HOME > 介護日誌 > 我が家の介護日誌 第17章

我が家の介護日誌 P-17


浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

この頃、母が、真夜中に活動することがあります。
今回は、「真夜中のファションショー」が開催され、驚きました。
夜12時過ぎに、母の部屋の灯りが灯り、トイレかと思っておりましたところ、
30分以上過ぎても、母の部屋の灯りが消えません。
急いで、駆けつけると、ベッドに服を広げ、御着替え中です。
どうしたのかと、尋ねると「着替えている」と言います。着替えてどうするのかは尋ねずに、朝になって着替えたならば、と諭すと、「部屋が暖かいうちに着替える」と言って、下着だけ着替えたところで、夜も遅いので、
明日は、診察を受けるので、風を引かないように早く寝ることを進め
ベッドに寝かし付けて、母の部屋を出る。時刻は1時になっていた。


翌朝、そんなことがありましたので、朝食を持って行くと、ベッドの中で
もぞもぞ動き出したので、母の部屋を暖め、目覚めを待って、母に話しかけ本日の予定と
食事の用意をし、今日は、病院の診察があるので、食事を済ませて、薬を服用する時間を作るように、母の保険証や必要な書類(予防接種)を確認し、


病院に行く準備を済ませて、母の部屋を出ました。
私も、時間で薬を服用するので、急いで食事を済ませ、出かける準備をします。
母の食事の準備と、病院への準備、それに合わせて、自分の準備と、母を起こして1時間余り経ち、母の部屋に行くと?
どうゆうわけか、上半身は着替えてあるのだが、ズボンをはかずにベッドに腰掛けている母がいます。
急いで、ズボンをはかせ、母の顔を見てビックリ「顔が真っ白」・・・・・
よく見ると、化粧品で顔を塗りたくり、眉毛のない母の顔が・・・・・・
あまりにひどいので、ティシュで顔を拭い、化粧品を落とすのですが、うまく行きません。何回か拭って、やっと、見られる顔に。
本人は、いたって、真面目に、「化粧ののりが悪い」と言っています。
そんなことをしていたならば、予約時間近くになり、慌てて、出発
車で、数分走ったところで、母が「薬を飲むのを忘れた」・・・・・・・・・
急いで、自宅まで引き返し、高血症の薬を服用させ、サイド出発。
予約時間近くに、病院に到着して、母を受付まで案内して、急いで車の移動
こんな時に限って、駐車場が満車。仕方ないので、離れた場所まで移動です。
やっとの思いで、受付まで戻ると、母が受付近くで、腰掛けています。
診察の受付を済ませたのかと聞くと、「わかりっこねーさ」が返ってきます。
慌てて、受付に!! 時は既に遅し、本日の受付は終了致しました。・・・・・・
予約してあったのに、予防接種は無理かぁ〜。
診察予定の受付を済ませると、受付の方から「予防接種予約時間に御呼びしたのですが、来られなかったので、」診察と一緒に予防接種を受けることができるように手配してあるとのこと、「ありがとうございます」・・感謝・・
・・・・・感謝です。
なんか、本日は、このパターンが多いためか?
診察が、手間取り、朝8時30分には家を出たのだが、帰宅したならは
12時、お昼になっていた。普段より、2時間余り多く病院の診察に時間を取られ、非常に疲れた半日であった。
家に帰り、お昼の用意をして母と話すと、昨夜の「真夜中のファションショー」の時、誰かがいて、話をしながら着替えていたと、言ったので、それは私だと言ったならば、それ以外にいて、起こされて着替えをしていたと言っていた。
いつも、心配性の母は、神経が高ぶり、夜中にふと目が覚め、思い立ち着替えを始めたのではないかと思いたい。・・・・・・
こんな日々を過ごしながら、食事の世話をしていると、夕食事に、必ずと言って良いほどのトラブルが発生致します。
母の感覚の変化に、気が付いたのは、夕食の時間のズレが激しくなったことでした。夏場でも、お日様が有るうちに、夕食の催促をするようになり、秋口になると、天候が悪い日には、午後4時に夕食の催促をしたことも有り、その原因を母から聞き問ったところ、周りが暗くなったので夕食を催促したとのこと。
天候の悪い日には、特に早々夕食の催促をするので、午後6時以降でないと夕食の用意はしないと告げると、「そうやって、親を虐めろ」「長生きは、するもんじゃねぇ〜」「早く死ねばいいと思っているずら」と返してきます。
どうにか、午後6時からの夕食タイムにしているのですが、午後6時近くになると、食事の催促が始まります。午後6時以降でないと夕食の用意はしないと言ってあるにもかかわらず、「そうやって、親をばかにしろ」などと騒ぎます。
実際には、副食として色々出してあるのですが、それでは足りないようで、
ワンプレートにして、食事の用意をしているのですが、食材の一部を残して例のように、間食の友としているので、夏場は要注意です。
これにより、夏季は、複数回の食中りがあり、体調を崩したのですが、一向にやめる気配がないので、素早く見つけて処理すると、「そう〜やって、親を虐めろ」「親を虐めて気分いいらぁ〜」と言っている母がそこに居ます。
毎日、必ず夕食時には、母からの食事の催促でトラブルになります。
午後6時を5分でも過ぎると、インターホンの催促が鳴り響き、チョコット、ノイローゼぎみ、外出していても、午後6時の食事は作らねばと、急いで帰宅して準備、そんな時に限って「飯をいつ持ってくるだぁ〜」


