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我が家の介護日誌 P-25

浅川太陽光発電所
所長 浅川 初男

桜の花が散り、季節は初夏の模様 と 言いたいが色々の予定が重なり、母には、ショートステイを利用してもらう。
今期、3回目なのと、前回との間が20日程度なので
迎えに来ていただくと、思った以上に スムースに出かけて行き
驚いた。  5月下旬に帰宅  どうしても、運動不足のせいか
施設利用後に、両足のむくみが起きている。 これは帰宅後
2週間ほどで、むくみが取れるので、  施設での母の行動の予測がつく!!
相当、ヤンチャをしているのだろう。
家に帰ると、勝手気ままに 好きなように 家の中をかき回し
後片づけを私に押し付ける。と ともに  戦闘開始でもある。と前回紹介。
  ゆくぞー !!
  家中の点検だ
掻き回すぞー
後片づけ ?
勝手にやって  誰かが 散らかしたから
俺はやってない  私は知らない 誰か他の人がやった
6;fdoue 0toue ? 意味不明 !! となります。  (少し規模縮小)

暑い !! 暑い !! 今年は、どうかしている。
季節が大急ぎで、夏に向かっている。母は、過ごしやすくなったと言いつつ7月になっても、冬物を離さない。  
そんな母も、今年の7月に入ってからの暑さには参ったようで、連日の30度超えで 、やっと夏バージョンに それにしても暑い !!
暑さのせいか  横になっていることが多くなり 食事を摂らない。
一日中眠って過ごすことが多くなり、ヘルパーさんや訪看さんに、心配されるくらいよく眠っている。 しかし、夜中に外に出ようと色々やった痕跡があちらこちらにあり、ある程度の呆けはあり、快適温度の夜中や、明け方に行動している事が判断でき、運動はしているようなので、良いとしている。
この時期、私も参っているので、鎮痛剤の服用が多くなり、深夜の点検は
今までのように、痛みで起きての、様子見は困難となりました。
連日の暑さ対策  何とかしなくては、クーラーかエアコンを考えなくてはと、
はじめて考えた。  生まれてこの方 冷房の必要性を感じた事の無いこの地域
今年は、違った。 家電屋さんに相談するも 皆さん考えることは同じ
7月中に取付けることはできません。 早くて、お盆過ぎくらいに工事に行けたらと、・・・・・何とかせねば ! ! 母が熱中症になってしまう。
母屋の温度が、外気温上昇とともに 30度近くに、外気温は30度を連日超えている。  そこで、室内温度の上昇を防ぐためと、室温維持の両面を備えた物
こちら を 用意。
皆さんご存知の 防災グッズ 保温シート
これは、ケガやショック、疲労時の体温の低下を防ぐ目的で、自らの体温で保持、外部からの影響を遮断
する薄いアルミシートです。
この保温シートを、室外からの放射熱の遮熱に使用。
  
母の部屋のまわりの窓や
出入り口のサッシの半分に貼り付け、あとの半分は空気の出入りと、灯り取りに
全面には貼らずに、半分はカーテンを利用。これで、放射熱や反射熱は半分になり、母の部屋の温度が30度で安定、  しかし暑い。   どうしよう。
連日34度を超える勢いなので、室内を直接冷やすことに !! 考え変更〜 。
こちら、  扇風機+氷+缶 で冷気循環
 これでどうだ!!
猛暑  氷のブロックは強烈の暑さの為、約30分で冷水に。  しかし 。
この効果は、絶大で、母の部屋は、連日の猛暑の中でも8月の末まで
外気温上昇でも、室温30度を超える事はなかった。 この缶に入れる氷は、
カップ焼きそばの容器に水を半分ほど入れ、夜間を利用して氷を作り、室温30度になったなら、扇風機の前に氷を入れた缶を配置し、首振り送風を当て、空気を循環させました。氷のブロックは一度に4個使用します。母が使えなくなった冷蔵庫で、一度に8個作れたので、2回に分けて使用しました。
温度が高い日は、私の冷蔵庫も使用して氷を作り、3回ほど入れ替えました。
約、2ヶ月間、母の部屋の温度管理に奔走 1時間〜2時間おきに氷の点検と
室温チェク。概ね午前10時頃から午後4時過ぎまでの間、室温が上昇しないように、こまめにチェクし、母の体温と室温の管理に気配りした約2ヶ月間。
9月に入り、このシステム終了。 と、同じくして、台風通過。

