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我が家の介護日誌 第九章

自宅介護で、大変なのが洗濯です。

 我が家では、母の師術成功により病状が信じられないほどに回復をしましたが、手術の代償として、室内での軽運動のみに限定されているのですが、そこは母の、だいの、外好き、私の目を盗んでは、庭先に出で日光浴と称して、土いじり、結果、翌日は寝込むことになります。当然、外に出たのですから、室内で過す以上に汚れます。病状の回復により、何でも自分でしたがる母なので、その行動に時折驚かされます。それが洗濯なのです。体調が悪い時には、私が全て行っていたのですが、季節が暖かくなると、私のいない時を狙って洗濯をします。母は、恥ずかしがっているわけではなく、自分の身の回りくらい自分でできるようになったのを私に見せたいらしく、行動を起こすのですが、心配は絶えません。そんな洗濯でもめるのが柔軟剤を使用した洗濯物です。

 肌に優しい刺激をと柔軟剤を使用し、ふんわりと仕上げて母に渡すと、まだ乾いていないと、渋る母。私が家を空けると、肌触りよく仕上げた洗濯物を自分で物干に干そうとする母、危険だからと止めさせようとすると、口喧嘩が始まります。柔軟剤の意味を教えてもすぐに忘れてしまい、この洗濯物は乾いていない、とばかりに お日様のもとに干しにかかる母。柔軟剤で仕上げると、ごわごわ感が無くなり、ふんわり柔らかで、肌触りも良くなるのに。

 そんな話を母の妹にしたならば「その感覚わかる」と一言、昭和初期の生まれの人にしかわからない、ごわごわシーツの感触と、お日様の香りと言っていました。羽毛布団をお日様のもとでカバーを外して干そうとする母、カバーが無いと布団が痛むと教えると「布団はお日様のもとに干すのがいちばん」と言いたげな母、洗濯や布団干し、確かに、肌の感触を良くしようとした私の考えより、幼い頃からの記憶の中に収まっていた感触の方が母にはここちよいのかも知れません。

(写真0002)

 年を重ねるほど、幼子に帰ると言うことを言いますが、これはあると思います。

 自宅での介護では、この辺りを理解しないと、介護の現場で誤解が生じ、介護に携わる人が悪者になり、大変なことになりかねません。

 息子だから良いのだが、これが嫁となると、争いの元になることしかり、介護とはなかなか難しいものであると、洗濯物から教えられた教訓です。

 明日、明後日は、連日母を病院へ送り迎えの付き添いです。

 地元の病院もあれば、甲府市内の病院まで出かけます。地元の病院は車で15分程度なのですが、甲府までとなると1時間以上道のり、乗り物酔いのひどい母をつれて行くので、乗り物酔い対策が必要です。対乗り物酔い対策の結果と致しまして、中間にある母の妹の家で一休みさせていただき、通院することにしました。母の妹の家といえども、お土産は持参いたします。母の強制により、手打ちうどんを前夜に作らされ、漬け物と好物を土産に一休みさせていただきました。

 おかげさまで、私も休憩が取れ、母も車に酔うことも無く病院に無事到着出来ました。通院ルート上に親戚があると助かります。

病院の待合室に異変

 産婦人科が満員になっている。昨年の春頃から気にはなっていたのですが、患者さんが激増。前は私も付き添いで診察室前まで車いすで、ついて行ったのですが、その車いすさえも身動きが取れないほどの混雑で、少しは歩けるようになったので、母を診察室前の椅子に座らせ、混雑する待合室から車いすと共に待合室から外に出で、廊下の椅子で待つことにしました。やはり付き添いの若い男性が、私と同じように廊下の椅子で診察が終わるのを待っている方を見かけました。県内で、産婦人科の相次ぐ閉院のつけが高度医療を受け持つ病院まで巻き込んで、医師の激務に拍車をかけているような気がします。