ワンプレートのお弁当


毎食作っています。


外出に際しては、前もって、インスタント食品を用意してあるのですが、そちらには手を付けずに、夕食の催促です。
ここの処、農作業の後片付けで、夕食が遅れぎみで、母からの夕食の催促が激しいので、自分でラーメンくらい作ってはと、言ったところ
午後6時に、夕食を持って行ったならば、「もう〜食べた」「弁当持って来たなら食べる」と言って、ワンプレートを受け取り、箸を付ける母、そして、「明日の朝ご飯は、少しで良い」「残しておくから」
自分で、お腹が空いたならば、調理ができるのであれば、安全にやっていただきたいのが、本音、でも、調理中に鍋を焦がすことが多いので心配・・・・
自分でやったならば、文句を言えない・・・しかし・・・心配・・・・


この頃、深夜に異変、23時に母の部屋に灯りが灯り、すぐに消えなかったので、トイレではないと確認できたので、見に行くと、夕食が早いせいか、一人真夜中に食事をしていた。
今は、真夜中だと言うことを確認できているか、言葉を交わすと
「お腹が空いたので、食事をしている」と言っている母がそこにいる。
覚醒しているようなので、時間を告げると、「判っている」「腹を満たしたなら眠る」と言っていたので、しばらく見守っていると、母の部屋の灯りが消えた。
時間は、24時を過ぎている。私も、眠ることにする。


夜の見回りは、毎晩しているのだが、母の行動が気に係ることがあった。
夜、灯りが遅くまで、灯っているので見に行くと、消えていた。
朝になり、昨夜の心配があり、母のところに行くと、驚きのことに!!!。
ガスの警報機が鳴っているのに、母は気が付かず、湯を沸かそうとする。
母の部屋を確認すると、数人分の食器と食事の用意があり、母に尋ねると
「誰かが来たので食事をしたような」「お前が食事をすると・・・・」
慌てて、ガスを確認(自動停止装置作動)止まっていて良かった。
母曰く「バカになった」「良く覚えていない」「お前が興奮させるからだ」
と、言い張る母。
母の薬を確認すると、半分の薬が飲み残してあった。
とにかく、火災にならなくて良かった。ドッキドキの介護である。
年末は、こんな感じで、終了。


