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我が家の介護日誌 P-26

浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

◯ 介護に必要な空調管理

去年の夏は、母の部屋の温度管理には、苦労した。
急激な、気温上昇に伴い、母の部屋は、扇風機だけでは、気温の上昇を押さえることが不可能になり、他の方法を考える必要から、氷を利用した室温調整を試み
ある程度の調節はでき乗り切ったが、不安材料となり、エアコンを導入することにした。エアコン設置は、夏場は無理だったが、冬季対策として対応できる機種を関係者に選んでもらい設置した。
夏には、業者曰く、注文が殺到して7月中の予約が、お盆過ぎまで係り、大変だったと、我が家の設置は、10月中旬の設置となりました。(母がデイサービス利用日に設置)
設置には、母が出かけると同時に、待機していた業者さんに連絡。時間制限のある丸一日での工事。  前もって下見は、していただいていましたが、いざ工事となると、思わぬ障壁が、母の家の壁、半端なく、しっかりしている。
さすが、お隣さんの大工さん。 中途半歩な仕事はしていません。
父と母が頑張って、必死で建てた家、大工さんもそれに答え、確りと創ってくれました。結果、エアコン設置で苦心の作業と、「手抜きしてないわ!!」
「壁ぶち抜くのに、ドリル+コアドリル+コアドリル」頑丈だわ!!
との、工事業者。それと、断熱材の厚さに驚いていた。
途中、電気工事で、予定したAhが取れないことが判明。部品が無い!!
店まで、取りに行ったら時間がない。 
結果。 我が家の予備のインバータ回路から部品調達。
(餅は餅屋である)「普段はこんな事、しないよ!。 できないよ!!」
さすが、勝手知ったる 我業者(知人)。
母が、帰ってきたときには、試運転は終わり、外回りの被覆のみとなっていたため、母の騒ぎはなく、ただ一言「夕飯が遅い」でした。
設置後、冷房として使う事は、一度もなく、母が、あの白い箱は何だと
数日、気に留めた程度で、設置に関しての部屋の景色変化には余り、反応がなかったのが、一番安心しました。
11月に入り、温風ヒーターからエアコンに。
10月中期まで温風ヒーターを使用していたが、エアコン設置後しばらく暖かい日が続き11月に入りエアコン始動。
最初は、音を気にしていたようだが、少し経つと、作動音も機械音も気にしない母がいた。
それと同時に、幻を見る回数が減った。
11月は、ショートは使わず、居たが、12月に私が壊れた。
ショートを2週間使う。母の幻攻勢と、夜中の活動で壊れた。
母は、カーテン越しの景色が人に見えたり、床の模様が人に見えるまで
症状が進行した。  例えばこんな具合。
このカーテン 何に見えます ?
シミュラクラ現象 or パレイドリア現象
  カーテンが作り出した。
脳内記憶と経験値から
動物の顔に見えたりします。
私の場合は、寝ぼけ眼で写真を撮った時は、
動物の顔を連想して、写真を撮りました。

私は、本物の猫です。

チョコットお邪魔しています。
ちゃんと、毛皮つけています。
本物です。
印もつけてもらいました。

この頃から、母の食事量が激減してきました。母の食事を毎食、残飯として処理することが多くなり、食事量を調整すると、少ないと言い。

増やすと、必ず残して、後で食べる。と言い、結局は、食べなかったり
それに伴うように、呆けが進行して、行動が大きく変化
二日起きて、二日寝る、食事を取るのは、起きている時と、日中のヘルパーさんの時、寝ている時には、私の声には、反応を示すことは少なくなり、無視しすることが多く、食事量も激減。 でも、ヘルパーさんだと少し食事を摂ります。
食事後の残りは、残飯となるのですが、我が家の周りには、沢山の猫が遊んでいるので、処理を任せたところ、うまく処理をしてくれます。
その中で
この一匹だけは、私の玄関まで来ます。
他の猫は、遠くから、母の残りを置くのを待って
順番ではなく、早い者勝ちです。

この一匹は、私のタイミングと
母の所から出てくるのを待っています。
母が完食すると、猫ちゃん達のご飯は、おあずけ
この猫は、朝と昼は、必ずトライしてくるので、高確率で食事にありついている。

こんな事が、今の私の精神安定剤です。

◯ 母の体力

母の体力が、8月を境に、急激に落ちてきた。2019年の体力低下は、著しいものがある。掴まり立ちが難しくなってきた。

呆け症状から言うと、呆けている時は、運動能力の低下は、最大限カバーされていて、歩行器なしでも各部屋を荒らしまくります。
これを、目撃すると、普段の動作は、一体何 ? になります。
  (私の精神・心が破壊される行動)
呆けていない時の運動能力を50とすると、呆けていると200位の違いがあり、年相応の、全くの健康体よりも、活発に動くのです。 信じられません。