 産婦人科医療は、女性の総合医療なのに、なぜか理解されていません。

 産婦人科は、安心して子供を産むことができることだけにあるのでないことを、行政が理解し、多くの婦人病に苦しんでいる患者も受け持っていることを真剣に考え、高度医療の崩壊を招かぬように皆が理解し、激務を減らす方向に舵を取るべきだと思います。子供を産むことができても、治療することができなければ、患者を見捨てることにつながり、医療全体が崩壊する危険にさらされていることを知らなければなりません。長年通院している私どもだからこそ、気が付いた点かも知れません。いつも込んでいるのではなく、ここ3年ほど前から急激に混みはじめたのです。産婦人科医の育成が望まれるところです。

 診察までの待ち時間は、自宅近くの病院と違いスムームにほぼ予約時間通りに済み、到着から1時間程度で診察を終え無事に岐路につくことが出来ました。帰りも母の妹宅により、休憩を取り自宅への帰路についたのですが、車が走り出すとすぐに、車のシートベルトが出来ない。と母がいらだち、興奮し騒ぐので、停車して落ち着いてやり直させるのですが、興奮状態が続き私の言うことを聞きません。つい口論となり、やっとシートベルト着用、よほど気に入らなかったのか無口になり、家に着く前に車酔いに、窓を開け空気の入れ替えをしながら、やっとこ帰宅、春なのに、外気は冷たい空気、甲府ではハナミズキが咲き、自宅の庭では桜が見頃、こんなに気候が違う これも原因かな。

母を車で移動させる時の注意事項、

 母を観察していて分ったのですが、シートベルトが自分で着用できた時は、車酔いが無く、シートベルトの着用がうまく行かない時には、10分くらいの短時間でも車酔いになる。興奮状態を確認する目安になるので、これから気を付けたいと思います。

(写真 0033)

体調管理と運動

 今年の春は、寒波が出たり引っ込んだりで、母の体調も良くありません。気候の変化について行けずにベッドで横になる日が多いので、運動不足になりがちです。そのせいか、短距離の移動は素早いのですが、移動距離が長くなると、ゆっくりと慎重に、腰を掛けると今まで以上に疲れを感じるようで、長距離の移動には車いすがまた、活躍をしています。食事の量も体を動かさないために少なめで、ここのとろ便秘気味、薬を利用しているのですが、薬を使うと排便はあるのですが、体力も奪われるようで、薬を利用した排便日はベッドに横になることが多くなっています。しかし、私に命令する口調は元気そのものです。

 暖かくなって来たので、私は外で農作業、久しぶりだったので、時間を忘れて母の食事時間になり、慌てて帰宅すると、何知らぬ顔で食事を待っている母、普段だと、食事の時間が遅れると、すぐに興奮状態になる母が、いやに静か?

 食事を摂り納得、土いじりをして気が晴れたのでしょう。爪の間が黒くなっています。でもこれ、母を入浴させた後で、爪を切る時にドキッとします。

 土いじりをした後は、爪の間に入った土により、爪が剥げる時と同じように白くなり、爪の根元まで白くなり、放っておくと爪が剥げてしまいます。

 手袋をするように言うのですが、ビニール手袋は苦手なようです。軍手をして作業したから大丈夫と言います。元気になったと安堵するのと、

動き過ぎの心配。

心配

 ここまで元気なれば、すぐ下の妹のところを訪ねてみようと、母が電話をかけるも電話に応答がありません。「また入院?」母の言葉。「入院なら連絡がある」と私 こんなやり取りの中、母の下の妹の様子が気になります。

 電話をかけても、通じない、日を改めて電話をかけても通じません。母があまりにも心配するので、従姉妹に電話を入れると、案の定、入院していたとの返事。入退院が繰り返されていたので、心配をかけまいと連絡を入れなかった。

 現在は、容態も安定しているし、季節の変わりめで気候が安定しないので、病状に負担がかかるのは困るので、しばらくは入院して、気候が安定したならば退院する予定だと母に伝えて、母の負担にならないように、もう少し安定したら一度訪ねてみようと、母をなだめて、季節による温度変化が安定するまで様子を見ることにしました。