新年は、無事迎えることができましたが、親戚に不幸があり、母を一晩一人にすることになり、母の行動が不穏な雰囲気に。
「食べ物を用意しろ」と言い、お米・餅・インスタント食品・お菓子を要求
一晩、過ごすだけで夜には、帰宅する予定でいたので、親戚と一緒に出かけることを母に、言い聞かせ、納得させて出かけた。
帰宅日は、午後ヘルパーさんも入るので安心していたのだが、・・・・・
不思議な母の行動。
ヘルパーさんが帰ってから、4時間後には帰宅したのですが、この間、近くの家を訪問したようす。こちらも一緒に出かけていたので、留守宅を訪問したようです。直線距離だと50mですが、夕方になっての留守宅訪問。
母は、私には内緒にしましたが、一緒に出かけた親戚の話で判明。
私がいないと、何をするか分からない母がいる。
親戚の不幸から、5日目、午前0時にインターホンが鳴る
急いで出ると、「テレビの音がうるさい」「誰か来ている」「わけが分からん」
と母がインターホン越しに言っている。
「トイレに起きたならば、人がいたようだ、テレビをつけて、・・・・・」
急いで母の部屋に駆けつけると、ベッドに腰掛け、ボーとしている母がいる
勘違いで、寝ぼけている母の姿が、落着かせ、寝かし付けて母の部屋から戻ると、午前1時を過ぎている。
夕飯を早めに食べていた母の姿を思い出した。
夕飯を、早い時間に済ませると、どうも、夜中に起きてしまうようである。
夕飯を遅くしたいのだが、夕方6時を過ぎると、夕食の要求するインターホンが私の部屋に鳴り響く。遅れると、烈火の如く怒り、何をするか分からない母がいる(真夜中の食事会で危険を感じた)・・・・・・・・


夕食後、インターホンが鳴り、母が背中に何かいる!!!「獲ってくれ!!!」
急いで、駆けつけ、母の着衣を全部脱がし、確認するも何も無し。
母の背中を見ると、母の言う当りに赤い跡がある。
母の着ていた衣類を確認すると、なぜか夏物を何枚も着ていて、下着を着ていない。それよりも驚いたのは、金具や、ボタンが沢山付いた物を着ている。
どうやら、着やすい薄物を重ね着して、寒さ対策としていたらしい。
結果、金具やボタンが、横になった時に背中に当たり、痛みを感じて騒いだようである。確かに、ファスナーの金具や、ボタン、結び目が、背中の赤くなった位置に当たる部分と重なる。
真冬であるが、部屋は暖かいので、全裸で全て着替えさせ、確認する。
痛みは消え、安心して、ベッドに横たわる母。
いくら、着替えが楽だからといって、金具付きの物まで着てしまう母。
本人は、下着類を着ているつもりでいたようである。
確認すると「ちゃんと下着くらい着ているさよぅ〜」と言っている。
だいぶ、惚けていると思いたくない今日この頃である。
今宵も、灯りを消しに行くことになった。ちょうど23時になったところである。
ここのところ、毎日のように、夕食の催促をするようになった。
時間を言ってあるのだが、何故か、夕食の催促をする。
当然、昼食も、である。朝食は、あまり催促はしないが、母の部屋の暖房器具の使用時間を確認すると、午前5時には起きているようで、長時間使用で、自動消火に暖房器具の表示がなっていることが多い。
だいぶ、生活時間のリズムが狂いだしている母の姿を確認することが多くなった。

母の幻聴

母は、時々、子どもの声がする(真夜中)、子どもが騒いでいる、などと言って私に知らせてきますが、我が家の周りには、子どもが居ないのです。
それと、夜になると鐘が聞こえると訴えます。
私も同じ時間に起きているのですが、私には聞こえない鐘の音。
母には、聞こえるようで、原因を探しますが未だ見つかってはいません。
それと、子どもの声です。
夏になれば、夏季体験等で、子どもたちが家の前を通るのですが、冬期は、子どもたちは家の周りには、居ないのですが、母には子どもたちの声が、朝や夜に聞こえるようです。
この頃、
母の薬が消える
母は、順番に飲んでいると言うが、日にちが、ずれている。
落着いてから、確認すると
母が、持っている箱の中に
裸の薬が転がっていた。

