
老人介護の現場において、住環境が変わることには、かなりの不安材料になる。
母の介護施設への入所を、私の入院前日にどうにか実施できました。
翌日は、私の入院です。いつもと同じ、一人入院。
病棟と部屋番号を確認して、ナースステーションへ、看護士さんに案内されて病室へ、四人部屋で、全く同じ手術を、同日に受ける方と同室になりました。
今回の 手術内容と予定

2015.01.09手術同意書.jpeg

手術同意書の作成と、翌日が、手術日となっていたので、
まずは、予定確認?・・・・・
私の手術順番は決まっていましたが、手術時間が?・・・・・
入院期間は・・・・入院から約 『未定』 となっていました。
担当医との話で、処置部位の状況を見てから手術方法を選択するとの説明があったことを思い出しました。私の体調に、胸の痛みが年末から有ることを伝えたところ、急遽、心臓の検査を実施していただき、心配無しの判定。
明日の手術に向けて、ゆっくりと過ごすことに。でも、いつもと変わらず
一定時間ごとのトイレは変わりません。
手術は、二番目です。午後になった頃、手術室までお越し下さいとお声がけ。看護士さんと徒歩で、手術室まで、9つ有る手術室の1つが私の手術場所
術医師2人、麻酔医2人、看護師3人くらいの少数精鋭
(実際はもう少しいたような)
まずは麻酔から、指導医の指示に従い、担当麻酔医が麻酔の準備
ここでアクシデント。!!!
何事か発生!!!・・・・
私は、横向けで背骨に下半身麻酔の準備消毒をしている時でした。
二種類の消毒で、麻酔処置場所を消毒中に起きました。
アルコール消毒中に背中の皮膚に異変。・・・・直ちに麻酔医師から
「アルコールには、弱い体質ですか?」・・・問い
私、アルコールに弱いとは思っていませんでしたが、・・
「昔たくさん飲み過ぎて体を壊しました」・・・報告

