| ホーム | ドキュメント | 施設 | 自然とあそぼう | リンク |

北杜市を散策 生活と文化
古民家と土蔵
(北杜市大泉町谷戸を散策)

2377 2384

 北杜市大泉町谷戸地区の古民家に興味を持ったのは、その建築に使用される木材の利用方法が、奈良の大仏殿の葺き替工事のドキュメンタリーを見て、次の世代まで伝えるものを残そうとする巧みたちの姿勢と、歳を重ね、神社やお寺の行事に参加することが多くなって来たことが興味をかき立てました。

世代交代により大きな旧家が新しく立て替えられ、昭和初期にあった技術の伝承が無くなり、価値観の違いから、多くの蔵が解体される姿を見て、私の近くにある大きな民家と蔵を記録し、その特長を保存しようと、かなり前から思っていたのですが、機会が中々訪れずにおりましたが、私事で多くの方と接する機会があり、その中に古民家の保存を考えておられる方々があり、古民家のある風景を多くの方に紹介し、実際に見て歩き、古民家の観賞や、その景観を保全する活動をなされている方があることを知り、私も、少ない知識を動員して、祖先の思いや、技術面や芸術面からの映像保存を考えて、一つの事例とすることにいたしました。

二種類の古民家

私の母の実家が、茅葺き屋根で幼い頃、二階に上がりよく叱られていたのを覚えています。私の記憶に、茅葺き屋根と藁葺き屋根のふたつの言葉が記憶にあり、一説によると、たくさんお金を掛けると、茅葺き屋根で、資金が十分でないと藁葺き屋根にとか、茅葺き屋根でも、多少の修繕ではわらを使用したところから等々、曖昧な記憶しかなくあまりあてにはなりませんので、ご注意を。私の幼かった頃の時代には、茅葺き屋根と、瓦葺き屋根が混在しており、茅葺き屋根の住宅が火災で焼失したさいに、隣家の茅葺き屋根に飛び火して大火になったこともあり、火災の心配から多くの茅葺き屋根が消えて行ったのでした。しかし、茅葺きの家屋は焼失しても、蔵は残ったのを覚えています。

高度成長時代には、茅葺き屋根を鉄板で覆うのがはやりましたが、使い勝手の悪さから、多くのお宅は、現代建築の住宅へと立て替えが進み、現在、広範囲に探してみると、残っているのはわずか数軒程度になっています。
私が、瓦葺き古民家や蔵に興味を持ったのは、幼い時に、大きな家をまるごと解体し、違う場所に移して、建てていたのを記憶していたからかもしれません。

現在もその家は健在で、古民家としての特長もあり、茅葺き屋根の古民家とは容姿が全く違う、茅葺き屋根の次の世代の瓦葺き古民家としての特長を持ったものです。今回紹介するのは、瓦葺きの古民家と蔵を紹介いたします。
まずは、瓦葺き古民家の特長と言える部分を上げて行きたいと思います。

特に私が興味を持ったのは、古民家の創りにも興味があり、軒天に塗られている朱色の塗装(ベンガラ?)や戸袋に個性を出した作りをした物など、当時の巧みたちの遊び心と家主の心意気などを感じたからです。また蔵に塗られている黒い塗装のわけなど多くの興味をそそります。特に蔵の入り口にある文字は、意味を知りたいのですが、大部分の現在の家主は、それらの意味や読み方を余りご存知無いようです。

2380 2415
2429 2433

また蔵の合掌付近にある絵や、文字や記号、家紋、の意味等にも遊び心が見て取れ、興味をそそられますが、私の知識では、正確な解読は不可能ですが、知識人の協力を得て、多少は解析できるでしょうか。

古民家の特長

私たちの地域は、縄文、弥生、の遺跡
(大泉歴史民俗資料館(谷戸城ふるさと歴史館)に詳細展示)
や、甲斐源氏の里として、古くから馬を育成し、馬にまつわる地名や、神社仏閣が狭い地域のわりに重複して点在しております。明治から昭和にかけては、養蚕産業が盛んに行なわれ、多くの農家が、お米と、養蚕を主の仕事としたので、農作業に使う家畜(馬、牛)と、蚕を家の中で飼うことの出来る構造の家を造り、その多くが二階造りの大きな家になっていて、現在では、蚕や家畜を買っている家はありませんが、外観は当時のままの姿で存在しており、その姿をあちらこちらに見ることができます。

