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我が家の介護日誌 第八章
(寒い冬を迎える準備・と介護から)

 本日、母の妹(叔母)のところに、母とともにお見舞いに行く。

医師の診断を受けてから、体調が良いようなので、思い立ったが吉日、秋の穏やかな陽射しの中、車で高速を使い、妹(叔母)のところに。

 母が、病気になる前に会ったきりだったので、約4年ぶりの再会です。

叔母のご主人、叔父は脳梗塞で倒れ、早い手当と、リハビリで、歩行可能まで回復しましたが、半身に麻痺が残り、排便が不自由な体となり、身の回りの介護を叔母が一人でやっていましたところ、無理がたたり、ついに病に倒れたのです。  ほんの半年ほど前に、危篤状態までに陥った叔母

私は一年ほど前に会ったのですが、その時には、ご主人の介護に追われ、やせ細った姿になっており、頼みの息子も、心筋梗塞で緊急入院等があり、急激にやせ衰え、体調を心配して、母方の親族が代わる代わる

ご主人を介護施設に入所するように勧めに行った時以来です。

普段から気丈に振る舞っていました叔母ですから、私たちの行動逆効果で結局、私たちの説得は聞き入れられず、結果として、叔母は介護からの疲労の蓄積で、心臓に負担をかけて、自宅の玄関先で倒れ、傍らでは、脳梗塞により、運動機能と言語機能の低下したご主人が何も出来ずに座り込んでいたところに、たまたま訪問してきた方が発見し、救急車で搬送され、最寄りの主治医の病院では処置が出来ずに、主治医の指示で大きな病院で一命を取り留め、入院生活を送り無事に自宅療養にまで回復したのです。現在は、ご主人は介護施設に入所、ご自身は酸素吸引を行いながら自宅での療養です。こんなことがあり、私の母も心配をして、一番下の妹に見舞い等を頼み、叔母の容態をいつも気にかけていました。

母の体調が良い病院帰り

思い立ったが吉日、本日、ついに出かけて行きました。前もって、私が訪ねることは電話で伝えてあったのですが、まさか姉(母)が訪ねてきて、玄関に立っているとは、つゆ知らず出迎えにでた叔母の歓喜の声が上がりました。

2時間ほど滞在して、話に花を咲かせ、時間を惜しみながら、家に戻る母を駐車場まで見送りにきた姿を見たとき、春になったなら、また母と訪問しようと密かに思いました。

年老いた兄弟を会わせるのも、子供の親孝行の一つかなと思った一日でした。

と、かっこ良く文章を書いて行こうかと思っておりましたが、介護生活そうは簡単なものではありません。

私と、母の体調が気温の変化とともに、狂いだし、何となく生活の歯車が噛み合いません。些細なことから口論に発展します。何気なく母の言った言葉が私を苦しめるように感じてしまうのです。少し距離を置いて生活をと考えますが、実際はそうも、行きません。私が疲れているのかな〜と思っています。

なんだか、うつ傾向にあり、気分が優れないぞー

書けない。 うまく文字に出せないので、 ここで少し休みます。

こんな時に、頼りになるのが訪問看護の看護師さん。母の愚痴を聞いてくれたり、家の中だけで過ごす母に新しい話題を教えてくれます。

訪問介護の介護師さんが帰った後の母は、饒舌で機嫌が良いのです。

そんな時の話題、長年母の治療してくださっていた医師の退院の話題。

母を担当していた医師とは、私は年が近いせいか、話は普通に話していましたが、皆の噂は、そうではありません。気難しいとか、恐いとか耳にしています。

私が先生と話をする機会は、母の入退院の回数が多いので、普通の方とは先生との接し方が違ったためかも知れません。特に私の友人までお世話になるほどですから、そんな中で知ったことは、常勤内科医として長年入院患者を見て、その後、診療をして、入院治療へと、休む間もなく地域医療の前線で活躍し、気が付けば、家族と過ごす日々さえも犠牲にして医療に携わり続けてきたこと。