突然の連絡

 季節も心なしか爽やかにかじられる頃になり、母の妹の話をしていたならば、「すぐに合いに来て」の短い電話。心配が現実に。容態が悪化したので兄弟、姉妹、皆で病室を訪ねると、酸素吸入を強制的に行っている叔母の姿がそこに。

 何とか会話が成立する中で、それでも皆に気配りをする叔母の姿がそこに。

 酸素濃度が異常に低下し、呼吸困難になりながらも、大丈夫と皆に伝えたようです。皆の顔を見たならば、叔母も落ち着いて来たので、母と一緒に家路につきました。いとこと私の間では、容態についてしっかりと確認して帰って来ているのですが、私たち残された時間への覚悟とは別に

 母たちは、話ができるのだから大丈夫などと言っていた。

 今年は、連日暑い日が続き、入院している叔母は大丈夫かと、母と心配していたら、八月の中場に従兄弟から電話「今母が逝きました」詳細はあらためて連絡します。短い電話の後、慌ただしく葬儀の日程が決まり、母と一緒に通夜に参列。

 母は、妹と一緒に一夜を過ごすと言い、翌日の葬儀まで、もう一人の妹家族と一緒に通夜を行い、葬儀の終了まで頑張っておりました。

49日が終わり、季節は夏から秋へ 

(写真 0048)

 心配した、葬儀の疲れを余り残すことはなく、無事に母の妹の送りを全て済ませ、滞っていた農作業に従事しようと思っていたならば、何を思ったか母が急に、あれもこれもと、私の休む暇もなく世話を致します。私は自分のペースで行いたいのですが、あまりにも母の口出しが多いので、ついには口論となりました。母は、自分が思っていた以上に動くことができないのと、私の農作業ペースが、母の記憶の中に有るペースと一致しないので、ついつい口出しが多くなり、私と口論となり、両者一歩も引かず、無言に近い日々が数日、また口論

 親子だから出来る口喧嘩であります。ヒートアップしてとなりのお宅まで聞こえたとか、母が申しますので、またまた、口論となります。

 (今、考えると、寂しさの故の行動だったのかと思う今日この頃です)

 この口論、稲の収穫中 続き、疲れました。

 そんな時、頼りになるのが介護ヘルパーをしている友人です。

 色々相談すると、的確な支持をくれたり、経験からのアドバイズ、電話で2時間くらい、相談に乗っていただけるので、平常心を取り戻すことが出来ます。

 親子ですら、嫌になるくらいの口喧嘩、嫁姑の関係があれば悲惨 考えただけで背筋が寒くなります。 くわばら くわばら

 農作業が一段落すると、母の小言も一段落、

 しかし、母に取っては、私は子であり、口うるさく指示したいようです。

 こんなぐあいで、収穫の秋が終わり、季節は一夜にしてマイナスの世界に。

 寒さが身に凍みます。

 母の容態は、血圧も落ち着き、今日この頃は身の回りのことは、入浴を除き一人で何とか出来るようになりましたが、気温の変化について行かれず、私もそうですが、母は気温が一気に下がると、ベッドの中に避難、みの虫状態になりベッドで丸まっているので、急遽、炬燵を組み立てて、ベッドからすぐに移動出来るように致しました。それとともに部屋を耐寒使用に模様替えです。

 ガラス窓を全てビニールで遮断し、室内に直接外気温度が影響しないようにしました。これの効果は驚くほどあり、通常のサッシでは、外がマイナスになると、室内まで冷気の影響を受けますが、サッシとビニールの間に空気層があるために室内の温度は、一定に保たれます。因に、被いをした日に、外気温度0度になりましたが、室温は暖房なしで15度に保たれていましたが、さすがに寒いので、急遽、温風ヒーターを設置致しました。ついでにオイルヒーターも設置し、寒さ対策の第一弾が終了致しました。今年は、母の体調が良い時にプチリホームを行い、母に内緒で、母の部屋の天井に断熱材を入れたので、これから温風ヒーターの熱効率が高まるのではと一人期待しております。