今回は、それらの古民家と必ずついになっている蔵がありますので、古民家と蔵をあわせて紹介して行きたいと思います。

【古民家の造りを研究】

私の家の周りにある古民家は、大規模な地震を経験したものが残っており、神社や仏閣となると、数百年単位の年月を重ねたものになります。

長い年月を経て、今まで残っている建物には、ほとんど同じ構造をしているのには驚かされます。現在の耐震設計で言われているような、基礎一体構造の危険な建物(基礎一体だと建物内部に被害が拡大する)ではなく、地震などの揺れは、点で捉え、建物の構造自体で吸収する飛び石構造(ラーメン)の基礎を持ったものが大規模な地震にも壊れずに現在に伝わっております。

これらの技術は耐震構造の中の最新技術の免震構造として普及しています。

今回の、建築法改正で、耐震強度を求められ、基礎と建物部分を一体構造に近い状態にした事で、建物の強度は増しますが、そこに住む人々の強度までは変えることはできませんので、今回の建築法改正後に建築した一般住宅に住む方は、室内の家具は必ず固定して下さい。基礎と一体構造に近い状態になっていますので、普通だったならば振動を吸収する役割の、梁や柱や壁が振動を直接伝える働きをするので、家具の中にある物が一気に襲いかかってきます。

車で例えるのならば、サスペンションがない車にのるのと同じで、衝撃を直接受ける形になります。家具には、必ず転倒防止金具や、留め金を用意し、引き出しや扉が振動で一気に開くのを防ぎましょう。これらの危険を調べるには、小さな地震の後に注意してみると、扉が開きかけになっていたり、引き出しが自然に空いていたりしますので、確認できると思います。ちょっとした工夫で、地震のときの二次災害を防ぐことができますので、日曜大工などで工夫を。

》では、現在ある古民家と蔵を紹介して行きましょう。《

蔵と民家の違い

蔵は、民家と違い、その構造上から、大切な者を保存するために色々な工夫がしてあります。現在の建築技術を持ってしても対策不能な物までも対策がされており、その一端を例に致しますと、地震対策、防火対策、防寒対策、洪水対策、豪雨対策、湿気対策、換気対策、防音対策、等々数え上げたならば、きりがありません。それほどに英知をつぎ込んで造られています。

基礎部分

基礎部分は、石積みにより基本となる枠組みを創り上げます。

この石積みは、亀甲積みと言われる物で、石を組み合わせる事により、アーチ型の反り返しを作り出し、外側から掛かる外圧や荷重圧を利用してよりいっそう強度を増すことができます。この石積みの上に基礎となる大きな長方形の石を設置します。この時に室内への換気口を設置します。現在建築で言うところの、巻基礎と同じ役目を致します。

2402 2406

石組みの精度の高さを写真でも確認できると思います。全くと言って良いほど隙間がありません。建設に係った職人の腕の高さ、職人芸が偲ばれます。

基礎部分が完成したならば、つづいて基礎の上に本体を建てます。

2418

このとき、つづいての工事を考えて、壁板の厚みは一寸以上の物を使用し、写真のように完成したならば、次の作業は竹と藁を使い、壁を竹の網で囲います。

写真では見る事ができませんが、竹で出来た網に藁を練り込んだ粘土を練った物を塗り付け、全体を覆います。場所にもよると思いますが、厚さは10センチ程度かそれ以上あります。土壁だけではなく、建物全体を土壁が覆います。建物全体を覆う土壁が完成したならば、屋根を取付けます。

屋根を取付けると表現致しましたが、実際は土壁の建物の上に、屋根の土台となる石を設置し、瓦屋根を葺きます。屋根が完成すると、表の土壁に瓦を取付けます。

2402 2404
2405 2407

このとき、使用する瓦は写真でもわかりますが、四隅又は四方に穴が空いており、取付け強度を考慮して交互に貼付け、穴に竹で出来た釘を打ち付けて、瓦を固定しています。また瓦と瓦の間は、土壁に使用した土とは別の土を使用し、接着面の摩擦係数を変える事により、土壁から離れにくくしているのがわかります。この時に前もって瓦に、朱の線を入れておき、この線に合わせて漆喰を盛り上げて行きます。瓦の高さは2m近くまで壁に貼付けて行き、風雨による雨水の跳ね返りを防ぎ、瓦と漆喰の壁との境界にはねずみ返しの反りを付けた境をつくり上げます。

2378

ここで今一度、壁の構造を確認すると、芯となる板があり、板を挟んで竹の網がありその網を塗り込んだ土壁を中と外に造り、外側は土壁に瓦を取付け、その上から漆喰を塗ったり盛り上げたりしている多層構造(サンドウィッチ構造)になっていて、壁の厚みは30B以上になっています。