来客

母が横になっていると、必ず母の部屋に来客があるようです。
夕方、母の部屋に行くと、母が横になり、ベッドで布団に隠れている。
どうしたのかと尋ねると、炬燵に2人の女性いる。何も話さないでこちらを見ている。と言うのであるが、私には、分かりません。実際には誰もいないのですが、母には、2人の女性が見えるようです。
私が誰もいないと言うと「ひとをバカにしろ」「そこにスカートをはいた女性が黙って居てこちらを見ている」と言うのですが、私が「誰もいませんよ」と言うと、「そうやって、ひとをバカにしろ」「罰が当たるぞ」と、すごい勢いで罵声を浴びせます。
少し落着かせると、私には「そこに2人居るように見えた」に変わります。
この頃、ふとした時に、家の中で、違う景色を見て、訴える母がそこに居ます。
ご機嫌が良い時に、この話をすると、「そう見えたにはしょうがない」
意識がハッキリする時は、見えないようである。

不思議

母の行動で、どうしても洗濯だけは、自分でしたいと、洗濯機の使い方を覚え、(時々使い方が分からなくなる)自分で、洗濯をするのですが、小さな手洗い桶で、洗濯をしているのを見る機会があったので、どうして洗濯機を使わないのか尋ねると、「洗濯物が少しの時は、手洗いが良い」と言っていたので、あまり心配はしないでいたならば、
どうも、下着を汚して、自分で洗っていたようです。
母は、何も言いませんが(私が気付と、そのつど着替えをさせていました)、
心配をかけないようにとの母の、行動を確認できていなかったことに、反省しました。暖かくなってから、トイレの改修を大至急でお願いしようと思って、介護を職業にしている友人に相談すると、惚けが進行すると、トイレが水浸し、衣服が濡れることが多くなるので、その点注意が、必要になることをアドバイスされ、考慮しながらトイレ改修計画を進めることにしました。


86歳になって、母の目力が弱くなってきていると、訪問看護士の方も気が付いていた。目力が弱くなってから、幻聴や幻覚を見るようになって来た。

母の行動原理

色々なことで、母が自分から進んで、物事をしようとする時は、普段の母の行動とはまるで、別人のように動く母がいる、普段介護している私は、その行動の早さに、キツネに化かされたようです。(そんなに簡単に動けるのなら・・・)
感情の起伏や予測できない不安定行動・言動には、介護人はストレスが溜ります。これは、親子だから我慢できるのでしょうが、こちらも精神的に不安定な時にこれらをやられると、余裕が無くなり、ストレスが爆発します。
今日は、年寄りの顔見知りの来客があり、母が対応していたのだが、心配になり私も対応すると、母の顔に異変が発生。(来客者も心配していた)
来客者も心配するほどの、母の顔の変化。まるで火傷をしたような顔肌の色!!
本人は、一向に気にしていないのだが、来客者と私は、おお慌て、
直ぐに、顔面を冷やす準備と、タオルの用意。来客者はこの時点で帰宅。
母の顔色の急激の変化の原因は、使用したことの無い、化粧品を使用したためと後で分かるのだが、まるで、火傷をしているように見え、慌ててしまった。
何を思ったのか、使ったことの無い化粧品を顔に使用したために、火傷のように周りから見え、驚かされた。洗顔をして無事、もとの肌の色に。
化粧品の使用間違いは、今年になってから、特に多い。


今夜は、静かに就寝しているようです。灯りや、テレビの消し忘れは無いようです。23時の見も守り。私は病状のために、これから1時間半〜2時間ごとに夜起きるので、母の見守りが朝食の準備まで続きます。