普段は、ベッドから起き上がるのも大変苦労するのに、ベッドに戻る時は、介助が必要になって、いつも手助けをするのですが、呆けていると、ベッドの布団を
部屋いっぱいに広げ、干している、  邪魔をするな ! !
と、私の注意など、聞きません。 
呆けていない時は、会話さえ、たまに通じるくらいですが、この場合は、私の言葉は、全て敵対行為行動となり、落ち着いてから(体力が尽きてから)声をかけることにしています。後片付けが大変です。
でも、この頻度も8月以降は、月、2、3回に激減しました。
母の体力の低下と、呆けの進行により、排尿を家の中の一定な場所にする事が多くなり、対策をいたしました。
家の出入り口で、する事が多くなり、その都度清掃はするのですが、何故この行動があるのか ? が解らなかったので、しばらくの間、観察・確認すると、
「外でトイレに行きたくて、出口に行っても、出られない、間に合わないのでそこでした。」と言うことを、呆けている会話の中から、聞き出す事ができた。
母の夜間徘徊を防止するために、各出入り口は、母の現在の能力では、開ける事が不可能な仕掛けにしてあり、それでか、と、思いましたが、家の中にトイレあるのに何故外に行こうとしたり、隅で用をしてしまうのかが疑問でしたが、
母の若い頃の記憶には、外でが、当たり前のことだった。 この記憶 ?
ヘルパーさんとの会話から、この年代の多くの方が、この行動をするようです。
60年前の各家の構造は、トイレは、離れか、外にあった。
家の中にトイレを設置してある御宅は、裕福の御宅しかなかった。
呆けると。子供がえりが、起きると言うけれど、古い記憶は、残っているのだろうと感じた、母のトイレ騒動。母のベッドの横には、ポータブルトイレも、置いてあり、母自身も、使い方は理解し、呆けてない時は、使用しています。リハビリパンツも履いているのですが、こう言うこともあるのが、これが介護現場です。結果として、母の行動をトイレに誘導する導線を作るために、各部屋の入り口を夜間は、間抜きで固定して、トイレに続く導線を作り出すように、各部屋の入り口を固定しました。効果は、絶大で、母の苦情もなく済んでいますが、体力の低下で、とびらを開けるのにも躊躇するくらいになっているので、体力が無くて開かないと解釈しているようです。
トイレを使用した後は、今までは、流していたのですが、12月に入ってから、トイレを使用した後で、流すことをやらなくなりました。簡単な操作ができなくなってきているようです。それと同時期に、寝ながら見ているテレビの電源のON・0FFが出来なくなり、夜間は10時の見回り時に消すようにしています。
食事の回数が減ったことにより、筋力の低下が著しく、だいぶやせ細ってきて心臓も、機能の低下が心配されたので、医師に相談したところ、順当に衰退しているので、見守るのも大変ですが、急激な変化が起きないように努力しましょうと。  私の病巣が悪化しないことを祈りたい。
と言うのは、これからが長いと、ヘルパーさん、ケヤマネさん、訪看さんの皆さんの意見です。 母も私も病気には注意しないと共倒れは困ると皆さん。

◯ 母の反抗期

母は、人と接触をあまり好まないが、自宅への来客には、色々やっていた。
その反動か、デイサービスを利用した翌日は、家の中がゴチャゴチャになり、母の行動も、言動も過激なものになる。 当然、母が呆けてからは、来客時は良いのですが、その反動が翌日に、大変なことになります。母の部屋の物が、色々家の中に散らばり、介護しやすく用意したものまで、探すのが大変です。

テッシュは箱から出してクシャクシャにして、元の箱に、入歯と一緒に、戻したり、箱ごと無くなります。介護用のエプロン等は、全て母のベッドの中か、全く予期しない場所にあったりします。これをやられると、元に戻すのに2、3時間は取られ、半日が終わってしまうのが、自宅での介護現場です。
その中には、月に数回のベースで、排便の失敗もあり、母のお尻の穴に指を
排便の補助や、汚れた体を洗います、後、排便時の後片付け等あり、半日は確実に時間を取られるのが、自宅介護の現実です。

本人は、この時のことをほとんど覚えていないので、子供のように言い聞かせることはできないことを、理解した上で介護に当たらないと、バカにしているように感じたりしてしまい、介護孤独に簡単になって行きます。