これらの構造は、現在の建築ではあまり利用されていませんが、最先端技術を必要とするところで、これらの技術が伝承されているのは驚きです。

横道にそれますが、このサンドウィッチ技術を最も利用しているのが、戦闘車両の戦車の装甲に利用されており平和利用の伝承ではなく残念です。

最先端のロケット技術等、多層構造と言う技術は幅広く利用され、私たちの身の回りの身近な物では、フライパン等に利用されています。

古くは、漆器がこの多層構造を利用しており、日本の技術力の高さは、今に始まった事ではない事がわかります。
蔵においては、この多層構造により、外部からの衝撃(泥棒、地震、火災、風水害等)に対して、それぞれの各層が対応して、外圧を分散して伝える事で内部に外圧が到達しないように出来ています。

内部の構造は、壁の中心の板に竹網を取付け、藁を練り込んだ粘土を塗り込み、漆喰を塗るなどしたところに、土壁に板壁を取付けて内装工事をして仕上げてあるようです。この多層構造により内部の湿度が保たれます。
基礎の石積みに建物の土台はのっていますが、実際に見ることはできません。

亀甲積みの石積みと同じ高さかそれ以上に、川砂と粘土を混ぜた土で土間が造られており、乾燥と転圧をする事により、コンクリート並みの強度が発生しています。内外装の壁に守られ、さらに土間の土により湿度はさらに安定します。

川砂と粘土を混ぜる事により、一度乾燥すると多少の水分の多い物を貯蔵しても、一定以上に腐敗が進行する事はないので、建物を大きくした場合は、味噌蔵や醤油・酒蔵にこれらの技術は利用されています。

この土間に敷石を置き、膝くらいの高さに床を作り、土間と穀物を貯蔵する場所を確保致します。穀物貯蔵場所は蔵の広さにもよりますが、そこに暮らす母屋の主食を、2年分くらいを貯蔵するスペースを確保しているようです。蔵の内部は土間の部分と二階部分になっていて、二階部分にはその家の貴重品や嫁入り道具等がおさめられていたようです。

土間の部分には、その家で使用する家財道具や農機具等の予備品が貯蔵されていたようです。

防火対策は扉と窓の扉の厚さでもわかりますように、ほぼ万全と言って良いでしょう。実際に火災に遭い、屋根が焼け落ちた蔵を見た事がありますが、各扉が閉まっていたために、内部の収蔵品は無傷であったと聞いております。

漆喰は、風雪によりはがれたり致しますが、土壁は現在の建築資材よりは風雪に強く、100年近くたっても頑張っています。

2407 2523

このように、土壁で守られた箱の上に屋根が載っている構造なので例え、屋根が消失しても、下の土壁に守られた箱に当たる部分には火が回る事はないのです。荷重移動の場合を考えると、上部の屋根の部分は地震により損壊しても、下部に当たる箱部分は、土壁の自重で押さえつけられており(現在建築で言うと応用例は重力ダムが一番近いかもしれません)、その加重はコンクリートよりは軽く、編み込んである竹により下部からの突き上げ力や、横揺れに対してはその衝撃を吸収し、本体の蔵内部の構造に大きなダメージを与える事はありません。実際に土壁が造られる前の建物全体が保存されている写真がありますので説明させていただきます。

2418

この写真は側面から板壁全体を写した物です。持ち主の方の話では、資金不足の折から、板壁で覆った上に屋根をのせただけで、現在の持ち主が保存しているそうです。中には板壁に土壁を固定するための竹釘が沢山あるそうです。

この建物の構造を見てみると一定方向からの力を分際するようにアルファベットのKを現すように柱と筋交いが設置されているのが判ります。

長方形の中に斜めに筋交いを全てに入れるのではなく、中央部分には一カ所下部に入れておき、外部からの力を逃がす構造になっており、現在の構造計算から造られる設計よりも、はるか前に日本建築では取り入れていたのです。

住宅メーカーのコマーシャルでこれを応用した耐震吸収力を取り入れた装置が紹介され放送されています

現在の建築の失われている部分を、再度、思い知らされます。

屋根の部分にはさらに驚かされます。木の曲がりを利用し、梁を止めて、交差部分に屋根の重みを掛ける事により、屋根の荷重を均等に分散し、建物全体に分散し、対震度を高めています。驚きの解析技術です。

木造建築物を土壁で覆い、材料の再使用が可能にする土壁は、手入れをする事により、長くその姿を維持することができ、耐震、耐火、風雨に対応できることを考えると、現在建築の考え方のどこかが違うのではないかと考えさせられます。一定期間ごとに修繕をすれば、その姿形を美しいまま留めることができるのが蔵の特長で、そこに暮らす人の考え方で変わりゆく姿かもしれません。

