HOME > 介護日誌 > 我が家の介護日誌 第23章

我が家の介護日誌 P-23

母の施設利用

浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

  母の入院は、病棟や周囲に必要以上に、注意が必要な患者であったようです。
圧迫骨折で、痛みを取る治療を行い、安静を求められても、それが理解出来ずに痛みが無くなると、通常の生活行動を行い、更なる骨折をみちびく可能性があり、医師としては、転倒防止と危険防止として、身体拘束を認めてくださいとの説明があり、了承を求められました。
これは、のちに病棟と療養棟のどちらからも求められ、母の自由行動(わがまま)を含めて、危険防止の為に拘束を余儀なく、安全防止策として、車椅子での拘束(転倒防止)をすることで、自由歩行(徘徊)を規制し、安全を確保するとともに、リハビリでの歩行訓練も実施していただき、筋力低下の防止策をしていただきました。 母は、ベッドから起き上がり、自由にベッドから離れることが多々あり、センサーマットで、徘徊を察知し、母の気を紛らわすには、車椅子への拘束で、安全確保を行いながらの徘徊防止策になってしまい、入院、約2週間、療養棟利用、約3週間ちょっとの間は、トイレ歩行とリハビリの歩行訓練ほかは、殆どが、ベッドで過ごすか、車椅子の拘束になり、帰宅時には、筋力の低下が著しく、杖を使っての歩行が危うく、手摺につかまりながらの歩行がやっとできる程度で、自分の部屋とトイレの行き来がやっとの状態でした。
しかし、帰宅するといなや、ベッドに横になり疲れたと言っていた母、
私が目を離したスキに、手すりを使い2階に登り、各部屋の見回りに。 !!
そんな事とは、つゆしらず、母に帰宅後のお茶を用意して母のところに持って行くと、いるはずの母が見当たらない、急いで各部屋を見回り、トイレかと思い 声をかけると、あらぬ方向から声が!!!!
「こっちだ!!」(ボケとはなに?)


何と、2階から声が聞こえ、驚くのと、どうやって上ったのか????
手摺に掴まって、やっとの歩行ができる母が、この急階段をどうやって上った ?
母を落ち着かせ、ゆっくりと降りるように説得、何とか無事に降りることができ
一安心とともに、大急ぎで、急遽プラスチックパネルで階段を封鎖。
帰宅後の最初の仕事が、階段封鎖のプラスチックパネルの設置とは ⤵
母を責めても、「自分の家だ、とこに行こうと自分の自由だ」の反論なので
何より、事故防止の為に急遽階段を封鎖しました。


上り口 裏から
これで安心。



写真でお分かりのように、階段手摺と、上り手摺の両方を挟む格好で、封鎖。
この位置は、母が階段下から手を伸ばしてもプラスチックパネルには届かず、階段を登って行くと、片手ではプラスチックパネルを取り外す事が出来ない位置になり、これ以後は階段を登ることは無くなりましたが、母の退院に合わせて、歩行器の用意が間に合わず、しばらくは、手摺を頼りの生活かと思った矢先の出来事です。退院後の母の変化は、食事にも現れ、食事量の減少と、食事の要求が減ったことです。しかしその分、時間に関係無く自由に食事を摂ります。
入院中は、決まった時間でしか食事は出来ないはずでしたが、自由に食べることが出来ないために、家に帰って来てからは、時間をきにせず食事ができるから自由に食事の時間に関係なく間食をすることができるために、食事量が減少 ?
母のベッドの淵には、食べカスが沢山。掃除のため布団まくると、友人が母のためにと買ってきてくれたパンクズが一面に広がっていた。(布団の中で食べた)
実は、母の入浴中に母のベッドの掃除を試みた結果がこれで、とりあえず目に見える大きなゴミを取り除き入浴の準備と歩行が困難になったために、浴室までの移動は、こちらの車椅子を利用してスムースに。 (転倒防止の為)