母の診察の合間や、治療時に、そんな話をぽつりぽつり聞くこともありました。

地域医療の現場で医師の激務にふれて、思ってみると、地域の高齢化が急激に進むにつれて、待合室での待ち時間が長くなる、母が最初入院をした頃は、ロビーはすいていたのに、いつの間にか、こんなに混雑するようになり、いつもこんな感じ

(写真 3320 )

やっと診察時間、退職する先生と今後の相談、引き継ぎをお願いして、母と記念撮影、長年母の体調管理と診察、治療をありがとうございました。

先生も、快く記念撮影に加わって頂きました。

長い間ご苦労様でした。 新天地でのご活躍をお願い致します。


(写真 3321 )

そうそう、訪問看護と訪問介護との違い皆さん分りますか

簡単に言うと 訪問看護は看護師さんが行い 訪問介護は介護ヘルパーさんが行います。訪問看護では、医療行為が行えるので、医師との連絡が取りやすく、患者の容態を医師も報告と言う形で知ることができ、容易に病院に行けない場合は、治療の大きな力となり、患者の体調管理に欠かせないシステムですが、看護費用を支援する自治体に乏しいと、やはり、訪問看護は限られてしまいます。しかし、あるテレビの番組で、地域が考えることにより、患者も考え、実際の必要な支援へと変わったとして紹介されていましたが、急速に高齢化が進むとそれすらも追いつかない状態になります。昨年の暮れから年明け間での1ヶ月間は、気温の急激な変動により体調が不良になり、母も体調管理に苦慮しております。室内で過ごすことの多いこの時期、運動不足と、塩分の多い食事を好み、驚いたことに醤油が急激に無くなり、よく観察をした結果、母の醤油の大量摂取、本人曰く「味がない」味付けが薄い、だから醤油を使ったと

結果は一目瞭然、年末からの急激な血圧の上昇結果を招き、降圧剤を使用しているにも関わらず、上が190下が90危険区域に。年が明けてからの診察で急遽ドクターの指示で体外へ塩分の排出を促す薬を使用し様子を見ることに。

このくらい血圧が高いと、脳梗塞が心配になりますと、簡単な運動チェクと体調の聞き取り、診察へと新任のドクター手早く処置を致します。前任者からの引き継ぎカルテを確認しながら、降圧剤が効いていて、この血圧は危険です。

母と、私も食事には注意をはらい、塩分摂取量に注意をすることに致します。

このごろの母の言い分は、味が分らない、耳が遠くなった、においが分らない等、確かに母の食事を用意する原因になったのは、痛んだで、臭いのする食材をまだ食べられると言って料理の材料に使い、効果覿面でトイレに駆け込んだのは私で、母は何ともなく、平然としていたのを思い出しました。また、病院のロビーで友人と話す母の声の大きいこと、高齢なれば色々起きてくるのが顕著に分るようになってきました。

夜、出雲の国から電話で、高齢化が進む地域を何とか救ってほしい、良い方法をと電話で尋ねられ、パソコンで地図検索、驚きました。私がいる地域でも高齢化が急速に進み医療等が崩壊しそうな勢いなのに、遠く山間のライフラインの整っていない地域からの現状を知らされ、それでも頑張っている高齢者がある。医療の整っている地域とは言えないが、地域に病院がある大切さ、山間の自宅から車で数時間かけないと病院のある場所まで行けないところもある現状で、健康管理をしながら高齢者が頑張っている様子を伺い、母の恵まれている環境に感謝致しました。

1月が終わろうとしていたので庭先を見ると、標高900メートルの庭先に福寿草が咲き、水仙が芽を出している。一昔前ならば3月の庭先の様子が1月にある。暖かくなってきているのはありがたいが、体調管理に皆さん注意致しましょう。

(写真 3365・3366)

つづく

▲上に

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