2378 2379

そんな思いをいだきながら、蔵を眺めていると、蔵を飾る装飾に巧みの遊び心や、屋号をかたどった装飾に技術の高さを見ることができます。

2377 2384
2374 2389
2396 2411
2414 2437

旅の途中で、蔵に会ったならば、こんな事を参考に蔵の存在を楽しんでみてはいかがでしょうか。また、多くの蔵の入り口には、その蔵の繁栄を願い、いろいろな言葉が漆喰で書かれています。読み書きが苦手な私には、解読ができませんが、知識のある方に伺がったところ「いろいろな、めでたい言葉が書かれているようです。」とのお話し、中には存在しない書体(オリジナル)で書かれており、おもしろいようです。蔵の入り口で解読するのもおもしろいかも。

(蔵の入り口を見るのには、個人住宅の敷地に入りますので許可が必要です)

つづいて、古民家と言われる木造住宅の建築をのぞいてみましょう。

最初に古民家の特長をお知らせいたしましたので省きます。

建物の造りを楽しみたいので、実際の古民家の造りを、実際の写真で見ながら、私の判る範囲で説明させていただきます。

今回、この原稿を立ち上げるに際して、私たちの暮らす地域の方言をまとめようと努力したところ、私の学習能力を超えていたので、原稿と言うかたちにはなりませんでした。困った私は、人生の先輩に相談したところ、明快なかたちで、答えていただきました。方言集が編集されて出版物になっていたのです。

勉強の嫌いな私は、図書館に行っても、この本の題名となっていた「逸見筋の歳時記」だけに目を奪われ、後に続く「方言」を軽んじていました。

今回、相談を持ちかけた先輩からの指導により、「逸見筋の歳時記・方言」(北巨摩地方)山本千杉編を読むことになり、編集内容が私の求めている物に近く、その内容は、多岐にわたり、思っていた以上の素晴らしい編集でした。

北杜市に点在する図書館には収蔵されていると思いますので、北杜(北巨摩)の歴史を旅する時には、旅人の友の一冊として、お手元に置かれると、さらなる楽しみが増す一冊になると思います。

「はんでえ~ めためた ごっちょで ごいす」  この方言がわかった人は

今回紹介している「逸見筋の歳時記・方言」(北巨摩地方)編集者 山本千杉氏の、この一冊をお手元に置き、ふるさとの思いにふけって下さい。

古民家

現在、大きな旧家を修繕している大工さんとの方言でのやり取りでの、お話しを参考に、皆様にその特長などをお知らせしたいと思います。

代表的な造りの古民家の写真を見ながら、建築技術の素晴らしさと工夫を見て行きましょう。(敷地の中に入っての撮影は、持ち主が不在だったので、周りからの撮影となっております)

2385 2388
2390 2391

現在この家屋は、大工さんにより、内部の大改修が行なわれ、現代風に住みやすいように改修が行なわれていました。

外観についての改修は、ありませんので、建築当初の使用を観ることができます。私たちの地域では、多くの家に持ち山があり、その山から切り出した木材で家を建てるのがあたりまえの時代があったようです。

余談ですが、旧家になればなるほど持ち山の面積は広く、あったと記憶しています。しかし、多くの旧家において、分家する子供たちに対して、持ち山を結婚時に持参金代わりに分配したので、現在、大面積の持ち山を維持しているのは、都会に出る暮らしを選んだ方が多い旧家が持ち山を持っているようです。なにせ、兄妹が多いころのこと、時代がら、学費や分家が多くなると、出費がかさみ旧家の持ち山面積も減少して行ったようです。

この分家や、生活費のために持ち山を手放し、分散された持ち山が、現在の八ヶ岳南麓の別荘増加の一因になったのかな・・・・。 余談でした。

私の家でも、子供が生まれたならば、木を植えろ、女の子の場合は桐の木を、男の子の場合は、栗の木を、祖父が言っていたのを思い出します。

桐の木は、成長が早いので、女の子が嫁入りする頃には、嫁入り道具のタンス等になり、また、栗の木は、男の子が家を修理する頃には、最も痛みやすい土台部分に虫の入りにくい栗の土台が使えるようにと、言うものでした。

各家の持ち山には、それぞれの方向に同じ種類の木を植えて、成長させ、家の立て替えに備えていたようです。家の北側の柱は、山の北側の木を、南側の柱は、南側の木をと言うように、立て替える家の各方向に合わせて、持ち山から必要な木を切り出して、柱に使用していたようです。

大きな家になると、屋根の荷重を支えるのに、通常の梁では荷重に負けて、梁柱が折れてしまいますので、荷重に対してアーチ構造を取り入れ、各方向に荷重を逃がすために、曲がった木を使用した柱を見ることができます。