◎ 母の要望。

8月の猛暑は、母の食欲を奪い、体調に変化が !! 痩せてゆく。
それに従い、入れ歯が合わなくなってしまい、食事がうまく取れなくなってしまった。(入れ歯の噛み合わせがうまく行かず、食べ物を噛み砕くことができない)
食べ物が口から出でしまい、溢して、食べ物が散らばり、衣服を汚してしまい洗濯回数が増加。暑い日々が続いたので、部屋の中で寝て過ごすことになっていたので、体位変換をしながら、床ずれ防止、それでも同じ方向ばかりになるので、
床ずれが発生、寝ている向きを足元と頭の位置を変えて対応、床ずれは防止できた。(ヘルパーさんや、訪看さんの力による)
この時期、無事に過ごせたのは、母の物欲と、知人の配慮によるところが大きい。母は、果物の桃が大好物で、それを餌に、食事をするよう誘導して、無事に食事を済ませることが殆どで、この暑い2ヶ月間、桃を提供してくれた知人には感謝です。(対価は少しで用意していただいた)
今年の夏は、母が宇宙人になり、私との会話が食事の時も途切れ途切れで、母がカンシャク(意味不明の会話)となり、拗ねてすぐに寝たふりをして、食事を抜くことが多く、朝食と昼飯が重なり、朝食を昼ご飯に、昼食を夕食にとなり、薬などは、ヘルパーさんに助けて頂きました。
1日2食になり、そのせいか、一日中寝て過ごし、食事の時だけ、起こして食べさせることが殆どでした。昼間は眠って過ごし、夜中にお腹が空いたのか、涼しくなるので、おやつを食べた跡が、母の所にゆくと確認できたり、夜中に痛みで起きると、眠っているはずの母の部屋に灯がともり、台所で大きな音がしたり、急いで駆けつけると、ごはんを作れない、米が無い、釜が無い、等々
そんな事は、しなくて良いよと声をかけると「おら〜呆けた」落ち着かせると
「寝る」と言って、ベッドに横になり、眠りにつく母、時計を見ると午前3時になっていた。東の空が明るんできていた。自室に戻り、眠りについたなら、疲れのせいか、太陽は昇り、午前7時を廻っていて、慌てて、朝食の用意、朝食を母の元へ、「日はとっくに登っている、何してただ !!」と、お叱りの様子。
誰のせいだよ !! 夜中に2回も起きて、様子を見に行っていたのだから。
などの、やり取りをしながら熱い日々を過ごしていた母に突如として異変。
母との意思疎通が通うのが、週に1日か2日、あとは、宇宙人(部分的に会話が成立していると思ったなら、かなり前の話であったり、母の若い頃の話になっていたり、時間軸がズレ、会話で合致しない会話になってしまう)の意味不明。

☆ 突如として、朝から機嫌が良い。朝から暑いので宇宙人から母になった ?
急いで母の着替えをさせて、朝食です。母の朝食後、自分の朝食を終わらせ、薬を飲ませるために母のところに行くと、大惨事に ! ! 久しぶりのトイレ失敗。

母は、どうして良いか分からず、私に怒られると思ったのか自分で処理しようとして、トイレ、廊下、母の部屋、ベッド、順路全てに塗りたくり、呆然としている母、母の言い訳は良いから、とにかく母を浴室まで誘導して、おとなしく待つようにと言い聞かせるが、浴室から出ようとする母。一人では対応できずに、隣の親戚にお手伝いをお願いして、応援して頂き、母が歩いた跡がハッキリと残っているトイレからベッドまでの間の、お漏らし、塗りつけを片付け、歩けるようにして、応援が到着したところで、母を浴室で洗いながら、後片づけ、と着替え、その間親戚は、廊下、母の部屋、ベッドの周り、手摺等、二度拭きをお願いしました。前回よりは、大規模でしたので、キッチンペーパーとお尻拭きが大活躍、お尻ふきは、前回から用意したてありましたが、キッチンペーパーが思った以上に活躍して、3ロールと、お尻吹きが一箱、後は、トイレットペーパーが2ロール、タオルや手ぬぐいは、身体に付いた排便等の洗い落としに使用した程度です。
結果として、5回の洗濯をして、布団の入れ替えと、ベッドマットを干して
一日中洗濯に追われたけど、一回で片付けができたので良いとします。
洗い物が沢山なので、2台の洗濯機をフル稼働で、午後の1回を残し、午前中でなんとか洗濯物は終わり、昼食時間になっていました。急いで昼食の用意。
昼食時の見守りヘルパーさんに「すごい洗濯物ですね」と、褒められてしまった。ヘルパーさんは、車で庭先まで来て、気が付いてのではなく、近くに来たらば、沢山の洗濯物が目に入り、「ご苦労様でした」とのこと。
ヘルパーさんにまで、気を使っていただいています。