麻酔医師から、背中にアルコール消毒を実施したところ、皮膚に変化があり、別の消毒に変えるとのこと、
確かに、体調不良になってからの大量のアルコール類は、飲むことはもちろん止めているし、少量の摂取で、体調を崩すほど、アルコールには弱くなっていたが、それほど気には止めていなかった。
前回の手術(数年前)では、何の異常もなく。
しかも、6ヶ月前の腹腔鏡手術でも、同じような消毒をしているはずで、その時には、何事も無く、済んでいました。
何故、・・一生分以上のお酒は飲み干し、体を壊したことは認めますが
今回、何故、アルコールの耐性が無くなったのか不思議 ?
そう言えば、傷口に貼っていた消毒用テープで、皮膚炎を起こしたことを思い出した。これからは、今まで以上にアルコールに注意が必要と認識。
そんなことを思っていたならば、麻酔が開始され、下半身が麻痺状態に
右足を持ち上げている感触が強くなった。(普通に寝ている状態)
執刀医から「両足を持ち上げます」の声
左足は、何も感じないのだが、なぜか右脚だけ高く持ち上げている感触。
(前回の下半身麻酔でも、この感覚を体験)
手術開始とともに、執刀医から、色々な指示がとんでいるのと、助手との間で病巣の確認と、治療方法がその場で決定されて行き、今回の手術は、当初検討していた病巣を切除するのではなく、病巣確認と、組織検査、病巣部位の対処療法に変更。
執刀医から、私への説明があり、手術時間を大幅に短縮して、終了。
今までで、一番短時間での手術・・・病棟からの迎えが間に合わないほど。
手術室からの移動が、新方式になっていた。手術台ごと移動できるのだ !!
前回の手術の時は、手術台から移動用ストレッチャーへスタッフ皆で、
ストレッチャーからリフトへスタッフ皆で、リフトから病床ベッドとなっていたが、
今回は、手術台から病床ベッドへの移動で、
手術室のスタッフさんが、私を抱えるのが一度で済む形態になっていた。
これは、良いことです。 70k以上の私を一度の移動でベッドに移せるのですから、手術室付きのスタッフの皆さんの腰への負担を多いに軽減できている。
手術室の照明もLED(自然色より色むらが有ることを克服しているようでした)に変わっていたようだし、
手術室の温度調節が的確に管理されていて、驚いたのと、麻酔の技術進歩に驚かされた。手術中は、必要に応じて、気が付いた時点で、声をかけていただき、スタッフの皆さんに緊張感をやわらげていただきました。
何せ、下半身麻酔ですので、手術中の話は、記憶に残っているのです。
前回は、手術時間の長さから、体調を崩し、麻酔医に冷や汗を・・・
しかし今回は、別の麻酔を併用して、気持ちよくリラックスして治療を済ませることができました。
病室に戻り、しばらくすると、左足の感覚が戻り、指先、関節とさめて来ています。6時間くらいすると、左足の指はもちろん足首の感覚は回復しました。
背中に痛みを感じたので、体位変換をナースコールでお願いしました。
なぜか右脚の感覚が戻りません。
ここから、3時間後くらいに、急にお腹が痛くなり、ナースコール。
深夜でしたが、看ていただき、お腹を暖めていただき、腸の運動がしやすい態勢に、移動、お腹の痛みが無くなりました。この頃やっと、右脚の感覚が戻りだし、右脚の指先と足首が動くようになりました。
左足は、関節を曲げることが出来るようになっていましたが、右脚はまだです。
点滴の交換に、来ていただいたのが明け方、やっと、お腹のガスが抜けて、楽になりました。昔、盲腸の手術をした時に、ガスが出たかと何回も聞かれたのを思い出しました。ガスが抜けないと、とてつもない腹痛に見舞われることを痛感した、手術日の一夜でした。
朝6時が、起床です。まだ右脚が思うように動きません。
朝食は、普通食が出ました。回診時に、管が抜けたならば、『退院できますよ!!』
との主治医からの言葉、担当医が、回って来て同室の方と、私の管を抜き取り
異状が無ければ、このまま退院して良いとのこと。入院3日目で退院 ?
前回の管抜きの後は、陰部からの出血がひどく、下着が、かなり汚れましたが、(使用下着は、ワンタッチT字帯、看護される方もこれは楽です)
今回は、ほとんど汚れず、看護師さんが清拭に来ていただき、体を拭くと同時に、患部(陰部・むすこ)のようすを確認、あまりにも厳重に梱包されていたので、2人して、驚くと同時に、出血が思っていたほど無いのに2人して驚きました。厳重に梱包された、むすこの姿に笑ってしまった私と・・・・
ベテランになれば、若いお嬢さんといえども、皆さんもうなれっこです。
私は、まだ右脚に不安が有り、朝にも麻酔医師の回診を受けたので、もう一日ようすを視てから退院の判断をすることにしました。
全身麻酔の80代の同室の方は、夕方には迎えが来られ退院して行きました。
私も、翌日に無事退院致しました。

今回も、体の不自由が利かない時に、看護師の皆さんに大変お世話になりました。仕事と言っても、24時間の看護態勢、交代勤務が有るとはいっても、大変なお仕事です。介護や看護これらの仕事に就く方は、就業期間が短いと、先輩方が、言っていたのが、気にかかります。
少子高齢化が進む中において、介護・看護の職場では、人材が求められ、それらの就業職場での離職率の高さが問題になっています。
私たち、患者や介護対象者と、看護・介護の実施者との良好な関係が築かれる職場になれば、離職者も少しは、減少するのかと思った、今回の入院でした。

帰宅後、2週間を過ぎましたが、体を動かすと出血が有り、安静に過ごすことを求められている日々を過ごしています。
手術後から3週間目で、やっと出血が止り、この原稿を仕上げながら、改めて、この病気と付き合うには、かなりの覚悟が必要だと言うことを認識したのと、老いて行く母の面倒を見ながら、自分自身の面倒をどのように計画して行くのか、確りと計画が必要なことが分かり、最短の場合と、経年の場合での計画が大切であることを、再度認識しました。

介護人と介護を受ける人、それを支える制度とその支援体制も大切では有るが、職業として考えた場合には、最後に、どのようにお世話になるかを考えると、職業として、従事している皆さんへの感謝を忘れては行けないと言うことに、今回は、改めて、気付かされた入院生活でした。
私よりも、今回は、母の方が元気で過ごしてくれているようで安心しています。
明日にも、母を迎えに行けるように、自宅の準備をしましょう。

つづく

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