母の食事は、3食を私が用意しているのですが、ついに全食請求するようになった。
当初、母の病気は、高血圧から始まり、下肢痛へ、更に腰痛へと進み歩行困難
更に、一時は、寝たきりとなりました。あまりの急変に、介護申請も間に合わないほどでした。あまりにも急速に病状が進み、係っていた医師が驚き、病状の原因究明を大学病院に託し、緊急手術の結果、奇跡、歩行ができるまで回復、しかし、行動制限があるので、私が母の行動を注意すると、上記の方言集が返ってきます、自分自身、無理はできないことが分かると、拗ねたり、寝込んだんり、色々です。当初は、食事も自分で作るほど回復したのですが、投薬のせいか、高血圧の発作で緊急搬送が月に3回以上になり、投薬を変えたり、ドクターも色々試み手下さいましたが、近くで、救急車を呼ぶ時に目印になる家として、消防署に、記憶されるほどの利用回数が、当時あったのです。救急搬送をされ入院、4〜5日で退院を月に3〜4回、当時病院でも、頻繁に高血圧の発作に見舞われる母は、有名人。
救急搬送は、一向に減ることが無く、それと同時期に味覚が無くなり、痛んだものを食べて腸閉塞になりかけ、病院でかなりキツイ注意を私が受け、食事が原因ではと、全食事を私が作るようになり、緊急搬送も無くなりました。食事をコントロールすることで、当初は、あまり効果のほどは無かったのですが、半年過ぎからは、救急搬送が無くなり、月に4回呼んでいた救急車が、ここ2年間ほど0回になって、病状の大幅な改善があり、良かったのですが、・・・・・・・
安心していたここ2年でした。
今年(2016)になり、全食、食事の請求をすることが多くなり、精神的に疲れています。
最初は、夕食の請求からはじまり、昼食、今度は、朝食と言うように増えて、間に合わない場合は、インスタント食品の弁当を出すと、いやがり、手作りを請求します。インスタントの弁当とインスタントの麺類はいやがります。
朝の7時半を過ぎたら請求が来ます。昼は、12時を過ぎると請求、夜は夕方6時を過ぎると請求が来ます。特に、夏場は、朝の請求が早くなり、冬は、夕方の請求が早くなりますので、時間を決めているのですが、それがいけなかったのか、作るこちら側としては、私に合わせてほしいのですが、それは拒否。
時間が遅れたならは、ありとあらゆる言葉で、避難します。
母は、まだガスコンロを使えるので、自分で食事を作ると言って、火事一歩前の、自動消火が付いているコンロでも、空焚きをして、ヤカンを焦がすほどですから、母には、なるべく火を使わないように、工夫はしているのですが、・・・
電気に変えればと思い方がおられると思いますが、電気に変えたところ、差し込みが壊れるほど、抜き差しを繰り返し、コンセントが2ヶ月しか持たなくなり、火災の危険が出て、使用を止めました。節約と言って、コンセントをいじり、コードが絡まったり、剥けたり、コンセントを布団に持ち込んだり、危険になり電気製品の使用を止めました。介護とは、疲れるものと、分かってはいるのですが、もう少し、私が休む時間(心の余裕)が欲しい、この頃です。

機嫌の悪い母。 

私が、母の思い通りにならないことが気に入らないらしく、何かにつけ、小言を言う母、ここのところ、疲れている私を察してか、叔母が尋ねて来てくれた(母の一番下の妹)、母の話し相手になってくれたので、これで少しは、母の小言も減るだろうが、その反動が恐ろしくもある。
叔母と話している母は、普段、私と過ごしている母とは別人のように明るくなっている。叔母が帰ると、いつもと同じ、小言の多い母になってしまった。

折れる言葉

母の介護をやっていて、折れそうになる言葉方言集


「早く死ねばいいと思っているらぁ〜」「惚けた〜」
「先に逝ったものほうが、とくだぁ〜」「長く生きるもんじゃねぇ〜やぁ〜」
「てめぇだけ、うめぇもんくってろ」「ひとに隠れてなにょうやってる」
「そうゃって、親をバカにしろ」「そうやって、ひとをバカにしろ」
「そうやって、親をじゃけにしてろ!」
「親をばかにしろ」「呪ってやる」「いい思いはできんぞ〜」
「死にたくても死ねねぇ〜」
これが、現在の母の「方言名言集」です。


幻を見ることが多くなったのと、これ以上名言が増えないことを祈りたい。

つづく