2385 2386
2394 2420
2438 2417

曲がりが無い場合は、南北をの反対に使用して、木の反りを利用した強度補強も見ることができます。

このように、柱だけを見ても、現在建築に利用されていない先人の知恵をいたるところで見ることができます。現在建築では曲がり材(反り)の利用方法としては、接着剤を基本とした、修正材に使用されていますが、自然の力を利用した適材使用方法とは違い、主に接着効果が強度を示すことになると思われます。

このように、多くの知恵が詰まった古民家の建築方法には、驚かされますが、これらを建てた、匠の遊び心を随所に見る事もできますので、匠のセンスの良さを紹介したいと思います。

まずは、土台部分

2424

これは、基礎石に栗の土台を載せて、その上に床を作る工法です。現在建築の巻基礎と何ら変わるところは有りません。

他の基礎部分は、塚石に柱が載っており、免震と応力の分散をしています。

また、床と土台部分の間には、はめ板を入れ、小動物の進入を防ぎます。

通気のために、飾り溝が入っているのが確認できます。

裏側は

2390

格子になっていて、必要に応じて開閉できるようにしてあり、開閉用の板が、格子の上に取付けてあります。窓格子などは、合わせ格子になっていて、こちらも、必要に応じて開閉しているようです。

私が、目を奪われる箇所に、戸袋が有ります。

2439 2423
2427

写真の2439は、雨戸をサッシに変えていますが、2423は普通の木組みの戸袋ですが、こった物になると、2427のような、矢羽根模様になります。

匠の時間をかけた力作となります。

このような丁寧な細工を、玄関先でも見ることができました。

2425 2419

蔵の構造を紹介した時に、雨だれの跳ねが、壁に当たるので、その部分に瓦を巻くと紹介致しましたが、居住する住居には、雨だれを防ぐために瓦を巻くことは、経費的に無理が有るので、板壁としますが、防水・防虫等の効果を上げるために、重ね板のはめ構造を用いることが多く、経費削減では、重ね合わせのない平らな板壁となっているようです。

2419の写真では、外に出ている玄関戸は、昭和初期には家畜(うま・うし)用の出入り口で、奥に入った玄関が、本来、人が出入りする玄関です。

写真で言うと、右側に出っ張って出ている建物は、厠(トイレ)となります。

古民家の、多くの基本構造は、家畜と同居した住居になっていて、この地方の主要産業であった養蚕業のために、その多くが二階づくりとなっていることです。家畜が同居している為に、室内の換気が大切となり、家畜がいる部分と、炊事場は、土間により仕切られ、さらに奥まった場所に炊事場が有るのがこの造りの特長です。総二階造りの場合は、家畜のいる場所の二階には、家畜用の敷き藁が保存できる空間が有り、こちらも直接二階に稲藁を運び込めるように間取りがとってあるのが確認できます。

もともと、二階造りの古民家は、養蚕をするため、湿気を嫌い、保温と換気を考えた造りになっていることが多く、家の裏側の二階の窓は一般住宅の窓とは違い、大きく開口できるように造られています。

2390

二階の表側の窓には手すりが取付けられ、現在の建築のベランダには無い情緒を醸し出し、その風情を楽しむことができます。

2427 2428
2395 2385
2400

また二階の軒先の柱には、ベンガラが塗られていることが、かすかに残る朱色から判断出来ます。(魔除けと、防虫効果を期待した物と思われます)

2428

この写真、2428からは、材料の使い方と組み合わせ方、匠の遊び心が随所に見ることができます。右下の戸袋には、頭の部分に特長のある作り方を見ることができます。多くの古民家の古い戸袋は、とさかのような飾りが取付けられています。サッシ上部の梁からは、割れ目の違う材料から、ねじれ方向が違う材料により、反発を利用していることがわかります。軒先を支える梁を支えている板にも、彫刻(雲形)を施し、単調な造りにならぬよう配慮され、匠の美的感覚の一端を覗き見ることができます。


つづき >
▲上に

浅川太陽光発電所 - 八ヶ岳・北杜市大泉 -
copyright 2001-2009・The ASAKAWA soler power station / ASAKAWA Hatsuo

ホームページ掲載の写真や原稿には、著作権等があり、無断で使用することは権利の侵害になりますので、営利目的に使用の場合はあらかじめ許可が必要になります。

sun@mt8.ne.jp

【 お詫び 】
サーバ移行時にメールの設定が不十分のため、不達メールがでてしまいました。
お心当たりがありましたら、再度送信していただきますよう、お願い申し上げます。