以前に使用していた車椅子。


なんで車椅子があるの ?
入浴サービスのヘルパーさんが驚いていた。
(ヘルパーさんは知らなかった)
当初、母がまったく動くことが出来なかったこと、その時に使用していたもの。
当時、歩行器も利用していたが、足腰がしっかりとし、介護度も軽くなり、杖だけで十分に自由に行動できるまで回復し、車椅子も役割を終えて、別の場所に保管されていたので、今回、再登場。
母の入浴には、体力の低下とともに、こちらのイスを利用する入浴方法を取って、座ったままの入浴スタイルになりました。


こちらのイス、我が家に再利用という
かたちでの戴き物
最初は、利用する程の足腰のふらつきは
無かったのですが、浴室を介護用に代えてからは、こちらのイスも大活躍
また、浴槽の暖房&乾燥器をフルに
使用すると、浴室のとなりの洗濯&着替えスペースの暖房も可能になって
寒い浴室周りを、温めることができ、安心して着替えが出来ます。
この乾燥器&暖房器の出力を100Vから200Vに換えておいて良かった。

200Vの方が、強力で乾燥時間も短く、効率が良く安心して使用出来ます。
(電気代も安いのではないかと思います)
帰宅後の母の行動は、予期せぬものばかりで、私が見ていないときには、何をするのか検討がつきません。今回、母は、帰宅後1週間で色々あり、連日ヘルパーさんを昼間に入れて、私の昼食時間を作り出すことが必要になり、前から検討していたショートステーを利用した介護体制への移行を余儀なくされました。
これには、病院での母の行動を理解していただいたドクターの助言が大きく、「施設利用を考えた介護体制が必要です」自宅で一人での介護には限界があります。の言葉と病院での看護状況からの助言もあり、退院後数日でショートステーが利用出来るように関係各位が努力していただき、小さな変更がありましたが、退院後、1週間ほどでショートステーが利用できることになりました。


転倒防止 ?
母には、退院前から説明や説得をしていたのですが、やはりショートステーを利用するのは抵抗があり、ここまで来るのに1年以上の説得期間が必要になりました。母自身が、最近は自分の思い通りに身体を動かすことが出来ないことで、自宅での生活に限度がある事を感じていたのではと思われることがありました。

母のショートステーの入所後、見つかった。隠してありました。壊れた掃除道具
母が、今回の圧迫骨折をする前までは、使用していた掃除道具
今回、母が居なくなった母屋の掃除をしていたならば、階段下に隠してありました。確認すると、母が体重を掛けたのか可動部分が粉々に壊れていました。
母の部屋からトイレに行く間には、手摺がありますが、不便を感じて、杖代わりにしたのか、掃除をしようとして、誤って、体重を掛けたのか分かりません。
母が、退院して自宅に戻った1週間の内に壊れたようです。
廊下の拭き掃除が好きだった母が、掃除をやらなくなっていたのは、これが原因かもしれない。転んで更なる骨折をしなくて良かった。

母が、ショートステーに行く日の庭には、福寿草が咲いていた。
病院では、色々やらかしてくれた母、ショートステー先では大丈夫であろうか
心配になってきた。今朝は、朝からクシャミ連発、結果として鼻血の連発、薬のせいか鼻血が出やすくなっている。花粉の季節  少し安静にしていよう。

○自己管理

天候のせいか、寒気がする。疲れがとれない。体を休めているのだが、思うように動か無い。薬は、4時間の睡眠時間を確保してくれるが、薬が切れたときがかなりつらい。活動できる状態になるまで時間が必要で、気持ちのきりかえでは対応できず、薬を飲んで対応するので、体が重い、安心と共に自己管理が苦痛になって、不摂生。(劇太)母の介護と持病のバランスを取りつつやって来たが、母が留守になって精神的に楽になったのだが、その裏返しが辛く痛み止めの頻度が増している。母屋の手摺り、当初は、母のために準備したのを、今は、自分がその手摺りを重宝するようになるとは、思わなかった。




母の帰宅に備えて 春の準備を少しずつでもして行こう。

つづく