介護現場での心中や虐待・殺人は、介護孤独に落ちいったことからと、発作的に、楽になりたい・楽にしてあげたい・嫌だ・何で自分だけ・楽になろう等の気持ちがこの様な悲しい事故や事件を引き起こしている。現実に介護に対応しているから分かるわけで、介護って大変ね、たまには見てあげるは、と一時的な対応は、介護の入り口としか言いようのないもので、24時間一日中対応してみると、両親の介護をよくしたと言う人に限って、介護に対しての詭弁が多いことに気がつく、介護しぐさ等の細かい話で直ぐに、体験から比較して、そんなに簡単に介護できないし、時間通りに行かないのが介護です。と教えてあげたい。
介護の必要な家に行くと、独特な香りがある。とヘルパーさんが教えてくれた。
確かに、芳香剤や消臭剤使うことが多く、毎回掃除しても、臭いは消えにくい。
特に、冬場は、換気を頻繁に行える状況下には、介護対象者の家の構造がなっていないし、換気を頻繁に行えば室温は下がり、介護対象者の健康を害す場合もあり難しいところです。

◯ 心が壊れる

わかってはいるけど、同じ動作を繰り返し教えるけど、繰り返し失敗する母
箸・スプーンを手に持たせるのだが、ひっくり返し、繰り返して、手から離す又は上下逆にして、口に運んだり、誤嚥もあり、目が離せないのが食事時間。
口の中に食べ物が、あるのに、口に詰め込む母、口にはこぶのを注意すると、ご飯も自由に食べさせてくれない。「そんなにうるさく言うな!!」とか、
母の入れ歯の装着も同じで、上の歯、下の歯と順番に渡すのだが、向きがわからん、上下・左右・前後、全てが、わからんと言って、せっかく正しく入れた、入れ歯を口から外してしまう母。「わからないのだから困っている」「なんとかしてくれ」それを繰り、手を貸してやると返し直そうとする、「そうやって虐めろ」、「怒るな・怒鳴るな」と言って拗ねてしまう母。(こちらが拗ねたい)
挙げ句には、食事の準備をして、声をかけるが、こちらの声掛けには全く反応しなくなり、ベッドに横になってしまう母。(体力のある男性だと暴力になる) 
誰のためにとか、考えると、心が折れる。(嫁であった場合は、何でとなる)
これらを、食事の度やられたり、一日中やられると、見守っているこちらも、おかしくなってきて、心が壊れる。
これらの危険シグナル緩和のために、ヘルパーさんや訪問看護師を入れているのだが、慣れてくると、ベテランには従うが、経験が浅いと見ると、母の反応が鈍くなる。分かってやっているのだろうか ? と気にかかることがある。
若い人には、甘えたいのか、経験が少ないと、分かっていて反応しているのやらこんな時は、やはり、心が折れる。
母の排便失敗が増えてきた。特に、朝の大便の失敗は、その対応に時間がかかり、1人でやっていると、時間の経つのが早すぎて、気付けば、朝食も取らずに対応していて、母の昼食の時間になってたり、つぎから次へと介護仕事が増えてゆく。朝の排便失敗→処理→体洗い・洗濯→着替え→朝食・飲薬→洗濯干し→片付け→母の状況確認これらが一通り終わらないと私の朝食にはならないのです。
先に朝食を済ませれば良いかもしれませんが、私の飲薬の都合もあり、朝は、母の食事→私の食事になり、分かってはいるのですが、心折れます。
これに反抗が加わった時には、心が壊れます。
時間で、見回りにゆくと、半ケツで家の中を歩いている母、どうしたのか ? と、たずねると、トイレの場所がわからない。「トイレをしたけど下着を上げられない」、と、見れば玄関でトイレをした跡が、心が折れる。

◯ 冬場の乾燥対策

1月に入り、温度低下とともに、気付いたのが、母の部屋の乾燥です。
エアコンで、温度管理はできたが、湿度管理が難しい。
外気湿度がここまで、低くなると、部屋の中はそれ以上になり、急遽、夏に使用した、氷柱缶に使用した缶にみずを入れて、布巾で湿潤面を作り、毛細管現象で
水の蒸発面積を調整しながら、簡易加湿器を設置。(布面を広くすると水が滴る)

それと、室内干しの洗濯物でやっとこ、湿度25パーセントを確保。
この辺が、石油温風ヒーターと、エアコンの違いを思い知った。
石油温風ヒーターは燃焼時に蒸気も同時に発生していることを改めて知った。
火災の心配は無くなったが、喉の渇きからくる風邪の心配が、改めて現実のものとなった。
因みに、石油温風ヒーターを使っている私の部屋の湿度は、30パーセント。
母の部屋は、濡れタオル(バスタオル)2枚で、何とか湿度25パーセントを保つことができている。乾いたら濡らしの繰り返しです。
夜は、私の最後の見回り時に濡れタオルをハンガーに掛けてきます。
緊急時には、霧吹きでカーテンや壁の珪藻土に吹き付けて、朝まで湿度を保つようにしています。