この事件から、2日後、母の申し出。

「今度から、食事は、細かくしてくれ」との要望があり、今まで作っていた普通食を細かい食事の物に変えることに。最初は刻んでいたのですが、まな板の上では、衛生上問題も多いので、ご飯の上で細かく刻むことにしました。
この普通食を  こちらの刻み食に
ここで活躍したのが、みなさんご存知の、キッチンバサミとトング
この話を、乳児のいるご家庭で何気なく話したならば、「内の嫁さん、器用に離乳食作っているよ !!」
と、トングの使い方や、キッチンバサミの使い方に花が咲き、それを聞きつけた、新米ママの
お嬢様も、もうすぐ離乳食が始まる、良いこと聞いた。と 話に加わり、歳取ると、赤ちゃんになるとよく言われるけど、 「食事がこれじゃ 離乳食と変わらんね !!」 と、
トング、材質により使い分けると、揚げ物や、茹でたジャガイモむきなども、
火傷の心配がなく、うまく使いこなせる。確かに、菜箸と手では難しいわ。
沢山の調理用器具、使い方しだいでは、介護現場でも重宝しますよ。
刻み食にしてからは、食べるのが楽になったのか、母の食欲も少しは戻り、
体調も、復調するかと期待したが、相変わらず、口元から食べ物が溢れてしまいます。入れ歯が合わない。どうしよう。歯科医院も近くにあるが、連れてゆけない。どうしよう。と ケアマネさんに相談。「訪問歯科診療がありますよ!! 」
と、説明をいただき、早々に調べたら、友人が利用していて、よく話題に上がる診療所だった。友人の話から安心できるところとは聞いていたが、距離がある。
大丈夫だろうか、ケアマネさんとで、電話で相談してみると、診療可能か確認後、後日連絡を頂けるとのこと。地図で調べると、直線距離約10㎞高低差400m ? わりと近くと思ったなら車での所要時間約40分 ? と 来ていただけるか ?
心配です。
そうこうして、数日後、電話連絡があり、我が家から、車で5分の介護施設まで往診があるので、その帰りに往診していただけることに、でも心配で、自宅までの位置が、複雑なので、ナビマップに載っているので、確認してからお越しくださいと往診をお願いいたしました。(みなさん間違えるので)
やはり、我が家の周りをくるくる回って、探してやっと到着。
素早い、治療が行われ、総入れ歯の上部分を1時間ちょっとで修正治療。
次回は、下の入れ歯の修正治療をと。  帰られました。
治療器具のコンパクトさに驚きながら、母の上顎にフィットするように修正治療する素早さに驚いた。身体が自由にならず意思もあまり通じない母と会話しながら、治療を進めて行く医師の経験には、感謝するばかりです。
私が、普段 母と会話するより、呆けた母の表情や感覚だけで入れ歯の修正を行う、これが、プロ さすがです。治療終了後の母は、口に残った薬品の苦さに数回、うがいをしましたが、その後は快適に過ごし、入れ歯が上顎から外れる事もなく、不機嫌になる回数も減りました。 感謝感謝です。2週間後、下の入れ歯も治療していただきました。上の入れ歯のようには、噛み合わせが甘いようで、口から、外れますが、修整をしていただいた前よりは、良くなっていますが、母は、慣れない様子です。食事中の食べ物の溢れは、少なくなり、効果は絶大です。
さらに、2週間後最終調整で、治療は完了する予定です。母が早く修正した入れ歯に慣れ、自分の体の一部のように使えることを願っています。

◎気候のせい & 真夜中の奇行の行動、着替え ?


このところ、深夜が10度代まで外気温が過ごしやすくなって来たと同時に、母の奇行も目を覚ました。夕飯の呼びかけに反応しない母、仕方なく、夕飯を母のテーブルに置いて、様子を2時間後に見にゆくと、黙々と食べている。声をかけると不機嫌になるので、30分後に見にゆくと、半分残して眠っている母、全部片付けると、騒ぐので、夕飯の残りはそのままにしておく。11時半に見に行くと、夕飯は、完食してあり、消灯して、母の部屋を後にする。
夜中2時半に痛みで起き、あまりの明るさに驚くと、母が住む母屋の灯りが廊下、玄関、トイレ、各部屋、もちろん母の部屋も、灯りがついており、急いで急行、母は、横になりいびきをかいて眠っている。一回りして、消灯して自室に戻る途中で、音楽が何処からともなく流れて来た。母と同じくして、この深夜に活動している人がいる ? 周りに高齢者増えたから ? 自室に戻ったなら午前3時、急いで、はよ寝ることに。
こんな日の、母は、早起き。朝食を持って行くと着替え中 ? 、パジャマの上にパジャマ、その上にパンツならぬ上肌着を履いている。本人まだ上に着ようとしています。間違っている事を伝えると、「おらぁ〜バカになった」といい、今日は、いろんな人が来て、何処に行くのかわからないと言っている。
とりあえず、余分なものは、脱がせて片付け ? 、パジャマの上にエプロン!!
丁度良い。朝食です。こんなのが週何回かあり、ケアマネさん「ショートを使って、休むようにしては」と、お声をかけていただいています。これから、冬を迎え、冬季の自宅での介護には、温度管理が難しくなって来ており、冬季の利用を考えると、暖かい時期の自宅での介護は、できるだけ長くしたいが、気持ちです。
共倒れになる前に、ショートの利用はいつでも、考えています。
我が家の
たまごだけ。  刻み食。
庭では異変が