 寒さが増すと、心配なのが 運動不足 それによる便秘 

 いくら食事管理に注意をはらっても、夏のように水分を摂取しなくなり、便秘の心配が始まります。いくら排便誘発剤を使用しても、毎日の規則正しい排便はなく、3日に一度くらいになりがちです。こうなると、本人もお腹が張りがちになり、注意はするのですが排便の度に血圧が上昇し、体調を崩しがちになります。歩行器に掴まりながら、できるだけ膝を上げて足踏みをする運動を行ったり、階段の段差を手すりにつかまりなが上り下がりを5分やっては、休憩を取り、また行うなどの方法で運動を行い腸の運動を助けるようにしていますが、それでもだめな場合は、ベッドで寝ながらお腹をさすり、腸の運動を即します。入浴も便秘対策には、ある程度良いように思えます。

 こんなに注意をしていても便秘気味で、下剤を就寝前に飲んでいました。

 翌日、なんとか排便が出来た、お腹が痛い。と言いベッドで横になり大人しくしております。食事の種類には注意をしているつもりですが、寒くなり、摂取する水分量が減りどうしても便秘気味になるようです。冬場の水分、摂取方法を考えなくては、母の便秘には、苦い思い出がありますから。

 母の部屋の室温を下げないように、囲いを作り、これから到来するであろう

 寒波に備えなくてはと思う今日この頃です。

(写真 3455)

母の体調変化

 来客があり、玄関のチャテムを鳴らすも、母の反応がいまいち。私は、台所で食事の用意、相変わらず母は、調理時間が長い調理は腰に負担がかかり、三食の用意は私がやっております。台所にいる私には、チャイムが聞こえるのですが、母には聞こえず、台所の私が慌てて、玄関まで。また、調理中の圧力鍋の音が聞こえなかったり、お隣の御主人が、回覧板を持って来たりしているのに、母は全く気づかず、私が慌てて対応することに。

 どうも、高音域と低音域のある種の音が聞き取りにくくなっているようです。

 しかし、うわさ話は良く聞こえるから不思議です。

 ひそひそ話は良く聞こえるようで、夏に帰郷していた妹と内緒話をしていたら聞き耳を立てて、『ひとを邪魔者扱いするな!!!』と怒鳴っていました。

 寒くなり聞こえが悪いのか、このごろ母の機嫌が良くありません。

 何を言っても、すぐに私に毒舌を吐きます。あまり酷いので口論が絶えません。

 ここ数日、母の機嫌が悪かった理由が、今日解りました。

 母が、手元においている、お金が紛失したと言うことらしいのです。

 もちろん、母の中では、犯人は私になっています。

 警察に連絡して、すぐに調べてもらおうとすると、もう何日も経っているとの事、一日中自宅にいる母の周りから、お金を持ち出す事は出来ないはずです。母は私を現場に案内します。私は初めて、こんな所にお金を置いたものだと感心するやら、あきれるやら、私は何、状態です。

 どうりで機嫌が悪いわけです。ここ数日、いつもトゲトゲしく、私にあたってくる訳です。何を言っても、すぐに私に噛みつくわけです。

 実際に調べたならば、お金はあったのですが、母の思い込みのせいで、ついには、介護している私は、泥棒扱い。聞いてはいたが、ここまで酷いとは思わなかった。親子でさえ、こんなだから、嫁姑では・・・・・おー恐。寒気、寒気

 母と息子だけで良かった。第三者に被害が及ばず、まずは一安心。

 来訪する人、来訪する人を、どうも母は疑っていたようです。

 確信犯は、息子の私と母はいつも思っていたらしく、お金があった事で本人は惚けたと言っていますが、どうも物忘れが・・・・・・ではなく息子が信用出来ないようです。(放蕩息子・・・・なんで介護しているの)

 母には、これから大いに悩まされそうな予感が。この先、沢山こんな事があるのだろうと、つくづく覚悟をして行かなくては。

つづく

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