◯ 疲れた時の ショートステイ

母の介護に疲れた時は、ショートステイを利用するようにしています。
母は、ショートステイの利用を嫌がりますが、私の心の疲れと精神安定を図るためには、必要なアイテムとなりました。出来るだけ自宅での介護をと心掛けているのですが、1人での対応には限度があり、ヘルパーさんや色々な介護システムを利用しても、自分の時間(休む時間)が、無くなってくるのが辛くなります。
今回は特に、12月に入り、手の痺れにみまわれたのと、7月からの腕に力が入らない中での看護に、危険信号がともり、心と体が思うように連動しなくなり、母の介護にも時間的余裕がなくなりました。介助者の体調不良は、どうにもなりません。介護の場からの逃避(休息)以外に方法がわかりません。
そして、心が折れてゆくのかな ? 介護支援機関と、うまく連動することで、危険回避のショートステイとなっているのが現状です。後どのくらい、在宅での介護ができるのかは、母のボケ症状の状況しだい。在宅介護限度に近付いている。

◯ 色々重なる 負の連鎖

自宅での介護限度は、覚悟している今日この頃ですが、私の体調不良の1つの原因が判明しました。私の手の痺れは、「ガングリオン」からの痺れでした。
病巣を治療してもらうと、嘘のように痺れが引いて行きます。写真の、薬指付け根に発生した「ガングリオン」で、右手の筋肉全体が痺れていたのです。
治療後は、再発はあるかもしれないが、その都度
取り除けば、問題なし。
母の介護にも、少しは好材料になったかな ?
今回は、母がショートを利用している間に、治療を実行して、母の帰宅に備える気持ちが、少し湧いてきた。痺れた右手では、無理があった。
半穴になった母のズボンやパジャマを上げることさえできなかった。
今度は、握力も戻り、確り母を支えられることができそうだ。
五十肩は、慣れるまで我慢しましょう。治療はしていますよ。!!

母の帰宅に備えて、充電期間を取るつもりが、思わぬ自然災害。
母屋の敷地内にあった、松、松食い虫にやられ、撤去を持病のため、送らせていたならば
、疾風に煽られ、ブロック塀を破壊し、隣家の畑に倒木。夜間だったので、気が付かず、明けて隣家からの知らせで倒木を知る。
倒木によるケガ人の発生が無かったことに安堵する。隣家からの体調管理のアドバイスもいただき、倒木撤去作業を、体調を見ながら行なっているので、母が帰宅するまでに、終わらせたかったかが、終わらない。チェーンソーで1時間作業したなら、腕が半日痺れて、何もできなくなったり、チェーンソーの刃が外れたり、体も機械も使い方をうまく考えないと、一向に作業がはかどらず、体調の整わない、この時期にと思いながら、半日作業、あとは、休憩を取り、体調の回復を図りながらの作業なのです。
倒木は、私の管理ですので、隣家には、お詫びに行き納得していただいて、作業をしています。理解ある隣家で、助かりました。

◯ 度重なる出費

今年は、まだ一度も降雪や雨も降らず、乾燥状態が続いて、通常の乾燥対策では対応できず、加湿器を導入。
色々な機種を見て回ったが、手頃な機種として、これを導入。
機能としては、超音波加湿器が良かったのだが、高齢の母の元では、消毒済みの加湿が必要なので、加温タイプの加湿器に決定した。
蒸発式なので、カビの温床になりにくいのが特徴だとか。
母の部屋の、加湿環境は、改善され、湿度は40%の環境となり、寝ていても喉が乾かなくなったようです。
母の夜間のトイレは、ポータブルとトイレまでの歩行で、どうしても夜間のトイレは、冷えるので、暖房機を導入。
人感センサー付きで、トイレのドアが開いたならば、すぐに暖房が入るものを導入。
*失敗
母が、自動で電源が入るのが気になり、点灯ランプのスイッチをイタズラして、電源オフを
何回か、やってくれ、トイレ使用時には、そのつど、電源を確認する必要になり、慣れるまで手間が余分にかかる事になった。
ふと、気がつくと、庭先に春が来ていた。
寒さばかりを気にしていたならば、家中が
春の日差しに包まれていた。
どうして、ボケている母は、家電機器の電源
をいじるのだろう ?
今年になってから、テレビを見なくなった母、疲れると言っているが、
色々やってくれる母ではあるが、急速に食事の量が減りつつあり、手足がやせ細ってきたのと、浮腫が出やすくなったのが気になるところです。ケアマネさん等からの助言もあり、入浴等の問題から訪問医師の検討や、終末医療について医師の助言と、情報交換をしながら投薬治療を毎月相談する事にしました。
   
婆さんの食事の残りを待っている猫 猫 猫 です。
写真猫の他に、まだ数匹 婆さんの食事の残りを待つ猫がいますが、写真に撮りたいのですが、のらは、撮らせてくれません。
母がショートステイから帰ってくると、急に庭先が猫屋敷に変身する
今日この頃です。