一株の、「紫陽花」で、色とりどりの花(ガク)が楽しめている。
これがなんと、今年の9月に入って日中の温度が30度を超えなくなり、最低気温が15度以下まで下がりだしたならば、庭先に植えてある夏季の花が咲き、
秋の庭先の花々の
花も咲きだした。
狂っているのか正常なのか
母と、同じで よう わかりません。

宇宙人の母の行動と会話の不思議。
母の朝食。準備して声をかけると、反応がある。布団から、むっくりと起き上がる。久しぶりに、母との会話が成立、母曰く、毎日が夢の中で、色々やった覚えがあるとのこと、夢の中で、既に亡くなった叔父と一緒に、出かけたので、弁当やら、お茶やら、用意して、心配だから、保険証も持って出かけた。と言って、話してくれた。これで納得、連日の不可解な母の行動。ご飯プレートが、布団の中、保険証がテーブルの上、おやつのお菓子が、袋に入れて、これもベッドの中。いろんな人と会った。若い女の人とあちこち行った。これは、ヘルパーさんと、家の中での歩行訓練が、置き換えられているようです。母の記憶が、だんだん壊れてゆく、この話の直後にベッドに横になり、微睡みながら眠りにつく母、心配なのでしばらく付き添っていたら、朝食から3時間経過していた。昼食の準備にとり掛からねば。    でも、久々の母との会話チョコッと嬉しい。

◎ 不安材料・・・・・歩行


母の歩行状態が不安定に、年明けよりも一段と不安定になって来た。
母の精神状態で歩行状態も一変するので、驚く場面も多々あり、どの状態を指して、歩行が不安定かを、見極める必要が生じます。
母が普段、私たちと会話ができる状態だと、歩行範囲は、歩行器(使える範囲)や手摺り(設置してある範囲)、に限定され、あとは、赤ちゃんが掴まり立ちする格好での移動になり、後ろや横で補助しないと危険になります。
バランスを崩して、ガラス障子にヨロケ、ガラスを割るなど危険なことがしばしば起きて来ています。 
母がヨロケて、割ってしまったガラス障子2枚。
ガラスは危険なので、アクリル板(透明)に変えたところです。磨りガラスの半透明が元の姿になります。
本人は、「お尻で、ヨロケて割った」と、言っています。
何れにしても、この場合は、怪我が無くて、良かったです。
実は、廊下のガラス障子、かなりの確率で、割れている。
孫たちが割ったと本人は言っているが、孫たちが割ったのは、ガラス障子2枚分、後の5枚は、誰が割ったのか母には分からないと、言っている。
母が、割った場合当初は、ノリと和紙で補強してあるので、すぐにわかりました。
ここに来て、急速に老けてゆき、呆け症状が増してきています。
それに伴い、寝たきりに近い状態で、いつもベッドに寝ているので、褥瘡(床擦れ ? )が発生して、対応(患部への治療や体位交換など)しているが、増えてきたので、マットレスをジェルタイプの物に替えて、様子を見ることに、これもダメならエアーマットにするしかない。マット交換をぼんやり見ている母。
私が一生懸命に、世話をすればするほど、私が、わからなくなる母。
「大きな声を出すな」「近所に知れる」「人目が悪い」等、母の失敗について
尋ねると、この言葉を口にする。繰り返し話すのがいけないのか ?
この言葉が出ると、布団にくるまり横になって、話には乗ってこない。
日々、壊れてゆく母、意思疎通のある会話が週1日で、出来ていたのが、今日この頃は、時間単位で、コロコロ変わるために、食事も定期的には採れない。
時間で、用意しても、私には、意思表示がなく、声かけにも反応しない。
ここで活躍してくれるのが、ヘルパーさんによる昼食、昼食を含め、なんとか一日2食は確保しているが、私は、母の中では、外から遊びに来ている親戚に変換されている。
  母は、どうなるのだろう。
母が、私をいつまで覚えていられるか、そんな心配をする今日この頃です。